ある日のさそり座のつぶやき | うまうまの徒然日記

うまうまの徒然日記

つれづれなる、思いをつづっていきます。

時代遅れの男が送る暖かい視線。    

世の中捨てたものじゃないさ。

先日、私の誕生日だった

誕生日とは生んでくれた母親に感謝する日であると

一般的によくいわれるし、私もそのように思う。

ただ、毎年老いてゆくのは正直なところ嫌だなと

も思う。


以前、一度子供の頃の誕生日についてブログに書いた

かもしれないが

小学生の頃、同級生同士の誕生日会というのが

はやっていた。

男女問わず当事者の家に集まりお祝いをした。

その子の母親の手料理で楽しんだ後に

みんなそれぞれが誕生祝いのプレゼントを

あげるというのが一つのパターンだった。

私はその時初めての参加で、プレゼントを

用意するのを知らなかった。

いわゆる無銭飲食になってしまったのだ。

私は子供心に恥ずかしい思いをしたのを

記憶している。


恥ずかしい思い出といえば、もう一つ。

高校生2年の時に、祖母が死去した。

所属野球部の部長さんが、その時、香典を

上げてくれたようだった。


母親からその香典返しの品を預かった。

しかし私はその品を部室のロッカーに入れて

そのまま忘れてしまったのだ。


高校3年の夏に部活動も終わり退部のため

ロッカーを整理していたら、その品が出てきて

仰天した。

帰宅していつもおだやかな母親にそれを見せたら

その時は烈火のごとく怒っていた。

今思い出しても私も赤面してしまいそうだ。


話しは現在に戻る

さあ、今日はどんな誕生祝いをしてくれるのだろうか

どんな言葉があるのだろうか

少しだけ期待をしてみた


しかしお昼が過ぎ、夕方になってもなんの

アクションも感じられない。

はは~ん

これはサプライズを用意しているんだろうな!

しかし、しかし時間は過ぎゆく

ううん?

とうとう今日という日が終わってしまった。

明日も明後日も何事もなく時間がすぎてゆく予感。


ふ~ん

みんな忘れているんだ。


確かに誕生日とは生んでくれた母親に感謝する日で

あって祝ってもらうものではないのかもしれない

あの香典事件で怒った母親の顔を思い浮かべ

今宵は一人でショートケーキでも

食べるとするか。

しかしちょっとつらいなあ!