行ってきました。
2026年7月1日(水)19時30分開演
牛田智大 ピアノ・リサイタル
中正記念堂 国家音楽庁(台北)
行ってきちゃったんですよ。
行ってこれちゃったんですよ。
たった一人で。
4月にソウルに行ったばかりですから、そうそう呑気に遠征ばかりもしてられない。
けど…
なんですか?これは!
なんですか?これはっ!(ToT)
(2回書いちゃった…(///∇//) )
こんな素敵なホールで牛田くんがオール・ブラームスを演奏するなんて
想像しただけで涙が出そう。
行かなきゃ絶対後悔するやつじゃん!
行きたい!![]()
バンコクでもソウルでも、事前の下調べをほとんどせず
旅慣れたファン友さんに頼りっきりだった私。
今回は「誰かが行くなら行く」という他人任せのスタンスではなく
自分で決めていく!![]()
そう決めた翌朝、スマホの着信音で目が覚めました。
随分前に私がフォローした某ブロガーさんが記事を更新しましたという運営サイトからのお知らせだったのですが
なんと、記事のタイトルが「台北一人旅」。
その方をフォローしていたことさえ忘れていた私。
その偶然に驚きつつ、記事を読んでみたところ
なんと、その方のペンネームが「ブラームス」。
これはもう…
呼ばれているとしか思えない!
(ちなみに、そのブロガーさんのジャンルは旅でもクラシック音楽でもありません)
しかし、費用面が…。
仕方ない。大阪のフェスティバルホールと鹿児島の霧島音楽祭は諦めよう![]()
(結局フェスティバルホールに行ってしまったけど…)
去年のバンコクは、一人で現地の空港まで行けた。
4月のソウルは、一人で現地のホテルまで行けた。
だったら今度は、一人でコンサート会場まで行けるんじゃない?
モー
心細いとか言ってらんない。
行きます私、一人でも(倒置法)
が、
台北行きを決めた後、義母の末期がんが発覚したり、ゴタゴタが重なったり
もうそれどころではなくなった矢先、義母が亡くなって
ちょうど49日の時期と重なってしまうので、ほぼ100%無理だろうと諦めていたのですが
偶然にもお寺の都合で日程がずれ、ジャックも「行って来たら?」と背中を押してくれました。
いいヤツ…😭
こちらの記事ではリサイタルの様子をメインに書きたいと思います。
12年前、当時14歳だった牛田くんが、初めての海外公演を行った台湾、高雄。
演奏したのは、チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番。
あの時期、子育て真っ最中だった私は行きたくても行けなくて
演奏会当日は、何をしててもソワソワと落ち着かず、何も手に着かず
現地まで行ったファン友さん達の報告を今か今かと待ち焦がれ
ジリジリと焼けるような思いで過ごしました。
あれから12年。
台湾で一番格式高い国家音楽庁で、満を持してのソロ・リサイタル。
牛田くんは、日本を代表する立派なピアニストになりました!
(T^T)゚。うるうる…
リサイタル直前に配信された、読み応えたっぷりの超ロングインタビュー。
翻訳ボタンで日本語にすると、ちょっと微妙になってしまうので、備忘録も兼ねて片腕G(ジェミニ)の力を借りました。ちょっとおかしな部分もあるかもしれませんが、よろしければご参考に。
台湾での初リサイタルを控えた前夜、牛田智大さんは「李欣恬的藝文筆記」の独占インタビューに応じ、上海で過ごした少年時代、当時のピアノブーム、巨匠ミハイル・プレトニョフ氏からの啓発、そして近年受賞した「第51回日本ショパン協会賞」の室内楽企画にいたるまで、深く語ってくれました。以下は5000字におよぶインタビューの内容です。ぜひご一読ください。(文/李欣恬)
12歳でユニバーサルミュージックから最年少クラシックピアニストとして正式デビューし、現在は26歳の成熟期を迎えた日本のピアニスト、牛田智大。彼の名前は、音楽界において常に「並外れた才能」や「鮮明な個性」と同義であり続けてきました。2018年に浜松国際ピアノコンクールで第2位および聴衆賞を受賞、その後リーズ国際ピアノコンクールでも聴衆賞を獲得し、国際舞台での実力を確固たるものにしました。今年、牛田さんは台北の国家音楽庁で初めてのリサイタルを開催し、全編ブラームス晩年の極めて内省的な傑作(Op. 116からOp. 119)に挑みます。
🎹 電子ピアノと上海ブーム:音楽キャリアの偶然と始まり
3歳頃からピアノを始められたとのことですが、最初にピアノを弾くきっかけになった、あるいはピアノの世界へと導いてくれたキーパーソンは誰ですか? また、ご家族は音楽一家なのでしょうか?
