百済のキッカケは「階伯」からでしたが、百済の時代から2003年の「千年の愛」・・・ゆっくりペースで鑑賞。

ドラマを観て、また本で見て、色々知ることで、扶余の地も訪れたいな~と思っていました。
アレレレ?「千年の愛」7話でしょうか?現代に(といっても2003年ですが)タイムスリップした百済最後の王、義慈王ウイジャの娘が、扶余に訪れてガイドさんに百済滅亡の歴史を聞くーシーンがありました。

ひゃー 扶余に行ってガイドさんに説明を聞いている~!そして、わずかのドラマのシーンなのですが、なんと!国立扶余博物館の展示物を見る場面も~!!

ひゃー 虎子(男性の尿瓶)や、百済金銅大香炉
国立中央博物館の大香炉はレプリカだそうですが、扶余博物館のは本物なのかな~?などが!

いやードラマ観ていて、扶余のガイドさんの歴史の説明は聴けて、博物館の展示品まで見れた?生ではないのですがすごいわ。。。訪韓の参考になるわ~って思って関心して見ていました。


実際に王女がタイムスリップして1300年後、滅亡した自国を見て、説明を受けるなんて、とっても残酷なことでしょうね。脚本面白い~♪

益々百済が気になり、扶余に行ってみたくなりました。

白馬江ペンマガンをゆっくりと進む帆船は百済船を模した観光船。それに乗ってしばらく行くと王城のあった扶蘇山プサゾンが見える場所に。ここは有名な百済滅亡の時に3千人の宮女が身投げしたと言われる落花岩ナックァムに到達するのだとか・・・乗船したい観光船です。

また、扶余から車で南西へ移動すると、あの論山ノンサンまでは20分ほど-という。ここに百済が新羅に大敗し滅亡となった黄山伐ファンサンボル戦場跡があり、階伯の墓、そして階伯の像が建立されています。これはいつ誰が建てたのでしょう。と思う私-

今現在、芙余の古寺の発掘が進められているそうです。最近になって日本人も住んでいたいうし証拠の木簡が見つかったり、新しい証拠品が発掘されているそうです。

歴史は、近代技術によって もっと深く・・・百済と大和朝廷が想像以上につながりが深かったのでは?という推測が、明確なものになるのかもしれませんね。すごい!博物館の展示物も増える?

 ドラマから、色んなことを学べて楽しいです。

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