投稿こそ遅れましたが、

実は今月のアタマにケニ子の公立小学校お受験(スクリーニング)があったのでその時の気持ちを記録しておきたいサラマです指差し

 

あの小さかったケニ子が。

両腕にすっぽり収まってあくびしていたケニ子ちゃんが。

 

サラマと離れて一人きりで知らない子供たちと1時間半も過ごし、与えられたミッションをクリアして帰ってきただなんて事実、母にはにわかには信じられなくてよ不安

 

コペンハーゲンには公立小の一校だけに英語セクションがあります。

今年の倍率はまだ発表されていないけれど10倍から20倍4倍から10倍ってとこでしょうか。

英語セクションに入ってる純ジャパは知る限り一人もいない。

いろんな事情によって挑戦してもらったわけですが、公立小受かろうと受かるまいと、まあ、そこはいいんです。

1人で勇気を持って踏み出してこのステップをふんだことがケニ子の経験値になったのは戻ってきたケニ子の表情をみた時に明らかで「ああ、挑戦させて良かったな」と思いました。

 

しかも控え室で謎のインド人パパに突然絡まれて(向こうからしたら善意)動揺したまま迎えたスクリーニングだったのに。

よくやったよ。

 

 

 

泣き笑い泣き笑い泣き笑い


安心してケニ子、お母さんもびっくりしたから泣き笑い泣き笑い泣き笑い

お母さんがケニ子の年齢でも確実に泣いてるわwwキョーレツだったよなww

 

でも一方でサラマは「すべてのことはそうあるべきように向かっていく」と強く信じているところがあるから、この突然話しかけてきたインド人パパでさえもケニ子の人生という舞台に必要なスパイス、出演しなければならない脇役かもしれないとか思ったりもしたわけです。

 

いやたぶん確実にそう。

このキャラ濃いインド人パパに絡まれたことが、結果としてケニ子の物語をケニ子本人にとってより良い方向に進めるに違いない。

動揺したことで本来の自然な姿で振舞えなかったとしても、動揺したことでバリアを張る余裕が生み出せず逆に自然な姿で振舞えたとしても、それこそが、人間が努力で如何ともいがたい<運>要素。

 

私たちはこの世界に生きている以上<運>だとか<縁>だとかから解き放たれて生きていくことは不可能で、サラマはあまりそこらへんに抗おうと思わないタイプです。

 

「スクリーニングに来たお子さんはこちらへ!!」という案内係の声がフロアに響く。

腕のなかのケニ子に、「さ、行っておいで」と言うと心を決めたように頷いて、少し遅れて子供たちの列についていく。 

 

そういえば幼稚園に預ける以外でケニ子と長い時間離れたのは今回2回目で、昨年末のクリスマスに習い事のバレエで出演した『くるみ割り人形』が初めてだったんです。

 

あの時にも「おお!」と印象に残ったんですが、ケニ子は一度心を決めたら前しか見ないんです。

振り返らないんですよねあんぐり

 

こういう表現が適切か分かりませんが、ケニ子をみると体育会系の同級生を見たときに受ける潔い印象を受けるんですよね。

 

まだ子供だから想像力が及ばず先に先にと余計なことを考えないだけかもしれません。

でも幼稚園での子供の振る舞いをみているとすべてのお子さんがそうでもないような?

 

ケニ子は、内向的な感じが先立つけれども、だからといって勝負弱いかというというとそうでもなく、

遊んでいるなかで意外に感じたりもするんですけれども、なにかをやらなければいけない時、勝たなければいけない時に「あれこれ考えず勝つことだけに集中できる」単純な面も持っているんです。


気が弱い子では、ない知らんぷり

 

さあ、あとは野となれ山となれ。

受かったらデンちゃんが転園せずにすむし、落ちたところで、もとから私学しか選択肢になったのですから別に大したことでもありません。

 

また結果はお伝えしますひらめき飛び出すハート