私の両親の仕事は音楽とはまったく無関係です。ただ、母は趣味としてピアノを弾いていました。私が人生で初めて触れた楽器は、母が結婚前に購入した1台の電子ピアノでした。そのピアノには標準的なピアノの音色だけでなく、様々な異なる音に切り替えられる機能があり、当時の私はそれらの音を探索する楽しさに完全に没頭していました。
私がただのおもちゃやゲーム機だと思っていたこの楽器を、正式に習い始めることになったのは、育った環境に大きな理由があります。当時、父の仕事の都合で家族で上海へ引っ越したのですが、その頃の中国はまさに巨大な「ピアノブーム」の真っ只中でした。ラン・ラン(郎朗)さんのような中国のピアニストが国際舞台で頭角を現し、スーパースターとみなされていました。街のいたるところに彼らの巨大なポスターがあり、露店ではDVDが売られ、数多くの企業CMにも起用されていました。伝統的なクラシック音楽市場の指標を遥かに超えた人物になっていたのです。
2000年代初頭はまだインターネットも普及しておらず、携帯電話も通話機能くらいしかなかった時代でした。クラシック音楽は、中国に住む外国人住民にとって非常に貴重な娯楽でした。そのような環境に薫陶を受け、それらのDVDを観たり、実際のコンサートに足を運んだりするうちに、私はピアノに対する深い憧れを抱くようになり、ピアノの学習をスタートさせました。
私の両親は、私をプロの音楽家にさせようと意図したことは一度もありません。もし当時デビューしていなければ、私はおそらく思春期になるにつれて徐々にピアノから離れ、受験を乗り越え、大学に入り、ごく平凡な人生を送っていたと思います。私が12歳でデビューするまでずっとピアノを弾き続けられたのは、完全に両親の理解ある態度、そして子供を理解し尊重してくれる支持と温かさのおかげです。
5歳の時にはすでに上海のコンクールで多くのライバルを破って優勝され、並外れた才能を発揮されていました。少年時代を振り返って、音楽やピアノに関する全ての経験の中で、今でも最も印象深く、忘れられない場面や思い出はありますか?
それは間違いなく、上海での生活の中で本当にたくさんのコンサートを聴きに行ったことです。当時の中国では、3歳の子供であっても音楽ホールの最前列に座って聴くことができました。ラン・ランさんやユンディ・リ(李雲迪)さんのような中国のピアニストだけでなく、日本、ヨーロッパ、アメリカからオーケストラが来訪して演奏していました。それらの演奏から得たインスピレーションは途方もなく巨大なものでした。
また、上海時代の恩師である鄭曙星(てい・しょせい)教授と一緒に過ごした日々も、永遠に忘れることはできません。先生は私に極めて膨大な量のレパートリーを学ばせてくれました。毎週、何個もの全く新しい課題を言い渡されるのです。バッハの作品、古典派のソナタやソナチネ、技術訓練のためのチェルニーやクレメンティのエチュード、リズムを研究するための現代曲、そして叙情的な作品まで。私は翌週のレッスンの前に、すべての曲を完全に読み込み、暗譜して準備しておかなければなりませんでした。そのプロセスは非常に厳格なものでしたが、あの時期に得た資産は極めて堅実で豊かなものでした。
🎵 直感から論理的思考への転換、神童の脱皮
幼少期から常にスポットライトを浴びてこられました。かつてアンジェイ・ヤシンスキ教授は、あなたの演奏を「音符の一つひとつに鮮明な個性と意志がある」と称賛されました。当時の「音楽神童」から成熟したピアニストへと向かう中で、音楽に対する態度や解釈において、ご自身でどのような変化を経験したと感じていますか?
