クリスマスも終わり、
スーパーにいけば、数の子や黒豆、栗きんとんが売られ始めて、
なんだか周りも自分も気忙しくなってきて、
いよいよ年の瀬だなぁと感じている今日この頃。
この2005年ごろの地方Fラン大学生シリーズも年内では最終投稿となります。
と、いうか書き溜めていた人物のストックは出し切ったので、もしかしたら最終回になるかもしれません。
読んでくれた方々、
どうもありがとうございました‼️
こんな駄文を読んでくださり、さらにいいね😊
までくださる方々には絶対に来年も良い年になると確信しております👍
良いお年をお迎えくださいませ。
ちなみに地方Fラン大学というのは、
関東でも関西でも無いところにある、
Fランクの学力の大学ということです。
夢もやりたい事も無いけど、
高校卒業してすぐに社会に出て働くのは嫌だから、大学生という肩書きだけで4年間の猶予を手に入れた奴らがくる所です。
勉強もスポーツも研究も一生懸命やれば、
それなりに大学側も手伝ってくれますが、
やりたく無ければ追いかけてくる事もありません。
その為、多種多様な人間が集まります。
そんな人たちを脚色を加えながら、
イラストで紹介していきます。
時給800円ぐらいのバイトをコツコツ頑張って、憧れのブランドの服をゲット!したいところだが、Tシャツやズボンは高くて買えないので、キャップなどの小物を先に買っちゃうヤツ。
どんな時でもどんな服装に、絶対にお気に入りの小物は欠かさない!
その為、トータルコーディネートで見るとキャップだけが浮いてしまっている状態である。
そして、毎日身につけているので汗染みや日光によって色褪せてきて、ブランドを身につけているはずなのに、ビンボー臭くなってしまう。
憧れのブランドの服を買うために、食費をケチっているために、いつも空腹である。
彼の座右の銘は『オシャレは我慢』である。
さて、いろんなオシャレ迷走男子を紹介したが、
もっとも厄介で重症なのが、
「足し算のおしゃれ病」である。
当時、我が町にリサイクルショップが出来た。
店主やバイヤーが買い付けをしているいい感じの古着屋とは違い、一般の人が着なくなった服を買い取り、それをまた販売するお店をリサイクルショップと言う。
激しく汚れていたり、傷んでいなければ買い取ってもらえるし、中古品ということを気にしなければ、かなり安く買い物ができる。
とくに、クセが強いデザインだったり、破れていたりすると500円出せば、おつりが来たりする。
その中でも特別にお気に入りのコーナーが
「詰め放題」である。
2500円支払えば、専用の袋に入ったぶんだけ自分のモノにできるという画期的なシステムである。
元が何色かわからないような薄ーいグリーンの半ズボンや、少し引っ張っただけで破れてしまうようなTシャツが売られていたが、ビンボー学生の私にとっては、宝の山に見えた。
効率よく詰め込むために、Tシャツの畳み方も家で練習した。
その結果、お値段以上の物量の服を手に入れることが出来るようになった。
そしてその後、自宅に帰った後は鏡の前で色んな服を組み合わせて1人ファッションショーに励んだ。ファッション雑誌のマネをしたり、誰かとカブるのはダサいと思っていた。
そんなある日、自分だけのスタイルを発明した!
それは、
長ズボンの上に半ズボンを履いて、ワイシャツを着て、その上にチェックのシャツを羽織り、そして腰に幾何学模様のシャツを巻いた。
雑誌に紹介されてた訳じゃないし、
人とカブる事もない!
ドヤ顔で大学に通った。
友人数人から「服が好きなんだね。」
と言われても、
『そうだよ!将来の夢は古着屋を開く事なんだ!」とドヤ顔で言っていた。
もしもタイムマシーンがあるのなら、あの頃の自分に剣山の上に正座させて、小一時間説教をしたい、、、
そんなヘンテコな古着おしゃれ気取りも就職活動と共に終わりを告げた。
髪の毛は就活マニュアルの通り黒色に戻し、清潔感を全面に押し出した短髪にした。
上下黒のスーツに白いシャツ、よく見るとほんのりペイズリー柄のネクタイを着ることが多くなった。
外見は「周りと同じ」が求められた。
就職活動を半年もやってると、不思議なもので、
自然と気持ちまで「周りと同じが正しい」と思うようになっていた。
初めの頃は抵抗があった就活ヘアーも馴染んできて、鏡に映る自分にも見慣れてきた。
そうすると、今までドヤ顔で着ていた古着たちが
途端に小汚く感じてくるのである。
ボロボロで派手でサイズの合わない服を着ていると、なんだか自分がだらしない人間になってしまったような感覚に襲われた。
部屋の半分以上を占めていた古着を車に詰め込んで、リサイクルショップに売りに行った。
一枚一枚は10円とかそんな値段が付いたが、
量があるので、合計ではそれなりの金額になった。
そのお金で新品のネクタイと黒い皮の名刺入れを買った。
こうして私はどこにでも居る普通のサラリーマンになった。