南砺市の旧福光町坂本から金沢市に向かう旧街道は「殿様道」と呼ばれています。その殿様道のうち坂本から金沢市二俣町の本泉寺までの間に安置されている観音石仏について、今日から何回かに分けて写真とともに記します。
この案内板は、旧福光町小俣から医王山国見ヒュッテに向かう通称「百万石道路」の方坂峠にあります。
『江戸時代文政の頃、石黒竹の和泉村に石崎市右衛門という名家があり、年頃の娘さんが難病にかかった。あらゆる手を尽くしたが一向によくならず、悲嘆に暮れた娘は小矢部川に身を投じた。両親の悲しみは一方ならず、その供養を隣村の安居寺の住職に相談したところ、弘法大師が発願建立された西国三十三か所お寺の御本尊の観音仏さまを石に刻み朴坂峠超えの道傍に安置することが供養となると教えられ、早速、石工に依頼し、坂本村端から加賀の二俣村入口までの道傍のところどころに寄進して安置したのが由来といわれる。』
まず、観音石仏の現状を紹介する前に、西国三十三札所と観音さまの名称について触れます。
西国三十三札所を表にすると次のとおりです。(現時点で最新化しました。)
この記載のルールは次のとおりです。
・札所本尊の名前は、当該お寺の公式サイトおよび準ずるサイトの記載から、一通りであればそのまま、二通りあればその固有部分を公式サイトの記載に括弧付きで付記した。
・第三十一番札所は、札所本尊が三尊あるため列挙した。
ここで、千手観音さまについて触れておきます。千手観音さまは、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。つまり、千手観音さまも千手千眼観音さまも同じなのです。しかし、上表のとおり、三十三札所の本尊の名称としてまちまちであることがわかります。
次回は、実際の石仏様の安置場所について記します。