10代前半の頃から、音楽に対する基本的な態度や解釈がそれほど大きく変わったとは思いません。しかし、もっと若かった頃の私は、「楽譜を読み、解釈し、それを音のプロットへと変換する」ことの本当の意味を完全には理解していませんでした。そのため、完全に直感に頼っていました。直感に頼ること自体は間違いではありませんが、直感だけでは、膨大で豊かな情報が込められた偉大な作品を理解することはできません。
年齢を重ね、知識が蓄積されるにつれて、直感だけでなく論理を補うことができるようになり、それによって大規模で複雑な作品を構築できるようになったと信じています。例えば若い頃の私は、作品の中のすべての要素が等しく重要だと考えていました。すべてのポリフォニー、すべての和声解決、すべての転調。楽譜にあるものすべてを小さなコップの中に無理やり詰め込もうとすると、本当に重要なものが逆に指の隙間からこぼれ落ちてしまうのです。当時は時々、「君が何を表現したいかは分かるけれど、焦点が明確ではないね」と言われることもありました。
歳月が経つにつれて、ある意味で私は少し「残酷」になったのかもしれません。すべてのメッセージには階層(プライオリティ)があるということ、そして本当に美しいものは、影に隠れた犠牲(引き算)がなければ存在し得ないということが分かり始めました。最も重要なのは、作曲家が楽譜に残した膨大なメッセージが、音へと変換される時に、最終的には無限に純粋で普遍的な人間の感情へと収束していくべきだということです。
🎹 台湾リサイタル:ブラームス晩年の世界は、静かな鏡
今回の台湾リサイタルでは、ブラームス晩年の4つの傑作(Op. 116、117、118、119)を完全演奏曲目として選ばれました。26歳の若きピアニストとして、この重厚かつ繊細な精神世界をどのように理解し、ご自身の音楽言語へと変換されているのでしょうか?
これらの作品は、よく「内省」や「回想」といった言葉とともに語られ、まるで人生の終焉に直面した老人のために書かれた音楽であるかのように言われます。しかし私から見れば、Op. 116-119はむしろ「内的な動機(エネルギー)」に満ちた音楽です。これらを演奏する時、私はこれらの作品と、ハインリヒ・ハイネの初期の詩集『抒情的挿曲(Lyrisches Intermezzo)』との間に極めて高い類似性を強く感じます。
シューマンはかつて、若きハイネのこれらの強烈な詩に基づいて『詩人の恋(Dichterliebe Op. 48)』を作曲しました。シューマンは「歌曲を創るということは、詩の言葉の力の背後に隠された人間の苦痛を解放することだ」と考えていました(『新音楽時報』の中で、彼はハイネ、バイロン、ユゴーといった詩人の言葉を引用し、「長い歴史の中で、詩歌は時に風刺の仮面を被り、苦痛によって歪んだ顔を覆い隠すことがある。おそらくそれは、すぐに天才のあの温かい手によって解放されるだろう」と指摘しています)。ブラームスのOp. 116-119も、同じように『抒情的挿曲』に込められた苦痛と悲劇の成果を解放しようとする試みなのかもしれません。ただ、彼はシューマンとは異なるアプローチを取ったのです。
このブラームスのコンサートにおいて、私は一方的にひとつのテーマを押し付けたくはありません。ある聴衆は、人生の終焉の前に感じる超越的で淡々とした冷徹さを感じるかもしれませんし、また別の聴衆は、晩年になっても決して消えることのない情熱の炎を感じるかもしれません。ある人は深い悲しみを感じ、またある人は世界と自然の美しさが描写されていると感じるでしょう。これらの印象は、時に鏡のように、聴衆の心の内にある「今その瞬間の状態」を映し出します。偉大な作品は、最も素晴らしい意味において、このような普遍性と包容力を持っています。一人のピアニストとして、それらに純粋に向き合えることは至上の幸福です。
🎤 巨匠との対話:プレトニョフが授けてくれた根源的な力
あなたはミハイル・プレトニョフ(Mikhail Pletnev)氏が指揮するロシア国立交響楽団など、世界の巨匠たちと何度も共演ツアーを行ってこられました。これら巨匠たちとの音楽の対話の中で、最も深い啓発となったものは何ですか?
