実は前回のブログ上げた朝に母から電話がかかって来ました




父が認知症でその為母から父の愚痴を私に聞いて欲しくて週に1回のペースで話しは聞いていました



先月父の認知症でお金がないとかお金を盗まれたとか泥棒が入ったとか母が盗んだと思っていたり




それが毎日続き母が精神的に参ってしまい泣きながら電話してきました




私はその日彼とワンコ達の病院に行く予定で準備していましたが朝8時頃にかかってきた電話は血圧が下がらないし食欲も無く眠れないとなんとか実家に来れないか?と言う話しだった




私はワンコの病院を予約している事を伝えたがそんなに辛いならばワンコの病院を別の意味に変えるけどと伝えたが



彼の予定もあるから申し訳ないから話しだけ少し聞いて欲しいと言う事で朝の忙しい時間に聞く事にした



電話は40分ほどで終わり内容は先に書いた内容でただ母が泣きながら電話してきたのは初めてで




心配でもあったが私も母と距離をあけると決めていたし迷う気持ちも無いわけでは無く




彼は私が母と電話しているのを聞いて相変わらず勝手な話しをしてくるなぁと少し怒っていた



彼は私が家族からされて来た事を知っているので都合の良い時だけ私を利用してくる両親に対して良い感情が無い




ワンコの病院に向かう車の中で私はやっぱり実家に行きたいと彼に伝えた彼は俺は悪いけど車で待ってるからと





私は彼に申し訳ない気持ちでいっぱいだったので車で待ってもらうのは当然だと思うし連れて行ってもらう立場だしごめんねありがとうと伝えた




病院から実家迄は2時間ほどかかり母に行く事は伝えずに実家に行った



1年ぐらい会っていなかったので父も母もかなり痩せたし一気に老けたと思うが正直そんな姿を見ても何の感情もわかない自分がいた





電話で話しを聞いていたような父の認知症は特にわからなくて話していてもそんなには違和感がなかった



父は私が来た事を多分喜んでいたと思うが母の話しを聞きに来たのであまり父に話しを振らないようにして相づちや簡略して少し話した



1時間ほど経ち父は二階の自分の部屋に上がって行ったのでようやく母と話す事が出来たが母は車で待っている彼に悪いと言いながらも父の愚痴を30分程聞かされて私はそろそろ帰ると伝えて




母もしきりに彼に謝っていたと伝えて欲しいと何度も繰り返し私の誕生日も近かったので母は少ないが好きな物を食べてとお金を出してきたが


私はいらないと断ったがこれぐらいしか出来ないからと強引に渡されありがとうって受け取るしかなくて私は彼に対して申し訳ないからとお金を渡して欲しいと思ったしそういう気持ちならば心良く受け取る事も出来たと思った


