カラフルな和傘がかわいいですね
春うららな風景、のんびりできました
お参りの前に腹ごしらえ
御朱印の師匠に教えていただいた、
きびそばと牛丼のおいしい「富來屋」さん
🍴 富來屋本舗 別館
📍 倉敷市本町5-27
きびそばと丼のセットをいただきました
前菜も付いていて、どれもおいしかったです
牛丼はどちらかというと焼肉丼に近い感じ…
香ばしくてやわらかくておいしかったです
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腹ごしらえを済ませていざお参りへ
食べた分は動かないと
階段をのぼってゆきます
ちょうど参拝の方が出てきてしまいました
無人のタイミング、難しい
御門をくぐると御拝殿です
■阿智神社
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➵御祭神
宗像三女神
・多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)
・多岐都比売命(たぎつひめのみこと)
・市寸嶋比売命(いちきしまひめのみこと)
➵御神徳
交通安全、海上安全、美容健康、芸能上達 、商売繁盛
➵御由緒
『日本書紀』「応神天皇二十(二九一)年九月条」に「倭漢直の祖阿知使主、其の子都加使主、並びに己が党類十七県を率いて、来帰けり」とあり、阿知使主の一族が渡来した事が記されており、この一族の一部が当地周辺に定住した事が「阿知」の地名発祥、また当社社号の由来と伝えられております。
当地周辺は古く阿知潟と呼ばれる浅い海域でしたが、高梁川の沖積作用による堆積が進み、天正12(1584)年の宇喜多秀家による新田開発以降広く開拓されました。その後、寛永19(1642)年に幕府直轄地(天領)となって以降、当地は物資輸送の一大集散地(倉敷地)として、また、周辺新田地帯の中心地として繁栄しました。
城山(現、倉敷アイビースクエア敷地内)に倉敷代官所が置かれて以降、歴代代官の崇敬も厚く、寄進された石灯籠や絵馬などが今も残されています。
江戸時代には神仏混淆により妙見宮と称されておりましたが、186年、神仏分離令により現社号となりました。
1910年6月に阿知潟神社以下近在12社を合祀、1942年4月に県社に列せられました。
創建以来、現在も倉敷中心街の鎮守神として篤く崇敬を集めております。
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阿智神社HPより
境内にはご当地キャラ「シラカベーノ」が
一緒に写真を撮ってもらったら、
かわいいステッカーと絵はがきをもらいました
手を振ったら振替してくれて
ジワジワかわいく見えてきます
そして、阿智神社でいただいた御朱印はこちらです
御本殿を背景に
阿智神社については過去のブログでもまとめています
読んでいただけたらうれしいです