父は

確かに人情の厚い人間だったのだろう

困った時は頼りになる人物だったとは思う

父なりに私に愛情を注いではくれたとは思う


しかし

それらを帳消しにしてもたりない

父は昭和の暴力暴言クソジジイだった(# ゚Д゚)

今で言うDV

昭和には

そんな言葉はなかったように思うが〜


鮮明に覚えていることがいくつかある


恐らく

私が

小学校に上がるか上がらないかくらいではないか?


昔の実家の玄関の前の部屋

そこにはテレビと桐ダンスがあった


桐ダンスの横で

理由や経緯は全く覚えていないが

父が激高して母を平手打ちした


口汚く罵る父

泣きわめく母

そして

母の左の鼓膜は破れた



私の知る限る母は

父の平手打ちにより2回は鼓膜が破けている


父と母が夫婦喧嘩を始めると

私は自分の部屋に逃げ込んだ



冬だったのだろう

炬燵で夕食を食べていた

私の前には父

やはり

理由や経緯は覚えていない

激高した父が

熱いお味噌汁の入ったお椀と箸を私に投げつけ

怒鳴る



元旦に

おせち料理が載っている卓袱台を

漫画のような卓袱台返しをしたこともある



食事の際、箸やお椀を投げつけられるのも

卓袱台返しされるのも

結構日常的だった


私には

父から平手打ちされた沢山の記憶がある

ただ

それも結構日常的で

「ブタレタ」という断片的な記憶だけ残っている


最後に平手打ちをされたのは

私が

車で交通事故を起こした時である

社会人1年目だった

交通事故を起こした私が悪いのではあるが


どんなに愛情を注いでくれたとしても

「暴力」だけ鮮明に思い出せる


結婚して

私は旦那にいつも言っていた

「私は、クソジジイに殴られて育った(# ゚Д゚)

クソジジイが弱ったら

5倍にして仕返しをしてやる(# ゚Д゚)

往復ビンタと後頭部を殴ってやる(# ゚Д゚)」



ほとんど実家に行かない私を

いつも旦那が繰り返し諭した

「後悔するから

元気なうちに両親に会っておいたほうが良い」


それはね

旦那はね

殴られて育ってないから

そんなことが言えるのだ


元気なクソジジイに度々会ったら

私とクソジジイは本当に殴りあうよ?

少なくとも私、ジジイに仕返しするよ?

警察来ちゃうよ?



入院して、とてもとても弱ったクソジジイが

とてもとてもとても嫌な顔をして、

母や私に

「バカイッテンジャナイ」から暴言を言い始める


特に母にはあたりが強い

母の顔色は赤黒くなる

母は、追い詰められて

しょぼくれた大型犬(失礼)のようだ


私は穏やかに母を庇い、父を優しく嗜める

物凄く、我慢している

自分を抑える

奥歯を噛み締めて、心を無にする



「アア、ヤハリ、ワタシ、コノヒトハキライ」

って、実感する


その暴言も

いえなくなったが〜

(酸素マスクを使用しているので)


暴力は何も産まない

憎しみだけ鮮明に残る


ずーっと実家に近寄ら無くて正解だった

クソジジイが元気な時に

決定的な諍いを起こさなかったから

そして

暴力には暴力の仕返しはしない

暴力は何も産まないからね