そんな事がありその日の夜に父から電話がかかって来た父は私があまり話しかけて来なかった事に不安を感じていたようで嫌われたと思ったらしく電話して来た



私は父に今日は母の体調があまり良く無いと聞いていたから母の話しを聞きに来た事と別に父を嫌いになったからと言うでは無いことを伝えると父はそうそうに電話を切った




月曜の朝にまた母から電話がかかって来た体調が良くなった事や食欲も出て来た事睡眠もとれるようになったと血圧も元に戻って本当に助かったと




そしてまた父の愚痴を30分ほど聞いて電話が終わった正直毎回愚痴ばかり聞いているので電話を受けた後はすごい疲労感があり疲れたとため息が出る




そしてブログの更新をした2時間後に母からかかって来た電話で私は一気にどん底に堕ちた




母の第一声は母の日に私と姉からメールや電話が無かった事の文句からで明らかに弟からは何かしてもらったという感じの匂わせだった




母の日は母から数年前に特に何もいらないという内容の話しをされて誕生日だけは欠かさずにメールをしていた誕生日も母の日も毎年必ず私は花を持って実家に行った




だけど誕生日も母からプレゼントはもうしなくていいからと言われてせめてメールは送ろうと誕生日だけメールをしていた




正直母の日は私にとっても姉にとっても良い思い出がない母の日にカーネーションを贈るというのを知ったのは小学校に入ってから通うようになった日曜教会だった




教会で母の日は造花のカーネーションを一本子供達に渡してくれた母親がいない子や亡くなった子には父親や仏壇や遺影にという意味で白のカーネーションを渡していた




今思うと当時は仏壇や遺影に飾る花はカラフルでは無く白い花がまだ多くて赤のカーネーションでは派手だったのだろうという事だったと思う




でも白いカーネーションを持っている子は何故白いカーネーションなのかは当時はわからなくてかと言ってなんとなく聞いてはいけない気がして聞く事は無かった




教会は高学年になると行ったりいかなかったりして母の日はお小遣いを貯めてハンカチや花を贈るようになっていた




そして大人になってから母はたまに思い出したかのように弟が母が使っていた化粧品を買っていた薬局で口紅を贈ってくれた事が今だに忘れられないと本当に嬉しかったと耳にタコが出来る程聞かされていた



私も姉も母の日は色々考えて誕生日と被らないようにと毎年悩みながら買って渡していたし私は仕事していた時迄は毎年贈り続けた




母は事あるごとに弟と比べてあの子は気遣いが出来るとか優しいとか言われて私はいつも嫌な思いをした母にとって弟だけが自慢の子供でしかなかった




母が弟に手をあげた事は1度もなくて年子の私は常に弟と比べられたし姉弟で1番手をあげられてきたのは私だった




姉は真面目だったし弟は要領も良かったが長男という立場は揺るぎない愛情を一身に受けて育った悪い事をしても要領の良さでバレないかまたはバレたとしてもすぐに謝るからあまり強く怒られなかった




話しを戻すが私は正直両親に対して一定の距離感を置き両親から愛されたいとか認められたいという気持ちが薄れてあきらめという気持ちもありどこか冷めた自分がいた




特に母は私に対して都合の良い暇人でありメンタルの病気も今だに理解していないし指定難病の後縦靭帯骨化症は母も発症していて手術もしているそして後縦靭帯骨化症は遺伝するとまだ最近わかって来た




私は後縦靭帯骨化症はあるがそこに頸椎腰椎にヘルニアがありその影響からかなり痛みが強くあり日常の生活にも影響がかなり出ている




最近の母の口ぐせは身体大丈夫と心配しているアピールをしてわかるわぁと共感しているアピールでだけど本当は父に対する愚痴を聞いて欲しくて電話してくる




しかも私が病院に行く日を狙って電話してくるようになり私が病院に行く支度している時間や病院の診察待ちや診察中に電話が鳴るようになって




ご飯を食べる時間に電話してくる事もしょっちゅうで私自身かなりストレスを感じていてコップの水があと一滴入ればこぼれるギリギリの状態だった




母はその日弟の日帰り手術があり送迎する事になっていると言う内容から始まりその時に母が母の日に上2人からは相変わらず何もなかったわねと爆弾を投下したのだ自分から母の日はいらないと宣言して




数年前から私は母の日だからと特に何かする事はなかったけどそのかわりではないけど父の愚痴を聞いたり母にたまにネットショッピングで買い物して贈る事もあった




わざわざ電話で母の日に何もなかったと言う必要もなかったし比べられるものではないし限界ギリギリの位置にいた私は電話が終わるまで感情を殺しいつものように愚痴を聞いて電話は切れた




電話が切れたあと私はもう母の電話やメールをブロックしようと思ったが悩んだ結果ブロックはちょっと待つ事にした




私は弟が日帰り手術も午前中に終わるという事を母から聞いていたので弟の手術の事も心配でもあったし母に当分電話は出たくない旨を自分から言うのは上手く言える自信がなかったから




弟に母ヘ伝えてもらおうと思って午後に電話をしてみたが出なかったので時間を空けてまた電話するつもりでいた




すると弟からすぐに折り返してきたので私は日帰り手術は大丈夫だったかと心配だった事を伝えたそして私は母の電話での事を伝えようとしたら過呼吸になってしまい




とにかく落ち着かないといけないと思って電話口で謝りながら落ち着くまで少し待ってもらったそして私はなんとか落ち着いて来たので弟に母の日に何か贈った?と聞いて見たらお嫁さんが贈ったと言われ




