↑題名、ミスではありません♪♪(笑)
日付替わってもう4月!エイプリルフールですね^^/
皆さんの身の回りではどんな嘘が飛び出したでしょうか??
おっと・・・この記事に嘘はありませんので、よろしくお願いします☆
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昨日は転部後初のオリエンテーションがありました。
あっ!そうなんです。
自分が本当に学びたいことが明確になり、この度思い切って転部いたしました!
工学部⇒文学部
この報告をするとみんなから驚かれてしまいますが、
今まで出し切れなかった分、新しい場所で力を発揮していきます
眺めてたらお花見がしたくなりましたっ
お花見といえば秀吉公の・・・!
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醍醐の花見
豊臣秀吉が慶長3年3月15日(1598年4月20日)、京都の醍醐寺で
秀頼、北政所、淀殿ら近親の者を初めとする諸大名やその配下など
約1300名を従えて盛大に催した花見の宴です。
その日の輿の順も記録に残っていて、
一番目に北政所、二番目に淀殿、三番目に松の丸殿、
四番目に三の丸殿、五番目に加賀殿、
その後にまつ(前田利家正室)が続きました。
宴会の席で、正室である北政所の次に杯を受けるのを淀殿と松の丸殿が争い、
まつがその場をうまく取りおさめたという話が伝わっています。
応仁・文明の乱のあと荒れ果てていた醍醐寺を復興した中興の祖、
第80代座主である義演准后(ぎえんじゅごう)は、
豊臣秀吉の帰依を得て良好な関係を築いていましたが、
秀吉の最期が近いことを感じ取り、一代の華美な英雄の最後に
ふさわしい大舞台をしつらえるために、
あちこちにそれとなく手配をしてこの醍醐の花見を催させたとも云われます。
秀吉はこの約半年後に没しました。
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この花見で詠まれた和歌の短冊は、
三宝院(京都市伏見区醍醐)に保管されているそうです♪
醍醐寺では、現在でもこれにちなんで毎年4月の第2日曜日に
「豊太閤花見行列」を催されているんだとか!
見に行きたいですなぁ(☆。☆)
さくらの花をイメージしてちょちょいっと描いてみました♪
もっとセンスが欲しいです・・・!
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