心を開く とは?

 

心を開くには、

どうして 心を閉じてしまったのか? を、まず 知りましょう!

 

心を閉じている理由は、おおよそが、「恐怖心」というもの!

傷つきたくない、とか、

嫌われたくない、とか、

落ち込みたくない、とか、

本当は、そんな自己じゃない、とか…

 

自身の感情で 現実の行為を 否定反発して、受け入れたくない自己ばかりが、理由に並んでいます…( 自己の現実否定 )

 

では、なぜ、わざわざ感情を出して荒げて、否定反発したい自己なのか?

 

他者に 悪意・悪態の行動をすれば、他人も自身の心も、傷つき、汚れます…

当り前です!

その当り前のことを受容しない自己は、現実にそれを経験しなくては、やった自身が、やられた他者が、どんな気持ちになるのかが、わからない…

 

で、実経験をして、悪態とは どのような気持ちになるエネルギーなのか?を、知った!

で、その悪態をやった自己なのに、自身は 傷つきたくない、汚れたくない、訳ですか?

 

他者は傷付けても、自身は傷付かない、と…?

これって、あり、ですか? で、それって、狡い、卑怯、ですよね…!

 

で、悪態をした自己が、逃げられる理由、ありますか?

お天道様は、随時、すべてを、観ているの ですよね…

が、

悪態をして、「傷付く」とは、どのような気持ちと感覚になるのか?

単に、その「学び」、ですから…

 

よいことをすれば、双方よい気持ちになる

が、わるいことをすれば、双方とも嫌な気持ちになる

その当然のことが、わからない、とは?

 

自己自身とは、どれ程、他人に対して、自己に対して、思い遣りと温かさがないのか?

愛が ないのか? と、いうもの…

 

その自己とは、どれ程、無痴で、傲慢で、我が儘なのか?

それを、幼稚、稚拙、と、いいます!

それを、知って、観て、自覚すべき、なのでは…?

その悪態をやった自身と、やられた他者の気持ちを、感じて想う、ことが、心の学びです!

 

どんなに 観るのが「嫌」でも、認めるのが「苦しい」でも、

その悪態を好んでやった、汚ない狡い自己なのです!

これらの現実の事実を、認めなければ、心は戻らない…

 

傷つきたくない、とか、

嫌われたくない、とか、

落ち込みたくない、とか、

本当は、そんな自己じゃない、とか…

 

、これらの言い訳ご託の、現実否定の自己否定が、意識的に心を閉じさせ、現実から逃避させていきます。

そして、のちには、自己を喪失させます。

 

では、なぜ、そんな悪態行為をしたのか?

その相手に対し、どんな感情を持ったのか?

嫉妬か、妬みか、羨望か、…?

この自己中心で 自己本位の感情は、なぜ 起こったのか?

 

で、現実に、

その悪態行為は したのか?、してはいないのか?

が、確実に、過去に、その行為をした現実が、残って在るでしょう!

 

はい、結局は、

エゴの自己の悪態行為を、保身(保護)し、隠蔽するための、自己の現実否定(防衛)、ということです!

わかりますか?

で、やった、ことを、やっていない、ことにすると、その時間は、空白になる

すると、ポッカリと穴が空いていて、抜け落ちてしまっていることになる

記憶に、ご在ません…

と、なり…

自己の現実拒否となり、自己放棄となり、先には、自己を喪失して、自己の行方不明者となる…

で、やった それと類似した、同じような行為を、何度も何度でも  繰り返し させられる…

無しにした、時間の行為を、取り戻させるかのように…

それは、エゴの穴埋め悪態の繰り返し…です

そして、その悪態エゴを、本人が心から受容するまで、終わらせない…

 

何度でも転生させられて、何世も続けさせられる方々が 多々います…

それは、これらが、とても大切な「魂の学び」、だからなのですね…

 

悪態は、万人に不幸せを与えます!

俗に、坊主殺せば七代祟る… と、…

故、本来、人間の「すべきことでは、ない!」と、いうことです

 

他者を傷付けて不幸にすると、その方を応援するたくさんの魂の方々もを不幸にし、自己自身も不幸になります

エゴとは、独り善がりな 我が儘な 残酷な「虚妄」です…

エゴ自己とは、単なる「ダミー」だというのに…

そして、その否定行為は、やった者・やられた者の意識を、下へ下へと 引きづり堕とす…

 

幼稚な愚かさに増して、意地やプライドを、引き合いに出して、

必死に、誤魔化し続けるとも…

筋違いの内容は、道理には通らない

故、辻褄が合うように、また 改たな強引なエゴの修正を、入れさせられる…(事故、怪我、病気…)

自己都合の感情の「よしあし」では、片がつかない、関与している「カルマ」という、魂のエネルギー事情が その中にはある…

が、常に現実とは、自己を認めるための「課題」です!

 

で、自己の現実を拒否すると、自己は  虚妄世界に  再び  入り込み、自己を隔離して 隠そうとしていく…

故、心を閉ざし、「今」が、視えなくなる、感じなくなる…

だから、自己は、行方不明者になる…

ここまで堕ちる前に、エゴの保身を手放すことに、気付きましょう!

 

過去の内容は、過去の事例であって、「今」のことではないのです!

過去を認めても、今の自己は、痛くも痒くもないのです。

出て来るのは、「嫌」やら「ダメ」やら「知らない」やら…の 受け入れない感情なだけ…

そして、自身が、悪態をしたことなんか認めない、という理不尽な強情の現実否定!

 

本当は、素直に悪態をしたことを認めれば、「償う」気持ちが 生まれてきて、気持ちは落ち着いてくるのに…!

過去の悪態は、われの幼稚性からの脱皮のための、目的エゴです!

故、やるべくして、やった行為、です!

 

が、自己保身エゴとは、自己を守るかのように見せ掛けて、更に悪態の方向を示して誘導をかけ、自己を脅すのです!

対処は、

「嫉妬で悪態をした」、と自己の過ちを認め、他者と自己に反省・謝罪する!ことです。

 

これ、実は、とても気持ちがよい、のです!

古い感情の浄化ですから…

過去の自身の過ちを赦し、傷付いた他者と自身の心を 愛する!という癒しの方向です…

古い過去を、いさぎよく認め、精算を してみましょう!

 

 (注釈、

そもそも、エゴとは「虚妄」のものなので、否定しても、もともと存在してはいないのです。 でも…自己の欲のエゴ行為を認めるために、必要な悪態という「分離」エネルギーの経験と学びのためのものです!)

※ これを受容できますと、一回り「心」の域は、拡がります!

 

わたしたちは、 今、ここに生きる、みんな よろこんだ 輝くの生命(いのち)です。

本日も、ありがとうございました。(^^)/ happy~

 

Ps. 2024,2,2 エンジェルズ ゲート オープン、2,4立春

2024年は、建て替え・建て直しの強化年月・・・

各、潜在意識の浄化を 真剣に考えて、実践しましょう!

今までと、まるで違う自ら自身に成って、もう よいでしょう!

エゴの縛りを解いて、自由に… 心に素直になって…

2024年は、真実の愛に出会う年! われを信じて…

豆まきの豆を使って、ちょっと辛いチリ・ビーンズをナンにのせて…~♪

(Yahoo photo;スノードロップ…希望)