孤高のシェフこと自分だが、この世界に入った当初は
ラウンジのチーフという仕事からである。
たまたま店の求募スタッフの張り紙を見て採用されたのである。
会社退職後、とりあえず早朝はカラオケボックスで働いて
自分の方向性を模索していたのだ、漠然と飲食業みたいな感じで・・
(トム・クルーズの「カクテル」は既にビデオで見ていたが)
そろそろ会社生活、サラリー生活に、おさらば!
ピリオド 「。」
終止符を打ったのである。
そして、飲食業の世界にジミにデビューしたのだ。当時25歳である。
(特にあてもなく退社し、失業保険をもらいながら活動開始してた
フロムエーである。しかし現実は厳しく、未経験で25歳
どこも雇ってくれなかったのである。凹)
組織では使いにくいのは、自分でも自覚していたが・・・・・・
その張り紙のラウンジ店1Fから直の階段でB1へ(梅田)
なぜか1Fにある単独の大きな看板には「居酒屋パブ」と表示?
中へ入ると赤いジュータンで重厚なカウンターとボックス席である
余裕ある内装と間取りで、看板とギャップの差が凄かったのである。
それを知らずに階段から降りてきて逃げるように上がっていくお客を
よく追いかけたこともあった。
まあ、個人の(オーナーママさん)店なのでよくあるパターン
そういう路線が過去にあたのだろう~
なのでシェーカーを振るメニューもなく
もともとバーテンダーもいなかった(男性は自分だけ)が
やがて女の子も辞めていき気が付けばママと二人で
閑古鳥が鳴いている状態だった。
オーナーママに仕事が認めてもらえるようになった頃を
見計らってというか、これでもかというぐらい働いたので(仕事した)
ので、この提案は当初から自分ひとりで計画的反抗だったのである。。
店の営業内容に「カクテル」ショットバーの要素を取り入れるを
受け入れざるえない状況を短期間(約3ヶ月)で作ったのである。
そして、ママが落ち込んでいる時、ここぞというタイミングに
話を切り出したのである。
「ママ、相談したいことが・・・・」
「省略 ・・・・・・・・・・・・・・ 」
「それ誰がやるの?」となり
「もちろん自分がバーテンダーとしてカクテルやります」
「シェーカー振れるの?」
「今は、まったく出来ませんし、やったことありません」
「やる気はあります。知恵と工夫すれば、場所がいいので
ショットの新規お客さん、来ます!やってみないとわかりません!」
「わかった、やってみよう!」
となった。
<当時の孤高のシェフ25歳のテンションを例えると>
プロジェクトAの沿岸警備隊復活、司令官にジャッキーが任命される
シーンに近いものがあったことは今でも忘れていない
細かいことは忘れたがそんな感じで説得して
少しずつカクテルメニューを増やしショットで飲める料金体制に
変えていったのである。
つづく・・・・・・