話、遡ります。

 

2019年末にジョモ・ケニヤッタ空港(ケニア)を発ってから、いろんなことがありましたあんぐり

 

一部の方にしか言っておりませんでしたが、第二子の妊娠が分かったのはケニアだったんです。

すでに夫のデンマーク赴任が "ほぼ確" で決まっていたので、順当に物事が進めばデンマークで産むことになるだろうと思いつつ荷造りをしたことを覚えています。

まさか、

数か月後に世界がコロナパニックになり、

ヨーロッパでは医療崩壊が起こり、

私は夫をデンマークに残して娘と帰国することになり、

無事に出産を終えるも第二子の一番可愛い0歳の時期を夫に味わわせてあげることなく過ごすことになろうとは、当時は夢にも思いませんでした不安

 

2020年を思い返した時に、

世界中に数多いるであろう分断された家族のうちのひと組として解消できない複雑な思いがあるのは事実なんですけれども悲しい

それでも、多くの方が命を落としたあのコロナ禍で、

実家に受け入れてもらえ、日本の万全の医療体制のなかで子を産み、健康なまま夫とReunitできたことにフォーカスすると、

私たちは恵まれていたんだと感謝とともに理解しておりますお願い

 

3年間のたくさんの素敵なご縁と思い出に後ろ髪ひかれながら、

(Rさんに「ナイロビのニューヨーク」と茶化されていた)私たちに分不相応なケニアのマンションをあとにした、2019年12月26日。

 

翌日、11個のスーツケースとともに、ヒースロー空港経由でデンマークのカストラップ空港に到着したのでした。

 

上差し娘のことをすごく可愛がってくれていたうちのマンションのアスカリ(セキュリティ)さんたち。

娘もなついておりました。