お久しぶりでございます、みなさんお元気されているでしょうか
今月はケニ子ちゃんのお誕生月
今週末にクラスのイタリア人ママンと合同で誕生日パーティをすることになっているのですけれども、今日はそのママさんとともにパーティの買い出しすべく業スーにでかけ、ランチにラーメン食べに行くことになりました。
彼女は醤油で、
私は塩
そういえば、
むかーし同僚とラーメン食べに行った夫があわてふためきながら「外国人の同僚みんっなスープまで飲み干すねんか。みんな今までラーメン好き好き、よう食べに行く言うてたけど、行くたんびにスープ最後まで飲んでたんやろか。これ最後まで飲んだらあかんでって張り紙しといたげたほうがええんちゃうん」と帰宅してきたことがあったんですよね
夫のコメントをふっと思い出して、このイタリア人ママも飲むんかなと、隣を見ると、
確かに飲み干そうとしてる…!!
ダメ、絶対。
毎回全部飲んだらダメ
腎臓イカれるで。
そもそも彼女は常日頃から「リアルジャパーニーズにここのラーメンをジャッジしてほしい」と言っておりまして、そういった経緯で今回ラーメンを食べに行くことになったわけなんですけど。
夫からの「外国人ラーメンスープ飲み干す」というタレコミがなければ、カウンター席で隣同士に並んで座っている隣の人の器のなかなどいちいちチェックしなかったと思うんですよね、私。
味のジャッジ云々の前にまずスープの扱い方
まあそうよな、一杯4,000円近く払っておきながらスープを残すだなんて想像せんわな。
私はそこそこのラーメン好きを自負しておりますが(でも、あくまで一般的なレベルです。家系だとどこがどうだとか、マシマシするために二郎に並んだりとかはしません)、海外のラーメンを食べるときに気になるのはやっぱり麺のコシなんですよね
海外で外国人がオイシイ、オイシイ、と評するラーメンって、確かにスープの出来栄えは素晴らしいし、トッピングも意外なコンビネーションが効いていて面白くあるのですが、一方で、それが自家製面の場合どうしても麺のコシのなさが気になるサラマなのです。
海外にての一風堂とか食べたことないのですが、あそこ麺は日本から輸入なんでしょうか?
ジャッジっていってもよ。
外国人がラーメンをオイシイと評する場合、多くの人たちはスープの繊細さのみにフォーカスしている。<麺のコシ>という要素まで包括してラーメンを評価できる外国人ってあんまりいない。
ジャパニーズの私が本気のジャッジを求められたら<麺のコシ>という要素に触れずには進められないのだけれども、そこについてコメントしても外国人にはなかなか伝わらないのがいつももどかしいのですよね。
と思った時に、ハタと気づいたんです。
この人イタリア人じゃんよ!!!
アルデンテの国の人やん!!
「ねえねえ、アルデンテの定義ってイタリアにおいては、なに?」
という確認から入り、ラーメンを評価するにはアルデンテかどうかってめっちゃ重要な要素なんだよ、というところを力説したんですが。
正直、今日のイタリア人ママには、麺のコシの概念が理解されたという手応えを感じましたよね
サラマ実はいままでもけっこうイタリア人とウマがあうなーと感じること多かったんですが、麺のコシを理解しているという点においてさらに強まる親近感
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今日、久しぶりに晴れ空をの下を彼女とお出かけすることができて、ちょっとテンションがあがりました。
ブログ書こうかなーと自然に思えたので書きました
能登半島の震災のこと。
JAL炎上のこと。
お正月から立て続けにショッキングなこと続きで、落ち込んでしまい、なんだか書く気がおきませんでしたよね。
感情移入の能力って諸刃の剣ですよね
サラマは日本人の共感力の高さとそれを育んできた文化的土壌を常々財産のように感じておりますけれども、こういう事態の時って他人事と自分事の切り離しの難しさによって日本人には大きくダメージ受ける人も多い気がします。