今、この時代は、イエス様と会える時だそうです。
だから、心で、霊で聞かなくてはならない。
とのこと。
また、変化させてくださる時でもあります。
イエス様が2000年前に来られて、変化をおこし、
以前と違う世界観が広がったように、
今は、再臨を待ち、期待し、変化を求める時。
だそうです。
私は、はっきり言って、
聖書の存在は知っていましたが、
内容はほとんど知りませんでした。
過去に一度、ホテルの部屋に置かれているのを見て、
開いてみましたが、
数ページ読んで、眠くなって、寝ました。
そんな酷い状態であった私を、
イエス様に導いてくださったのが、牧師先生です。
学校の授業でも、先生によって、
授業内容の入り方が全然違ったりします。
どうしても退屈だったり、
眠くなったりする授業があるかと思えば、
とても楽しくて、頭に入ってくる授業があります。
本当に教わる人によって、
こんなにも違うのだなぁ…とよく思います。
だから、私が聖書に興味を持てたのは、
牧師先生のおかげです。
同じ牧師先生に教わった人に、
イエス様と直接会話できる方がいます。
その方が、イエス様と最初の頃にお話された時、
「あなたのことを知っている。よく知っている。」
とおっしゃったそうです。
また、イエス様が見える人は、
私達の賛美に応えてくださっていたり、
祈っている人の近くに来て、
その祈りを聞いていらっしゃる姿が見えるそうです。
その姿をほとんどの人は見ることができないから、
とても胸が痛い。
とおっしゃっています。
だから、必ず、そこにいらっしゃる。
と感じなくては、信じなくてはいけません。
何故なら、実際にいらっしゃるからです。
目に見えないものを信じることが信仰です。
だから、主はおっしゃいます。
目に見えなくても、声が聞こえなくても、
信じて、心に感動を受けて御言葉を実践する人が、
本当に尊い存在なのだと。
目に見えるなら、耳で聞こえるなら、
誰だってその存在を信じるでしょう。
しかし、実際は、
神様もイエス様も肉体がない霊でいらっしゃるから、
ほとんどの人は見えないし、聞こえません。
だからこそ、見えない存在を信じることは、
とても難しいです。
しかし、それでも、
イエス様、神様の存在を感じようともがく姿が、
そこにいらっしゃると確信して行う姿が、
主にとって、とても心が嬉しいことなのだそうです。