写真は中日時代(1991年)
写真は阪神時代(2005年)
写真は阪神時代(2010年)
矢野 輝弘
大卒選手では20年と息が長くプレー出来た選手ではなかろうか。
1991年に東北福祉大学から中日に入団。
ルーキーイヤーに
甲子園で
野田 浩司
からプロ初ホームランを打ったんやね。
あの時の甲子園はまだまったり見れた時代やったけどね
中日では中村 武志の高き壁に阻まれ外野手としての起用もされていたが
1997年オフに大豊 泰昭と共にトレードで阪神へ
阪神移籍後は正捕手になるも中日時代の1997年から合わせ5年連続最下位を経験するなど苦しい時を送っていたが2003年の阪神リーグ優勝以降は「恐怖の八番打者」として定着。
阪神ファンから生え抜き選並に扱われて野球選手として絶頂期に立っていた。
しかし2010年は矢野自身の膝の手術に加え城島 健司の加入で完全に捕手としての出番が無くなり限界を感じたのか9月2日に引退を表明した。
自身の事実上の引退試合は9月25日で古巣の中日戦(鳴尾浜)
8回に代打で登場後、9回表に同級生 下柳 剛とバッテリーを組み1イニングを抑えて最後の仕事を終えた。
試合終了後には阪神、中日の両球団選手から胴上げされた。
その5日後9月30日、甲子園で引退セレモニーが行われた。
矢野 輝弘といえば投手として一度はやってみたいノーヒットノーランした投手の女房役を2回も経験している。
一回目は中日時代の1996/8/11 東京ドーム 巨人戦
野口 茂樹を相手にね
二回目は阪神時代の1998/5/26 倉敷での中日戦
川尻 哲郎を相手に2度もノーヒットノーラン捕手をやった矢野 輝弘は間違いなく記憶に残る選手やった。
今年からはABC朝日放送の解説者として新たなる道へ
何れ指導者として阪神に戻って来る日も近いかも(^^)
生涯成績
1669試合 4921-1347
112本塁打 570打点 .274