強盗殺人事件の首謀者と過去に関係があったことが判明し、

問題視されている、

芸人のEXIT兼近氏、10年も前のことで、今はきちんと罪を償い、

仕事を頑張っていきたいと釈明しましたが。

 

未だ批判は収まらず、イメージは悪いままです。

 

 

何故批判が収まらないのか私なりに考察してみました、

 

結果、

 

色々な面で「軽い」ことが原因だと思い行きつきました。

 

その①動機が軽い

 

逮捕歴が二回ある兼近氏

普通に生活している人はまず逮捕されるということはありませんので、

2回も逮捕歴があるということが、まず驚きですよね。

 

同じく逮捕歴が二回ある俳優の宇梶さんが今回のことで引き合いに出されていますが、

 

2人の犯行に及んだ動機を検証してみましょう。

 

宇梶さんの場合

 

仕事と社会活動に忙しかった両親はほとんど家におらず、

姉と二人ほどの他人と暮らす生活が続くという、

機能不全家族のような環境に育つ。

 

 

そんな中、野球という生きがいを見つけ、邁進します。

野球強豪校である高校に進学した時でした、

部活内で酷いしごきとイジメに遭い、

それを告発したことで逆に濡れ衣を着せられます。

学校側はイジメを隠蔽、

担任や他の大人も誰一人味方はせず、

声もかけてくれなかったといいます。

 

唯一の生きがいと居場所を失ったことで

ぐれしまい、

暴走族に入り、暴走族間での抗争で

暴行を働き二度逮捕され、

少年院に入所

院の生活で改心したそうです。

 

大切な居場所で心のよりどころだあった野球というフィールドを

先輩たちからの酷いイジメと

大人たちの裏切りで失う事になり、ぐれてしまった。

という動機に同情ができます。

 

兼近氏の場合

犯行に及んだ動機はいまいちわかりません、

単純にお金が必要だったから?という印象です。

 

 

 

その②刑が軽い

 

過去に二回の逮捕歴がある兼近氏

 

一度目は売春斡旋

 

二度目は強盗の容疑

 

売春斡旋は10万の罰金

 

強盗容疑は不起訴、事情聴取を受けただけと釈明していますが、

事情聴取するために逮捕することは、まず無いので、

ここも疑問が残ります。

 

正式に受けた罰というのが罰金10万円のみということなのですが、

どうでしょう、擁護の声にある

「十分罪を償ったんだから」というには、

何だか軽すぎる刑な気がします。

 

勿論、法的には償ったことになるので、それで問題はありませんが、

「十分償った」と擁護することは、イメージを良くするには逆効果ということです。

 

 

 

その③発言が軽い

 

逮捕後は更生し、仕事を頑張っている。

とアピールされているのですが、

 

今回の件で、過去の発言がどんどん掘り起こされていっています。

 

 

女のこの腕の骨折ってた。

 

本人的にこれはヤンキー大喜利だったと説明していましたが、

普通こんな発言でますか?

 

 

プリクラの機械壊して出禁になったことを武勇伝として語る

 

別の件で

ある人からゲーセンを出禁になっていたことが明かされています。

本当のことかは確証がもてませんが、

本人の証言と一致したことで

信憑性が増してきてしまっています。

 

ゲーセン機械を壊したことに関しては

最近、していないと記憶しているが、それに近しいことは10代の

頃沢山していたと思いますと 弁明していました。

 

 

逮捕後 本当に改心し、過去に行ったことを

恥ずかしいと思っていたら、いくら若気の至りといえ、

こんな発言をするでしょうか。

 

不味い状況になると、記憶に無いとか、大喜利でしたとか、

けむに巻くようなことを言ったり、

 

自分のことはどうおもわれてもいいから、今被害に遭われている方に

目を向けましょうよ、

 

許されたいわけでもなく、更生をしたと言うつもりも全くない。

僕が死んだときに自分を好きでいられたら更生したと思えると思う。

 

など、開き直った発言が非常に多い。

 

黙っていればいいのに、頭が良くないから、

墓穴を掘ってしまう、ともみられるのですが、

 

私は頭が良かろう、悪かろうが、いかに文章や

喋りが巧だろうが、頭の回転が良かろうが、

 

発言って人柄や普段の思考が出てしまうものだと私は思っています。

 

