先日、時の人になって?(ある意味 時の人)家持の妻になり、何故かその時代が近く感じるようになりました。不思議ですね。


その頃は、韓国と日本、その頃はとても行き来が多く仲が良かったのですね~


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朝鮮半島から来た人たちが、コメ生産や古墳時代を開いた築造技術を伝え、他仏像などの文化も伝えた。

中でも日本の国宝である七支刀(ななつやさのたち)<聞いたことありますね~!>は、4世紀ごろに百済から渡ったものとされています。


特に顕著だったのは、紀元後3世紀から7世紀にかけて日本に渡った人達ー

その時代の朝鮮半島は、高句麗・百済・新羅がせめぎあった三国時代。<なつかしいドラマを思い出す・・・「階伯」「大王の夢」「千年の愛」etc>

乱世の時代であったために、国家が滅亡することも多く・・・例えば、新羅が562年に征服した伽耶の人々は国を追われて、日本に渡ったという。

同じく百済人も。660年の国家滅亡とともに、日本へと逃れた。<「「千年の愛」思い出しますね~>

百済一族の一部は、日本の朝廷に仕え「百済王(クダラノコニシキ)という姓を名乗ったそう。

そして新羅が三国統一を果たしたことで <「大王の夢」だ~> 高句麗人も日本に渡っている。


朝鮮王朝建国後も、両国の交流は続き、室町幕府は60回あまりも使者を朝鮮王朝に送ったとされています。その室町幕府が滅亡して戦国時代にはいると両国の関係は自然消滅してしまった。


中略


<併せて、かの有名な高麗神社(埼玉県日高市)に関しての記事もありました。>

高麗神社の主祭神は、渡来人の高麗王若光。この方が716年、武蔵国に新設された“高麗郡”の首長となる。

当時の高麗郡は未開地だったため若光は、静岡、山梨、神奈川、千葉など日本各地から、高句麗人 1799人<この99の末数字、信憑性ありますね~>を集め、当地の開拓にあたったという。


そんな若光が没した後、高麗郡民はその徳を偲んで「高麗神社」として祀った。これが高麗神社の創建の経緯です。ちなみに、この高麗神社では、若光の子孫が代々 宮司を務めており、現在の宮司は60代目になるそうです。

                                          韓流時代劇の真実より抜粋

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その他にも朝鮮半島と繋がりのある神社、色々掲載されていましたが、とても興味深くドラマの裏側を見ているような感じですね。

韓国ばかりでなくとも、日本の色んなところに朝鮮半島の歴史が今も続いているのかと思うと、とてもドキドキ興奮しますねラブラブ


これは、チ・チャンウクssi ファン?というのではありません。彼が2013年昨年、この高麗神社に訪問された時のワンショット。

NPO法人日韓文化交流会が、毎年4月に開催しているイベントだそうです。色んなところでなんでもあるんですね~。この時のお迎えになられる皆様の衣装が、まさしく「万葉衣装」と同じです。

同じ時代を感じますね。

韓国もいいけど、時には日本にある、韓国の歴史探訪もいいかもしれないですね。

計画してみようと思います。ご一緒に行きませんか~?!