私はこれほど多くの素晴らしい音楽家に出会え、共演を通じて彼らから学ぶ機会を得られたことを非常に幸運に思っています。特に、ミハイル・プレトニョフ氏から学んだものは計り知れないほど大きいです。彼から得たものは、抽象的なインスピレーションや訓戒というよりも、もっと実務的で、基礎をしっかりと固めるための現実的なディテールでした。
最初の共演の前、私はスイス・バーゼルにある彼の自宅に約2週間滞在し、指導を受けました。彼は本物の情熱を持って、最高の品質でチェルニーのOp. 299を練習する方法や、困難なパッセージの中でいかに論理的な指使い(フィンガリング)を見つけるかを教えてくれました。ツアー期間中には、自分が完全には適応していない楽器での演奏を余儀なくされた時にどう対処すべきか、またホールの空間が大きすぎたり、ピアノの音が凝縮・拡散しきれず理想的でない場合にどう処理すべきか、といったことを実演して示してくれました。
純粋な音楽のアイデアに関して言えば、彼の見解は「これらは一人ひとりが自分自身で考え、発見しなければならないものであり、他人に伝授されるものではない」というものでした。時折、彼の批評によって顔が真っ赤になるほど恥ずかしい思いをすることもありましたが、私は心の底から深く深く感謝しています。彼のような高名な音楽家が、これほど巨大な情熱を最も基礎的な事柄に注いでくれたのです。彼は私の中に一つの基準を打ち立ててくれました。一つの演奏が一体どれほどの洗練された品質に達していなければならないのかを、私に教えてくれたと信じています。
🎵 中村紘子先生の教えと、観客へのメッセージ
中村紘子先生はかつて、あなたの演奏を「無垢で、かつ幸福感に溢れ、私たちに無限の力を与えてくれる」と称賛されました。今回のブラームスのプログラムにおいて、聴衆にあなたの演奏からどのような「力」や「感情」を受け取ってほしいですか?
私は今でも、中村紘子教授と過ごした時間に深い感情と懐かしさを抱いており、先生からは本当に多くのことを学びました。それはそれとして、音楽作品は本質的にそれ自体の「力」を含んでいるかもしれませんが、私個人としては、それを観客に無理に押し付けるべきものだとは思いません。私自身もあまりそのような言葉に惹かれることはありません。
私は日本の現代作家、角田光代さんの小説『さがしもの』(台湾では『在舊書店重逢』と翻訳されていると聞きました。非常に素晴らしい物語ですので、皆さんにも機会があればぜひ読んでいただきたいです)がとても好きです。これは古本にまつわる短編小説集で、9つの異なる人間の物語が描かれており、それぞれの物語が特定の1冊の本をめぐって展開します。主人公たちは人生の中で愛、挫折、別れ、そして死の受け入れを経験し、因縁の巡り合わせによって、その本は常に彼らの傍らに寄り添っています。その本は決して明確にお説教をしたり、何かを悟らせようと刺激したりはしません。主人公たちは完全に自分自身の力で成長し、学び、変化に向き合います。その本の存在は、ただ静かな伴走者(パートナー)であり、彼らに「自分はもう変わったのだ」と気づかせるだけなのです。
観客にとっても、音楽は全く同じような存在であるべきです。演奏者にとっては、作曲家が作品の中に埋め込んだ感情や記憶を理解することが極めて重要です。なぜなら、演奏者の存在は、それら遺された作品の命を繋ぐためにあるからです。しかし、観客がその繋がれた命を聴く時に何を感じるかは、完全に彼ら自身に委ねられています。曲の中から特定のメッセージを意図的に抽出する必要はありません。もしそれがあなたの人生のその瞬間に必要なものであれば、ただ耳を傾ければよいのです。もしそうでなければ、無理をする必要はありません。
🚀 音楽家としての次のステージ、そして未来への展望
プロとしてのキャリアが15年目に入ろうとしています。音楽家としての次の段階をどのように展望されていますか?