 

④仕事選びが軽い

 

兼近氏は現在情報番組のコメンテーターに就いています。

情報番組のコメンテーターという立ち位置は、

 

通常、専門家やある分野で成功を収めた人など、

イメージとしては人の上に立つ人が就く像があります。

なので兼近氏のような、

犯罪歴がある上にチャラチャラした口調の人物が

上からな物言いでコメントするのに、

抵抗や嫌悪感を抱く人が多く出るのは当然のことです。

 

このことについては、本人もそうですが、

不適任なのは明らかなのに、

オファーを出した人間、それを受けた事務所などにも責任があると思います。

 

 

兼近氏はコメンテーターの仕事について、

僕は加害者側にいた人間として、そっちの気持ちも分かる

コメンテーターとして呼ばれている、他の方と違った視点で頑張りたいと

コメントしています。

 

確かに加害者の視点というのは事件や問題を解決するのに必要だと思います、

しかし、すごく違和感があります。

 

なぜならば、加害者側の意見というのは通常

目元にモザイクがかかっていたり、ボイスチェンジャーで声が変えられていたり、

別の映像といして撮られていることが殆どで、

 

光り輝くスタジオでスポットライトをさんさんと浴びながら、

コメントするものではないからです。

 

加害者側として意見するというのは、

決して光の中でするものではありません、

元加害者というのは

あくまで日陰の存在なのです。

 

⑤番外 いじめ疑惑

 

ハッキリ言って、

イジメ疑惑が一番 感情として受け入れられない

理由なのでは?

 

私が推測するに、一部を除いて擁護されている方は

この情報を知らないのではないでしょうか。

 

兼近氏の自伝小説の中で、

小学生時代クラスメイトのひとりの女の子に、

小学生が思いつく悪口の殆どを浴びせ、

暴力も振るい、殴る度に「ヤベー手が呪われた」と

弄り倒した、そして

その子は誰に守られることなく転校し、

その後転校先で死んだ。

とあり、

いじめが原因の死だったと記述されています。

 

このことについて、本人は、

この部分はフィクションだと主張しています、

 

ほぼ実話ベースで作ったという自伝なのに、

イジメの部分だけフィクションだそうです。

 

腑に落ちません。

 

 

また彼は

自伝小説について過去に

「濁さないで書こうと思うの俺。あえて。

だから自伝的小説で書こうと思ってる。

そしたら、もし、なんか意地悪な人から

「これ、なんとかの、違法ですよね。」って

攻撃受けたときに

「小説ですやん。」って言えるでしょ?

 

と発言しています、

 

これを聞くと、確信犯ですよね。

 

Twitterでもこの人に過去にいじめられたと投稿している人が

沢山います。

本当か、嘘か、それはまだ確かではありません。

 

でも、みなさんもお分かりになると思いますが、

イジメというのは、とても隠蔽されやすい犯罪なんです。

被害者もいじめを受けたということを恥に感じていたりして、

声を上げる例はとても少ない。

 

小山田氏の時とどう違うというのでしょうか、

 

 

 

小山田氏の時はあれだけ騒がれて、

イジメに時効は無いと

制裁を加えたのに、兼近氏は問題視しないで、

今まで通りに出演し続けるのは、

矛盾しているように感じます。

 

そこは自伝的小説だから?

証拠が無いのでフィクションと言って逃げる、

なんだかとても狡賢い。

 

そういうことが未だに批判が収まらない理由なのではないでしょうか。

 

日本は海外に比べて失敗したらやりなおせない国といわれています、

誰にでもやり直す機会を授ける社会であるべきだ、

 

という意見には多いに賛成します。

 

しかし、今回の兼近氏のように、

イメージを何より大切に考えているスポンサーが

沢山ついているテレビという場ではそれは難しいと思います。

 

ある映画で、内戦で人を殺してしまったという少年兵に、

医者が「9人殺したら9人救え」と言うシーンがあったのですが、

 

兼近氏もそのような社会奉仕活動をしていたら、また見られ方も違ったかもしれません、

でも、そのような活動をしていた確認はとれていません。

 

今後、はファン向けにテレビ以外で細々活動するか、

奉仕活動に力を入れて、

イメージを挽回するか、どちらにせよ、そうとう努力をしないと

今の位置に居続けるのは無理と感じました。