私の最初の記憶は

1人で近所の小児科に向かって歩いているところだ。
2歳か3歳ぐらい。

何度か行ったことのある病院だったので、道のりは分かっていた。
坂を降りたところの横断歩道を渡って、左に曲がるだけだ。

その横断歩道は比較的大きな道で、
信号機も付いていた。
ちゃんと信号機が青なのを確認して、
手を上げて渡ったらしい。

※母が私を探している途中、
横断歩道近くのガソスタの店員さんに聞いた情報。

その後、
小児科で母と兄が来るのを絵本を読みながら待っていたら、
母が血相を抱えてやってきて酷く怒られたのを覚えている。

後から母親から聞くと、
兄を小児科に連れて行く為に
玄関を開けて靴を履かせている隙に、
抜け出したらしい。

3歳ぐらいの子供が500mぐらいとは言え、
1人で信号機付きの横断歩道を渡り、
目的地に向かうなんて、
親になった今では恐ろしく思う。

もしもあの時、
【信号機が赤だけど渡っていたら、、、】

【自転車などに轢かれていたら、、、】

【車に無理やり連れ込まれ誘拐されていたら、、、】

今の私は無かったであろう。

人生とは選択の連続であるが、
今、こうして薄給ではあるが
ホワイトサラリーマンをやっていて、片道1時間の通勤電車の中で
暇つぶしに我が人生を振り返り、

文字にしているなんて、、、

私は、
親や友人、先生やクラスメイト、先輩、後輩、同僚など周りの人に恵まれていたように思う。

感謝の想いを込めながら、書いていきます。

私は軽度ではあるが、発達障害である。
ADHG(Attention-deficit/hyperactivity disorder)とは、【不注意】と【多動性・衝動性】の2つの特性を中心とした先天性の特性です。

診断は受けては無いが、
関連の本や記事で特徴などを調べたら、
俺の事か?と見事に一致することばかりである。

もしかして、これを読んでいるあなた自身や家族、友達が似たような特徴を持っているかもしれない。
でも、悩まないで欲しい。
いや、悩むのは当たり前だけど、
どうか絶望はしないで欲しい。

全人類の中のたった1人の話だけど、
誰かに読んでもらえて、
何かになれば良いと思う。
エッセーとか小説ってそんなもんでしょ。

話を元に戻すと
昔から落とし物と忘れ物が桁外れに多かった。
財布や携帯は落とす為に存在していると言っても過言では無い。
ポケットは異次元に繋がっており、
鍵などを入れれば最期。。。
運が良ければ3日後にベッドの下から出てくるが大概は新しい物を買い直したタイミングで出てくるか、一生出てこない。

学生時代は教科書一式は学校に置きっぱなしというライフハックを行った。
その為、終業式の日は学校と家と2往復したこともある。
メモを書いたメモを秒で失くすのでケータイのリマインダー機能をフル活用している。

小学生の3年生までは靴下や上履きも履かずに裸足過ごした。
鼻くそはところ構わず、
4年生までほじくってた。

帰りの会で女子に「今日、掃除の時間に鼻くそほじってましたー!その手で机とか運ぶのは汚いのでやめて欲しいでーす」とクラス全員の前で公表されて、恥ずかしさで泣いた。走って帰った。母親の膝の上で声を上げて泣いた。

次の日から、鼻くそはちゃんと人が居ないところでほじくるようになった。その後は手を洗うようにした。

5年生でクラス替えがあり、
鼻くそ事件を知る人は少なくなった。
中学受験が流行っていた時代と地域なので、
頭が良い奴らは、
俺みたいな奴には絡んで来なかったので、
いじめられることもなかった。

中学校は
近所の中学校に通った。