日本でのプロデビューからもうすぐ15年目を迎えようとしていることに、深く感謝しています。同時に、実現したい企画や楽曲がまだまだたくさんありますし、何よりも、研究したい作品が無数にあります。私の計画はとてもシンプルで、一歩一歩、地に足をつけてそれらに向き合っていくことです。
また、同世代の音楽家と一緒に室内楽に取り組むことは、現在最も私を惹きつけている領域です。この世には非常に多くの優れた傑作があり、解釈や品質の面において、さらに高い境界を追求できる空間が残されていると感じています。この領域により深く飛び込んでいきたいと思っています。
🎻 室内楽の衝突が生む楽しさ:単一の想像では定義できない音楽の探求
2024年に展開された室内楽企画は、第51回日本ショパン協会賞を受賞されました。独奏とは全く異なるこの「室内楽」という形式への挑戦は、あなたの演奏の視点にどのような新しい啓発をもたらしましたか?
ショパンの協奏曲が室内楽の企画に適しているかどうかはさておき、室内楽版の編曲で演奏すること自体が極めて素晴らしい体験でした。ケヴィン・ケナー(Kevin Kenner)氏とクシシュトフ・ドムベク(Krzysztof Dombek)氏が編曲した六重奏版はバランスが非常に良く、管弦楽の響きの構造的な深みと、室内楽団の柔軟性を結びつけることができました。これは、その作品に全く新しい視点をもたらしたというよりは、大型オーケストラとの共演時に様々な制限によって実現できなかったアイデアを、私たちが主体的取り入れたという感覚に近いです。最終的な結果は、想像していたよりも遥かに面白いものになりました。
一方で、ソロ(独奏)の時は、楽句(フレーズ)やポリフォニーを使って複雑性を創り出すことは確かにできますが、本質的に、音楽は演奏者自身の想像力の限界を超えることが難しい側面もあります。その意味において、室内楽の魅力は、より入り組んで複雑でありながら生命力に満ちた音楽を創り出す潜在能力にあります。そこでは、複数の「独奏性」を持った声部が互いに結びつき、近づき、あるいは衝突します。この領域は、ソロのコンサートや協奏曲では決して到達できない効果を実現できるため、現在最も私の心に寄り添っています。
未来に向けて、私はより本格的な室内楽の中で自分のレパートリーを深化させたいと考えています。今年は、同世代の弦楽器奏者たちと一緒にリヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss)の室内楽作品を演奏するほか、ヴァイオリニストの前田妃奈(Hina Maeda)さんとシューベルトの『幻想曲』やプロコフィエフの『ヴァイオリン・ソナタ第2番』を共演しました。これからの数年間は、シューベルトの2つのピアノ三重奏曲、ブラームスの3つのヴァイオリン・ソナタ、そしてニコライ・ラコフ(Nikolai Rakov)やフランク(Franck)のヴァイオリン・ソナタを核心に据えた音楽プロジェクトを展開していきたいと願っています。
室内楽を弾くたびに私が感じるのは、「複雑性」から生まれる純粋な楽しさです。例えば、オーケストラは本質的に、大量の人間が同じ一つの方向に向かって演奏します。言い換えれば、大型の団体が同期(シンクロ)を保つために、ある程度簡略化されたフレーズや解釈で演奏されなければなりません。そのため、自発性や即興の空間はある程度制限されてしまいます。
最後に、今回聴きに来てくださる台湾の観客の皆さんに一言、そして今後挑戦してみたい新しい音楽企画や曲目をシェアしていただけますか?
