こんばんは🌙
谷釜尋徳さんの
『歩く江戸の旅人たち』
スポーツ史から見た「お伊勢参り」
を読みました
ところで
タイトルの囲み数字がフォント違いのしか出せません
どなたかの通常サイズのをコピーさせてもらってもペーストすると小さくなります why?
調べてみたら
どうやらiPhone界隈で起きる現象のようです
なんで19だけなんでしょ 謎
本題です〜
庶民が経済力を手にした近世後期
娯楽目的での長距離徒歩旅行が全国的に大流行し目的地として最も賑わったのが伊勢神宮だったそうです
ほぼ60年周期で起こった『お陰参り』の中でも最大規模だった文政13(1830)年のお陰参りでは日本人の庶民の6人に1人が伊勢神宮へ参拝していた計算になるとか
こんなに信心深い人だらけだったかと言えば実は怪しくて
旅行で異文化に触れたり遊んだりするための口実に伊勢神宮を使っていたらしいというのだから笑えます
とにかく歩く
当然のことながら
電車もバスも自転車すらない時代ですから
歩くしかないわけです
1日何キロ歩いていたか
昔の人
すごい距離歩いてました
ちんたら歩いていては到着しないし宿代もかさみますもんね
同行者の数とピッチの関係についても考察されています
トイレ問題
もよおしたらどこでどうしていたのか
わたしは意外だと思いました
臭い問題もあったらしい でしょうねー
履き物問題
わらじって一足いくらなのか
どこで買えるのか
耐久性は?
旅費
やはり
1泊2食付きの旅籠代が占める割合が高いです
もっと手頃なお値段の木賃宿素泊まりで自炊もあったそうですが
当時のガイド本?『旅行用心集』では旅籠が推奨されていたらしいです
まさか裏でお金が流れていたとかはないですよね?
ガイド本が存在していたこと
『べらぼう』っぽくてちょっと感動しました
データと資料がたくさん提示してあってトリビア並みにへ〜へ〜って情報だらけで
記事に書き切れないのがもどかしいです
ご興味持たれた方がいらっしゃいましたら是非読まれてみてください
こんなに時間もお金も掛かって
体力的にも大変な旅程にもかかわらず
どのルートも
出発地から最短ルートを通っているわけじゃなく
往路と復路を異なるルートにしたり
伊勢に着いてからも更に西へ向かったりしていることから
当時の庶民たちが敢えて遠回りして旅を楽しもうとしていたことがわかるんだそう
てかやはり伊勢参宮が旅行の口実だった面もあることを感じてニヤリとするのです
わたしも旅行すると横道に逸れがちなものでそんな心理がよく分かりますねー
徒歩のみならなおさら
「ここまで来たならあそこも行けなくもないではないか!」の連続で足を延ばしたくなるのでしょうね
神社仏閣繋がり仲間の友人がいまして
とか言いながら2人でお参りしたことはほんの数回しかなく
専ら
「◯◯神社に行ったよ〜」ドヤ!
「なんですって先越されたー」
というようなやりとりをしているだけです
いつか伊勢神宮行ってみたいねなんて話になったのが数か月前で
「いつごろ行く?」
「60前あたり?」
「いいねぇ」
…とまあ
まだかなりふんわりしてはいますが
またひとつ人生の目標と言っても良さげなイベント(仮)ができました
こちら東日本だし
その中でも不便なほうだし
そして向かうのが三重県だし…失礼
でもね
苦労すればするほどご利益も濃そうですし
違うかまだ先の話だしいやすぐ来そうな60代
今は知識を貯めておきましょうということでなんとなく予約した図書館の本でしたけど
こんな視点で考えたことが無い情報だったので新鮮で楽しく読めました
折も折
先週からブラタモリで放送しているのが
『伊勢神宮』だなんて
勝手に盛り上がれます
とにかく今は知識がないに等しいので
伊勢・志摩の旅行雑誌も買っちゃいました
一から勉強です📚
ではではまた