今、キリストの再臨のときだというお話をしました。
ヨハネの黙示録に、
「これらのことをあかしするかたが仰せになる、
「しかり、わたしはすぐに来る」。
アァメン、主イエスよ、きたりませ。」
とあります。
では、どのように来られるのでしょうか?
使徒行伝に、
「こう言い終ると、
イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、
雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。」
とあります。
つまり、霊として来られるということだそうです。
マタイによる福音書に、
「そこで天国は、
十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、
花婿を迎えに出て行くのに似ている。」
とあります。
つまり、新郎の立場で来られるとのことです。
イエス様は、霊で来られるのですが、
私達が認識できるように、
人の肉体を通して働かれます。
しかし、主の肉体となって使われる人は、
誰でもよいわけではありません。
主がしたいと願っていらっしゃることを、
従順に行う人でないと駄目です。
主の心情がわかる人でないと駄目です。
つまり、主の考えが、自分の考えであり、
主と一体となった人でないと駄目です。
少しでも、自分勝手な考えがあるなら、
一体にはなれません。
また、一体になるのだとしても、
主に使っていただいているという、
畏れ敬う気持ちがないと、
駄目です。
牧師先生は、何十年もかけて、
自分の考えを捨てて、主に従順されてきました。
彫刻家が、作品を作るときに、
余分な部分を削っていくような作業だそうです。
そのようにしてこられたからこそ、
主がおっしゃることを、曲げずに、
正確に、はっきりと伝えられるとのことです。