台湾で初めての単独リサイタルを開催できる機会をいただき、この上ない光栄に感じています。特に、今回のステージでブラームス晩年の作品を演奏できることは、私にとって何物にも代えがたい深い喜びです。これほど素晴らしい音楽ホールで、皆さんとこれらの作品を共有できることを非常に楽しみにしています。
今後の計画はまだ最終調整中ですが、上述の室内楽の試みに加えて、ドイツ・オーストリア楽派のレパートリーの探求をさらに深めたいと考えています。特にシューベルト、シューマン、ブラームスのソロ作品です。また、バッハの作品は間違いなく私の生涯の追求となるでしょう。近い将来、細神(細緻)に《フーガの技法》や《ゴールドベルク変奏曲》を探求できればと願っています。
同時に、モーツァルトのピアノ・ソナタとヴァイオリン・ソナタの全曲演奏にも挑戦したいと切望しています。ベートーヴェンのいくつかの作品には非常に親しみを感じる一方で、そうではない作品もありますが、彼の音楽に関わるいくつかのプロジェクトもすでに計画しています。それと同時に、ラフマニノフ、グラズノフ、メトネル、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチの音楽にも強い共鳴を感じており、これらの曲目を並行して取り上げていく予定です。
牛田くんおすすめの小説
角田光代『さがしもの』
主催の鵬博藝術(Blooming Arts)Facebookより。台北に到着した牛田くん。
さて、ではレポートです。
MRT(台北の地下鉄)に乗って、ホールのある中世記念堂駅へ。
駅舎は記念堂と同じ、ブルーの瓦と白い壁。
駅のすぐ隣にありました。これですね!
すごい。早くも胸いっぱい…🥹
…と、ウルウルしてたらこの建物はホールではなくオペラやミュージカルが行われる「国家戯劇院」だった(///∇//)
音楽ホールはこの建物内を通過した先にあるようです。
途中に書店やカフェがありました。
建物を抜けると、広場の向こうにありました!国家音楽庁ホール。
すごーい!![]()
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(さっきのにクリソツ)
あれが中世記念堂?立派!
反対側には大きな正門。かっこいい~!
ラッパの音がして、広場中央に人が集まってました。
日没に行われる降旗式のようです。
記念堂の近くまで行ってみました。大迫力。
階段の上まで行けるみたい。
敷地全体を見渡してみました。
遥か正面に正門。左が国家戯劇院、右が国家音楽庁。
それにしても暑いよう![]()
さっきから汗がポタポタ垂れてきます。
日が落ちてきて、そろそろ開場の時間でしょうか。行ってみましょう。
すごーい!![]()
奥の方のロビーからピアノの音が聴こえてくると思ったら、楽譜を映した大きなスクリーンの前の椅子に人がぎっしり座り、中国語でブラームス作品の曲解説をしていました。
私が広場でダラダラ汗流してる間に、とっくに開場してたのね![]()
![]()
しかも、牛田くんも登場したらしい。
見逃してしまった
ううう…
国家音楽庁(2074席)
(画像お借りしました)
許可をいただいたので、私の撮影した写真も載せますね。
すごいんですよ!すごいんですよ!
大きな大きなパイプオルガンと、階段のような舞台。
段々の部分が大半を占め、平らな部分が廊下のように細長い。
その細長いスペースに置かれたピアノはスタンウェイ。椅子は背もたれのあるタイプです。
壁も雛壇も、艶やかな赤茶色の木製です。
客席のバルコニー部分は白っぽい大理石。
碁盤の目のように四角く区切られた天井の、ひとつひとつにシャンデリア。
座席は深紅のベルベット。
ホールの壁と壁の間には、彫刻のような装飾が施されています。
素敵~!![]()
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プログラム(有料)
(容量の関係で、一部のみ掲載しています)
オール・ブラームス・プログラム
♪7つの幻想曲 Op.116
第1曲「奇想曲」ニ短調
