意識とは、


意、 音とは、口の中に物を含むさま。言葉にならない想いのおとの意味。

意は「音(含む)+心」で、心中に考えめぐらし、想いを胸中に含み 外に出さないこと。

こころ。おもい。心中でおもいめぐらした考え。


識は、音符の戠(ショク)は、織の原字で おる の意味。

それに 言を加えた字で、目印や名によって区別し、その名をしるす。

言葉を縦横に整え織出して、物事を区別する、知るの意味も表す。


意識とは、物事に気づくこと、またそのこころ。感知。知覚。

はっきりした自律的な心の働きがあること。自覚。覚醒。見当識。

状況、問題の実情を、はっきり知っていること。


意識とは、「創造」。

すなわち、自己を形成している基盤となっているもの。

つまり、自己の「本質」である。


意識とは、顕在意識、深層意識、潜在意識、無意識 がある。


常日頃の自分の「生き方」が、何を「主体」として生きているかによって、人の意識の階層が決められていく。


エゴの自我欲に支配されて生きている人は、

「意識」の主体となるものは、簡単・楽・得・満足などの目的による、自己中心・自分本位・自己都合なる 私利私欲が大半。

ゆえ、意識 そのものの理解すら困難かも。


が、意識の進歩がある方は、見えないものを見、感じないものを感じ、触れられないものに触れられる という、超感性を もっておられる。


自己意識を、単に、対象を知覚・認識するだけの、働きのみで留めておいては、まことに進歩には程遠く、是が非でも、自己の意識を自覚・理解できるところまで上げていかねば、

「内なる自己」とは繋がることはできない!


では、どうすれば、意識は上げられるのか?


日々、「反省」をする。

日々、己の罪を 「謝罪」する。

日々、生かされているすべての諸々のものもの方々に、深く「感謝」をする。

食事は、一日、二回、玄米菜食の食事を よく噛んで味わって、ありがたく頂く。

太陽礼拝をする。

月光礼拝をする。

朝夕に、腹式呼吸法の 瞑想をする。

自己受認をする。

自然な、素のまま、ありのままな 自分自身の表現をする。

今、自分がしていることに、常に、意識をもって 行動する。

今日一日の、自分の行為のすべての内容について、是非を判定し、心の流動の経過を 深く理解する。

朝、一日の挨拶の言葉を言う。

晩、一日の感謝の言葉を言う。


日々、お陰様で幸せです。

まことに、ありがとうございました。


これらを 日々、行っていくうちに、必ず、何らかの「気付き」がある!


「力」とは、努力の継続!

ゆえ、ただただ、頑張ること!


「内なる自己」とは、すなわち、無意識の中に存在している自分自身の「霊」の方。

ゆえ、その方と繋がることができたなら、その人に必要な「智慧」を 「気付き」や「発見」として、

お伝えしてくださることだろう。


六識

  眼識・・・眼で色(物)を見て感じること

  耳識・・・耳で声(音)を聞いて感じること

  鼻識・・・鼻で香(香り)を嗅いで感じること

  舌識・・・舌で味を味わって感じること

  身識・・・皮膚で触れて感じること

  意識・・・心で法(愛・優しさ)をとおして感じること


これらの認識の働きが、すなわち、人の「感性」となる。


自分自身の内的要因に、日々、眼を向け、もっともっと、自分を敏感に感じるようにならなければ、

自分の心の理解、自分の意識の理解、自分の深層意識の理解、自分の潜在意識の理解、には、

遠く 及ばない!


人は、誰もが、自分についての、多々様々なことを繊細に理解していなければ、自己のケアもできず、

心の平穏・安息は 得られない!

そして、絶えず感情に振り回され、欲望にさいなまれ、葛藤とストレスだらけ!

ただ、悶々と、日常の常癖・悪習慣を 無関心に いつもの通りに繰り返すだけ!


もう、外面の体裁を気にする時間は、終了した!


いい加減、我儘を終了して、自分の中身を 磨こう!

自分の答えは、すべて、自分の中にある!