人生100年時代。

 

いろいろな世代の方々と接していますが、思うに第二の人生を謳歌出来るか否かが楽しい人生と思えるかどうかの分水嶺かと感じます。

 

そう思って家族で出来る楽しみとして、相方様や愛娘に麻雀を教えてみたところ、めきめき上達。

好奇心持って物事に取り組むってスゴイ成果を生むものですね。

 

 

現時点でイメージしている第二の人生を謳歌するための手段は・・・

 

■旅行 

→これは数年前に準備済み。決められた枠内で気軽に宿泊が出来るシステムを利用してみることで対応してみました。何回か利用してみて、「いい買い物をしたな~」と実感。

 

 

■麻雀

→家族で出来る体制が出来てきて、近隣にも健康麻雀が出来るところがあって環境的にだいぶ充実してきました。あとは自宅に自動麻雀卓があればカンペキ

 

学生時代に読みふけった麻雀戦術本・・・全く思い出せなかったのですが、ふと

「大隈秀夫」の文字が思い浮かび、ネット検索。

ありましたありました、想い出の本が。

 

「マージャン金言集 敵に差をつける「読み」と「カン」 (カッパブックス) 新書 – 1974/1/1」

ネットで見つけて思わずポチッとしてしまいました(笑)

 

この本のキーワードをつぶやきながら学生時代に麻雀卓を囲ったのは良い思い出。

思い出深いのが「レンチャンで稼ぐマネービル」 まさに金言ですね(笑)

 

 

 

■合唱

→大学OBOG合同ステージが5年おきにあるので、これを楽しみに。

来年はそのステージがあるみたいなので、来年の夏~初冬はこの案件に注力してみようかと思っています。

 

今年の春にご縁があって「演奏会やるから参加しない?」と誘ってもらって参加させて頂くこととなった合唱団には、長らく在団されているであろう多くの方々が毎回毎回真剣に練習に取り組んでいらっしゃる。

団員の皆さんがどの程度の期間在籍されているのかは、あまりお話しする機会がないまま今に至るので正直なところあまり知らないのですけど・・・ね。相当長くいらっしゃる方々ばかりなんだろうなぁという感じではあります。

そうした中、ワタシみたいな季節によっては存在しているのか存在していないのかがはっきりしないようなフラフラした状況があるというのはとても気後れしちゃって・・・あと数カ月するとそういう季節に突入するわけで。

 

現役社会人が続くうちは、冬の寒い時期とGWやその他月末などは結構忙しいので、経常的に合唱団への常時年間参加をするというは厳しいのかも・・・とか思ったりどうしようかなぁぁと。

経常的に年を通じてそうした活動に参加できる方がうらやましいです。

 

好きな曲を9月にステージで歌う機会を頂いたことには本当に感謝。お世話になった方々には本当に感謝。

人生で、キラキラした照明を浴びて大勢の人の前でステージに立つなんて機会はあまりないものですからね。

 

うーん、関西で春から初冬にかけて活動するワンステージ団員募集とかあったらいいのになぁぁ。

テノールのセカンド専門です。トップテナーやれって言われても無理です。そんなに高い声は出せません(大汗)

 

 

 

 

さて。

 

終わりよければ全て良し

 

これは至言ですね。

 

さてビジネスパーソンとしての税務実務に携わって約30年。

そろそろ第二の人生を謳歌するための準備をしても良い時期かなぁぁと漠然と思うようになりました。

まだまだだいぶ先のハナシですけどね(汗)

 

ナンボお金あっても使うことできなきゃ空虚。

ナンボ時間あっても無為に過ごすのは空虚。

ナンボお金と時間あっても動かせるカラダもってなけりゃ空虚。

 

思うに

誰とどう過ごすか ということに尽きますね。

皆さまも健康第一で是非楽しい人生を!

人が複数集まればそれは組織。

マズローの5段階欲求にもあるとおり、人は群れるものなのだ。

 

組織といってもいろいろある。

家族という血縁で結ばれたもの。

会社や公共団体の中での組織。これは雇用契約や委任契約で結ばれたもの。

学校の中での組織。これは学校教育という社会的枠組みの活動で結ばれたもの。

 

これらの組織は、それぞれ契約や社会的枠組みのを基礎としているため、今日明日では崩れない。

血縁ほど強い結びつきはないだろうし、雇用契約や委任契約だってその契約条項での強めの結びつきがある。

学校教育に至っては原則として6・3・3・4年間の間、同じ空間で過ごす結びつきがある。

 

こういう強めの結びつきを前提とする組織は、その運営はある程度既定のルールが整えられていて、

人々はその既定のルール下で動くから、組織運営としてはそれなりに確立されている。

 