第2曲「間奏曲」イ短調
第3曲「奇想曲」ト短調
第4曲「間奏曲」ホ長調
第5曲「間奏曲」ホ短調
第6曲「間奏曲」ホ長調
第7曲「奇想曲」ニ短調
♪3つの間奏曲 Op.117
第1曲「間奏曲」変ホ長調
第2曲「間奏曲」変ロ短調
第3曲「間奏曲」嬰ハ短調
~ ~ ~ 休憩 ~ ~ ~
♪6つの小品 Op.118
第1曲「間奏曲」イ短調
第2曲「間奏曲」イ長調
第3曲「バラード」ト短調
第4曲「間奏曲」へ短調
第5曲「ロマンス」ヘ長調
第6曲「間奏曲」変ホ短調
♪4つの小品 OP.119
第1曲「間奏曲」ロ短調
第2曲「間奏曲」ホ短調
第3曲「間奏曲」ハ長調
第4曲「ラプソディ」変ホ長調
開演時間になると、ピンポンパーンと鉄琴のチャイムが鳴り、中国語のアナウンスがありました。
照明さんが間違えたのかな?と思うくらい暗くなったり明るくなったりを繰り返し
最後に舞台が明るくなると
赤茶色の壁と雛壇が、ハッとするほど鮮やかな赤色に浮かび上がりました。
突然血が通ったようなその光景を見て
なぜか、子供の頃手のひらに懐中電灯を当てた時の驚きを思い出しました。
にっこり微笑みながら、登場しました牛田くん。
黒いスーツとTシャツ
サラサラの髪
手には紺色のタオル
そして、今日も丸いフレームのメガネをしています。
ガツンと始まったブラームスは
ダイナミックで情熱的でした。
ソウルの時は、Op.117から始まったので、久しぶりに聴くOp.116。
1曲目が終わると、鍵盤から離した両手を
軽く握って胸の高さまで上げたまま
時間が止まったように動かなくなりました。
…と、そこに突然スマホの着信音。
一瞬、客席の空気が固まりましたが、止まる気配がありません。
驚いたことに、電話に出てヒソヒソと話す声。
…ウソでしょ?!![]()
…というか、さっきから気になってたんですけど
演奏中にガサガサと音を立てる人
スマホをいじって画面をスクロールしてる人…。
これもお国柄なんでしょうか。
格式高い国家音楽庁なのに?😓
気配を消すように うなだれるように
前かがみになっていた牛田くんは
2曲目の演奏に入りました。
私はスマホに対する感覚の違いにびっくりして
ちょっと意識がそっちに行ってしまいましたが
とはいえ、別に牛田くんが馬鹿にされているというわけでもなく
これがこの国の人たちのクラシック音楽を聴く日常のスタイルなんだろうな、と思い直しました。
決して安くなかったチケット代。
この人たちは、お金を払って牛田くんの演奏を聴きに来た人たちなんですから。
だとしたら、せっかくの演奏をカリカリしながら聴いたらもったいない。
音色は伸び伸びとおおらかで
ブラームスが前よりもちょっと親密に
心を開いて語りかけてくれているようでした。
水彩絵の具で自由に色を乗せているみたい。
曲と曲の間に、鍵盤から離した左手の指先で
時々さりげなくメガネのフレームを上げる牛田くん。
この距離と角度から
メガネ姿の牛田くんを見るのは初めてだけど
構えとか 腕の流れとか
なぜかデビューした頃の牛田くんのそれとそっくりで
デジャブのような懐かしさを何度も感じました。
当時もメガネなんてしてなかったのに、不思議です。
3月のリサイタルで何度も聴いたので
すっかり耳に馴染んだブラームス。
なのに、今日の音の広がりは、なんだかとても新鮮でした。
まるで、ホール全体が息づいて
牛田くんのピアノの音色に呼応して
彼を歓迎し、見守りながら一緒に呼吸をしているようで
胸がいっぱいになりました。
なんだか夢を見ているみたい。
チラチラと、遠くで瞬く小さな星の光。
「アヴェ・マリア」と聴こえる祈りのようなフレーズ。
静かな祈りの中に秘められた情熱。
揺らぎと追憶。
ため息交じりの肉声のようなOp.117-3は
やりきれない無念さや喪失感が、よりダイレクトに伝わってくるようで
胸が疼きました。
前半の演奏が終わると、立ち上がり笑顔を浮かべて挨拶する牛田くん。
拍手に応えて再度登場し、右手を軽く胸に当てて会釈しました。
(つづく…)



































