我が家は、3日に1回くらいのスパンで、子供が寝る頃から討論が始まります。
討論なので、罵声を浴びせ合うような口論や喧嘩のようなものではなく、内容は時事ネタから精神論まで様々な論議がされます。
今日は『普通の定義』についての討論となりました。
結論から言えば、私の意見に嫁が納得する格好で『異常じゃないことが普通』ということで討論は終了しました。
例えば、学校の宿題で、「絵を書いてきなさい」と言われたとします。
親である自分は、子供と同じ頃、絵ではいつも金賞や銀賞などを付けられていたとします。
そうなると、「絵を書いていって賞を貰うのが普通だ」と思う親なら、これは異常だと私は思うのです。
「絵を書いてきなさい」と言われたなら、「絵を書くこと」が普通なのであって、「賞をもらうこと」は結果的なことだと気付いていないからです。
この場合「異常なこと」は、『絵を書かないこと』でなければならないと思います。
これが意外と理解出来ない人が多い。
親が教えるべき事は、「賞を取る為に書くこと」ではなく、『絵を一所懸命に書くこと』です。
一所懸命に書いた結果、どこが劣っていたか気付かせることです。
そうでないと、10人に1人の割合で賞が与えられる場合、9人が異常な人になってしまいます。
そして賞を取れなかった事に落ち込み、今度は、書く事にプレッシャーを覚えるようになりかねません。
この悪循環が無気力感を生みます。
会社でも同じことが起きています。
会社では、『赤字にならないようにすること』が普通で、『赤字になること』が異常だという事に気付いていない人は沢山います。
そして「せっかく働くのなら一所懸命やって黒字を少しでも増やしていこう」という事を教えなければいけないのに、『会社に利益をもたらす事』が普通だと勘違いし、指導する人が後をたちません。
赤字を出さなければ普通だと考える方が自然で無理がないと思います。
「異常じゃないことが普通」と基準を置くと、『一所懸命にやることは特別なこと』と認識でき、感謝できます。
そうなると、結果ではなく過程を誉めなければなりませんし、過程についてのアドバイスをしなければなりません。
結果を見て誉めないで下さい。結果を見て誉めるということは、賞をもらえなかったら慰める方向にいってしまい『結局、賞をもらわなきゃ意味が無い』と言っていることになります。
そしてこれは、「過程を見ることを怠けた」あなたの評価が下がるべき事で、それを人のせいにしているだけだということに早く気付いて欲しいと思います。
というより、そういう方は大抵の場合見抜かれています。
結果は事後評価でしかなくて、大切なのは、どういう過程を踏んでいったかだと私は思います。
『普通』や『常識』というのは、知識量により格差が生じる、実は凄くデリケートな問題です。
もちろん、何かをやるからには結果を出したい残したい、というのが誰もが思う本音でしょう。
常に異常じゃないことを普通だと考えろということではなくて、怒る悲しむくらいなら、笑う誉める方がみんな楽しいでしょう。という考え方でした。
最後まで読んで頂きありがとうございます。