まだ続く・・・?景福宮キョンボックンのお話


 2002年に実際にドラマ撮影したという場所ですが、そのドラマ「明成皇后」の視聴が全然進まず、まだ見ています。


 写る場所が気になって仕方なく・・・ドラマ中に「あっ あそこだっ!」みたいな・・・で、
韓国時代劇・中


 映ってました~!交康殿の後ろにある煙突。他にも色んなシーンのバックを気にしながら・・・の「明成皇后」。


韓国時代劇・中

韓国時代劇・中
















そして 康寧殿の中、これがまたドラマを見ながらあれ ここ?


  世界文化遺産に登録されているのは「昌徳宮」チャンドックン ですが 一番最初に創建されたのは、「景福宮」。以前から気になっていた景福宮の『へぇ~』 


 皆様もご存知の通り、朝鮮王朝初代王、太祖テジョが首都を漢陽ハニャン(漢城・現在のソウル)を決めた。


交通の便、水路など好条件が揃っていた。それ以上に何よりも、漢陽が風水思想の理想的な条件を揃えたパワースポットだったということです。


 ですが・・・では何故、そんなパワースポットである場所に建てた景福宮が?

と密かに疑問を持っていました。が、その答えを見つけました。

 



 北岳山を背に、前方に清渓川と漢江がある地形は、風水でいうよい土地の条件である「背山臨水」ハイザンリンスイ=(背後に山を背負い、前面には川があること)と「四神相応」シシンソウオウ=(四方が山に囲まれた盆地)を満たしている。


これは青龍(東)・白虎(西)・朱雀(南)・玄武(北)の四神になぞらえた山に、四方を守られていることを意味していた。さらに、その外側にも四方に山がある漢陽は、二重の山に守られているのだ。


 このような地勢であれば、「気」が王宮に集まりやすくなる。また山から流れてきた清渓川に集まり、東に流れて漢江と合流。漢江は東から西へと流れているので、「気」のよどみを防ぐこともできると解釈された。


 漢陽は好条件であったのものの、宮殿の向きに関しては意見が分かれた。太祖に仕えた仏僧・無学大師は、風水思想から仁王山を背にして宮殿を東向きに建てるべきだとした。


 しかし、儒学者・チョンドジョンは違っていた。中国のやり方に従い、宮殿は南向きにするべきだと主張。チョン・ドジョンはテジョが王になる後押しをした重臣で、建国後は、テジョをしのぐ権力を持っていたとも言われる人物。二人は激しく対立したが、結局、チョン・ドジョンの意見が採用されることになった。


 もし、宮殿を東向きにしていたら、歴史が変わっていたかもしれない、こんな逸話がある。

自分の意見が却下された際、無学大師は

「東向きにしなければ、200年後に事件が起きる。朝鮮の民たちが、集団死するはずだ」 と言い放ったそうだ。


 そしてこの予言は的中する。豊臣秀吉が朝鮮に攻め入り、漢陽の大半が焼失した壬申倭乱(1592年)が起きたのは、朝鮮王朝建国(1392年)から、ちょうど200年後のことだった。

 


この〝もし、宮殿を東向きにしていたら〟のお話-パワースポットではあるものの・・・が納得            朝鮮王朝500年の舞台裏-清春文庫 より抜粋