2020年、元原発作業員の案内で、福島第一原発事故によって避難指示区域に指定された福島県相双地区を訪れた。

 

「原子力 明るい未来のエネルギー」のアーケードのちょうど正面に、双葉厚生病院がある。

原発から非難するために、ここから多くの入院者がストレッチャーに乗せられて外に運び出される光景をテレビや新聞で見たことある人も多いと思う。

 

2014年当時はバリケードで入れなかったが、今は入れる。ただし帰還困難区域であることには変わりない。

 

中は、当時の混乱した状況を物語る、壮絶な有様。

 

看護師らの靴も9年前からそのまま残されている。

 

厚生病院の他に、看護学校や特養老人ホームやヘルスセンターも併設された、巨大な医療複合施設だったようだ。双葉町以外の市町村からも大勢患者が来ていたという。

ヘルスセンターの大浴場。カビが至る所に跋扈していた。

 

特養老人ホームの玄関。自力で立ち上がれない方はこうした椅子に乗って職員に運んでもらったのだろうか。

双葉厚生病院はいわき方面に避難しようとしたが、国道6号線は地震の被害で不通となり、長い間取り残された。福島第一原発はここから直線距離で約4キロ。

 

不通となってしまった6号線。

このあたりの住民は、6号線を避けて、通称"山麓線"と呼ばれる35号線で三春・田村方面に逃げた人も多かったそうだが、大渋滞がおこり、普通2~3時間で済むところを8時間もかけて避難したそうだ。

 

ともかく、2014年当時と比べて町は格段にきれいになっている。

2014年当時にはよく見られた崩壊した家屋や大量のフレコンパックも少なくなった。

 

 

 

崩壊し草木で埋もれていた常磐線の駅も線路も完全復活した。

現在も廃炉作業は進行中だが、全国ニュースで取り上げられることが本当に少なくなったと感じる。

福島では毎日一つは必ず原発関係の報道があるが、様々な問題が日々明らかになり、全国区にこそ報道してほしいくらいだ。

9年経って記憶から薄れていくかもしれないが、危険はまだ完全に去っていないし、問題は山積していることを改めて痛感した。

また、補償や支援政策の打ち切りで毎日多大な負担を強いられながら過ごしている被災者がまだたくさんいることを忘れないようにしたい。

国はまるで10年経ったら被災者ではないとでも言いたげだが、本来、被災者かどうかは他人に決められるものではなく、本人が決めることではないだろうか。