キツネが木になっているブドウを取ろうとしたが、取れなかったので、「あれは、すっぱいブドウだから食べても美味くない」と諦めて帰った。
いわゆる「負け惜しみ」ですが、同時に、合理化の代表格でもあります。
やらない事に対して、自分に都合の良い理由を付けています。
システムの合理化と、考え方の合理化は区別して扱う必要がありますが、考え方の合理化はタチ悪いです。
「理に適っている」の理が個人的主観に基づくものだと、その人に都合が良い方向で事が進んでいきます。
今、私が、職場で一番の課題だと思っているのが、ルーチンワークの効率化ですが、これがなかなか難しいです。
手書きでの書類作成が多過ぎて、書類の保管場所を1日何往復しているか分かったものじゃありません。
しかも書いている内容も定型的な文語が多いです。
ほとんどの書類が、エクセルで枠付けし、プリントアウトされており、もちろんそれらの原紙ファイルは共有サーバに保管されています。
そんな状況なので、私が「PCで打ち込んでいけば、わざわざ書類棚へ行かなくても済むと感じます。」や「PCでやりましょ」などと、事ある毎に言うのですが、返答は大体決まっています。
「PC使えない人がいるんだから、今まで通りやればいい。今までそれで困ったと言った奴はいない。」
と、こんな感じです。
私には、「そんな事をされたら、サボってるのがバレるから、させたくない。」としか聞こえないのですが、面倒ですね…
合理的で効率的なことを邪魔するのは、常に考え方の合理化です。
そして、そういう人は、決まって年度末くらいになると、こういうニュアンスの言葉を発します。
「こんなに頑張ってる(残業している)のに評価されない(昇給幅が少ない)」
正当な評価されてますがな(゜Д゜)