お嫁さんは母の日や父の日も勿論誕生日も毎年何かしらプレゼントしてくれていることは知っていたがさすがに弟も今回は日帰り手術があり今回は何もしていないと言われて




私は母からの電話に対する不満と今回の事で少しの間電話に出たくないと弟に伝えて欲しいと話している途中で遮られて弟は私の病院のある日にわざわざ電話してくるので困ると言うと




それを言うなら俺も言わせてもらうわと日帰り手術とはいえ身体を休めたいのにその日に電話してくるなよ一週間ぐらい空けて電話してもらいたかったとか



私も母と同じ事をしていると言われて確かに私自身も考えや配慮が足りないと思ったのでそこは謝罪して日帰り手術だからと軽く考えていたのは事実だったが




そこから弟のペースにもっていかれてしまい説教が始まり自分は優しい物言いが出来ないと開き直るようにキツい口調で話しを進められて実家と弟の家は近くて同じ市内で自分が長男だからと両親の事は自分ができる限り看ると




20代の頃に家を買い私は実家にいたし姉は大学が地方だったので実家からかなり遠い所だったし当時からそう言っていたが未来なんてどうなるかなんて誰にもわからない




それでも私だって自分の身体がこんなに不自由になるとは想像出来なかったし何かあれば私だって手伝える事はやるつもりだった弟は私にもっと実家に顔を出せと言ってきた




だけど私自身1人で実家に帰るのは難しいし彼とは結婚しているわけでもなくただでさえ自分が彼に負担をしいているかとか実家に行くにしても彼に車を出してもらわないとならない




休みの日に往復で2時間ちょっとかかる距離をそうそう連れて行ってとは頼みづらいしガソリン代もバカにならないそれに父の認知症が進むといずれ私達の事も分からなくなる




私はそうなったらそうなった時だと思っているから特に何とも思わない父に自分の存在を忘れられるぞと言われても仕方ないし私も痛みが酷いし彼を巻きこんで迄実家に帰る事の必要性を感じない




弟は自分が正しいと思い込みが強すぎるため自分の言う事を聞けと言う態度があからさまに出るので正直そういう態度がうざいし人の痛みや自分が理解出来ない事に対しては特に酷い言葉を使う




頭のかたい考え方しか出来ない所は両親にそっくりでそういう意味では姉も似ている




私は出来るだけ相手の立場や気持ちを考えて出来るだけ自分の物差しで人をはかるのも良くないと思っているから型にはめて考えを押しつけない



私は弟に話しをしたのは失敗だったと思った私は弟の言う事を聞き流して電話を切った




2日後母からメールが来て今まで愚痴聞いてくれてありがとうごめんなさいと書いてあった弟が母にどういうふうに伝えのかはわからないし




私はそのメールを読んで私の伝えてもらいたかった気持ちは何一つ伝わらなかったしそのメールに対して私は悲しいのと同時にとりあえず謝っておけば良いでしょと言う気持ちしか伝わって来なかった




なので私はそのメールに返事をしなかったのだか翌日朝からまた母から電話がかかってきたが電話に出なかった




私は今とにかく母と距離を置く時期だと思っていたのでこれで良いと自分に言いきかせながらも原因となった電話をとった日から食欲がなくなり




また眠れなくなった1日1時間睡眠が取れたら良いところしかも1時間続けて眠れない長くて30分短いと10分ぐらいトータルで1時間の睡眠




私は母が自分の発言や病院がある日にわざわざ電話してくる事に対して謝罪があればまた愚痴を聞く事は嫌だけどそれで母の気持ちが楽になればと思った




だけど母は私がどういう気持ちなのか理解しようとする気持ちがない事そして私自身が悪いのか?と言う気持ちとモヤモヤした気持ちが体に異常をきたしているのも事実




幻聴も実はあって特に夜中から朝方に沢山の人の話し声が雑音のようにはっきり何を言ってるのかわからない




キツイなぁって…




長々とまとまりない文章になってしまいましたが読んでくださった方ありがとうございます




そして前のブログ読んでくださった方イイネ押してくださった方ありがとうございます