 

対して、任意の団体はどうだろうか。

例えば、大学のサークル。

サークル内の規則や運営体制はあろうが、基本は血縁でもなく契約関係も無い。

つまり縛りがとても緩い。

契約関係などがない、こういう緩い組織体の場合は、各構成員への目配せをしっかりしておくことが、

組織体の維持と継続的発展にはとても重要ではないかと感じる。

 

・サークル運営に偏りがあり、人によっては運営活動が負担になっている

・運営活動の負担のせいで、サークルに所属し続けることに躊躇する

・助け合いと感謝の精神に欠ける

 

こうしたことがあると、もとより契約関係や血縁などの前提がない組織体ゆえ、比較的簡単に人は抜ける。

まあ、当然だろう。ずっと人任せでは上手くいくはずなどないのだ。

 

契約関係などがないからこそ、その組織運営をするにあたっては細心の注意が払われなければならない。

重要な視点は公平・平等、助け合い。

サークルだろうが、町内会だろうが、同好会だろうが、公平・平等の精神がある団体であるほうが組織としては健全だ。

 

テニスサークルのなかで、延々と特定の人達がコート手配やメンバー調整、集金や支払、試合の対外調整などの準備活動をやっているとしたら、いますぐ手を打ったほうがいい。

準備活動は他のメンバーの目には入ることが少ないことが本当に多い。見える化するという性質のものではないのだ、下準備というものは。

華やかなコート上での試合は見える化しやすいかもしれないが。

ついでに言うと、「下準備」っていう言い方も好ましくない。自分自身が使う分には問題ないが。

他人から言われたとしたら、言われたほうはたまったもんじゃない。

「下っ端にやらせとけばいいだろ」っていう深層心理が出てる感じがして、こうした組織内で使うワードとしては極めて不適切。

 

で、他のメンバーは「お客様」状態になってやしないだろうか?

「なんか知らないうちにうまくやってくれてるから助かる~」なんてのたまっているとしたら、愚の極みだ。

組織内での温度感の差に卒倒してしまう。

 

契約関係にない緩い組織体は、助け合いと感謝の精神がとても重要。

人は助け合って支えあって感謝しあってこそ心地よく互いに過ごすことが出来る。

もちろん、ビジネスの現場でも大事にしたい精神だ。

中長期プロジェクトの進行にどっぷりハマっているときは、そのプロジェクトの完遂のためにあれやこれやと日夜考えて過ごしつつ、関係者が集まる集合場所に向かう。

いざ集まると、あーだこーだとやりあいながらゴールに向かって突き進む。

そのときの心身がどうだなんて考えるなんてことはない。

ただただタスクをこなし、プロジェクトを成功させるためにあらゆる観点から行動する。

プロジェクト担当中のビジネスパーソンなんてみんなそんなもんだ。

 

 

で。

 

その中長期プロジェクトが無事に終わって、何もまだ次のプロジェクトが始まっていないときに、いつもの関係者が集まる集合場所に向かったとき。

 

電車を降りて川沿いに伸びる街路樹が整備されたいつもの道。気のせいか夏なのに木漏れ日すら心地いい。

橋を渡るとき、キラキラと日の光を浴びてサラサラ流れる川や遠くに見える山々、可愛い形をした飛び石で遊ぶ子供たちなどを清々しい気持ちでゆっくり眺める余裕すらある。

夏だから決して涼しい風ではなくやや生温かい風が頬を伝って抜けていくが、それすら不快な気分にはならない。

 

なんて足取りが軽いんだ!!

 

集合場所に向かう同じ道を歩いているはずなのに、全く心身の状態が違うことに気づいた。

数カ月前、まだプロジェクト担当のプの字すらなかった頃、この道を歩き始めたころに近い感覚。

 

 

えっ?!

何もないとこんなに心身って軽やかになるの?!

 

そう、プロジェクト進行中の心身と、プロジェクト終了後の心身との間にはこんなにも大きな違いがあったのかと初めて理解した次第。

 

そうか、常にスマホに気を配って何か連絡がないか、何か対処しなければならないことないか・・・と張り詰めることもないんだ!

 

その落差に非常に驚く。

一体いままで無意識のうちにどれだけ心身にいろいろ影響があったのだろうか・・・などとふと我に返ったり。

 

・オベンキョーをするために月曜日の朝に学校に行くとき

・夏休み中に友人に会うために登校日に学校に行くとき

 

同じように登校していても、まったく心身の状況が違うわけだがアレと同じようなもんか(汗)

 

プロジェクトに取り組むすべてのビジネスパーソンの皆様方の幸多からんことを!