行ってきました。
2026年3月20日(金・祝日)13時30分開演
牛田智大 ピアノ・リサイタル
愛知県芸術劇場 コンサートホール(愛知)
前回の八ヶ岳公演のプログラムに続き、チラシ裏面に記載された高坂はる香さんのコメントが素晴らしいのでご紹介します。
常に挑戦を続ける牛田智大。
ショパンコンクールという舞台を終えた今、次に向き合うのはブラームス。
若さ溢れる牛田が、晩年のブラームスの集大成ともいえる枯淡の境地にどのように挑むのか、想像するだけで胸が高鳴ります!
近年の牛田智大の変化を見ていると、クラシックの演奏家として生きるということは、作曲家の魂のありかたを探求することを通じ、自分自身を見つけるということでもあるのだろうとつくづく感じる。
12歳の若さでデビューして以来、ピアニストとしての人気を確かなものとして忙しく活動する彼だが、自分が求める音楽はどこにあるのか、心地よく正直にピアノと生きる道はどこにあるのかを探るかのように、音楽を豊かに変化させ続けてきた。
近年はワルシャワでも学び、その空気を感じながら、さまざまな作曲家に向き合う。ポーランドでも学び活動をしていると、だんだんと力の抜けた自由な演奏になっていくという。それにはポーランドという国の素朴な空気と時間の流れ、そしてなにより、周囲に惑わされず、自分の音楽だけに集中できる環境が影響しているといえそうだ。
そんな牛田が今度のリサイタルで選んだのは、ブラームス晩年のピアノ小品を集めたプログラム。若き日々の追憶、人生への諦観、変わらぬ音楽への愛情が込められたかのようなその作品群に、26歳の彼が向き合う。若くしてデビューし、さまざまなものを乗り越えてきた彼は、その実際の年齢よりもどこか熟達していて、晩年のブラームスへの共感が一般的な同年代よりもずっと強いのかもしれない。
10代の頃は、自分の中にこうしたいという明確な音楽が見つかっていなかったこともあり、大変な時期もあったという。しかし今は、「やりたい音楽があって、それができるかどうかがなにより大切で、認められるかどうかはあまり関係ないと思えるようになったから、今が一番楽にできている」と、頼もしい口調で話す。実際その音楽は最近、より真っ直ぐに訴えかけ、心に触れてくる形に変化してきた。
この秋にもまた一つ大きな経験を重ね、どんなふうに音楽を成熟させることになるのか。その変遷を見守り、その時々の魅力を享受することこそ、同時代に生きる演奏家を聴く喜びでもある。
高坂はる香(音楽ライター)
この日、東京の天気は朝から雨。
最近やっと少し春めいてきたので、春物のコートで出かけようと玄関を出たら
肌寒かったので冬物のコートに着替えなおして出かけました。
連休初日とあって、東京駅は大混雑。
新幹線の改札は人でごった返して、なかなか進まない。
駅員さんが「ここから改札まで5分ほどかかります。切符をお持ちの方は右側、ICカードやQRコードの方は左側の改札をお通りください」
とアナウンスしていました。
図書館で借りたけど、ちょっと専門的なので私には難しそうだと手を付けずにいた本を一応持ってきました。
新幹線の中で読み始めたら思いがけず引き込まれてしまい
窓の景色を見るのも、東京駅で買ったサンドイッチを食べるのも忘れて夢中で読みふけってしまいました。
名古屋に近付いて、我に返って窓の外を見たら
雨模様だった空が、いつの間にか青空に変わっていました。
名古屋駅もやはり大混雑。
地下鉄東山線のホームもたくさんの人で溢れかえり
到着した電車には乗れずに一本見送りました。
栄駅から徒歩2分。愛知芸術文化センター。
ここに来るのは、今年1月の、ショパンコンクール入賞者ガラコンサートの時以来です。
エスカレーターでホールのある上の階に上がっていくと、ホール前には既にたくさんの人が列をなして開場を待っていました。
当日券を求めて来た男性がいましたが
「本日は完売なので当日券はありません」
と、スタッフに言われて無念そうに帰っていきました。
今日もファンからのお花。
愛知県芸術劇場(1800席)
(画像お借りしました)
今日のこの演奏会のチケットが発売になったのは、去年の10月16日。
牛田くんの26歳のお誕生日でもあり、ショパンコンクール真っ只中だった時です。
なので、とても平常心でいられなかった私は
間違えて座席指定ではなく、おまかせでチケットを取ってしまい
今まで座ったことのない場所になったのですが
実は前から座ってみたかった場所でもありました。
2階席、舞台の後ろ側から見える光景は
立体的に大きく突き出したパイプオルガンのパイプ
王様のベッドにかかる天蓋のような白い布
大粒の真珠を細かなダイヤが囲む指輪ようなシャンデリア
カメラのように四角いたくさんの照明
そして、舞台をぐるりと取り囲む、3階席まで続く赤い座席。
座席を埋める、たくさんの人、人、人…。
壮観で迫力ある初めての光景が新鮮で、どうしようもなくワクワクしました。
プログラム
オール・ブラームス・プログラム
♪7つの幻想曲 Op.116
第1曲「奇想曲」ニ短調
第2曲「間奏曲」イ短調
第3曲「奇想曲」ト短調
第4曲「間奏曲」ホ長調
第5曲「間奏曲」ホ短調
第6曲「間奏曲」ホ長調
第7曲「奇想曲」ニ短調
♪3つの間奏曲 Op.117
第1曲「間奏曲」変ホ長調
第2曲「間奏曲」変ロ短調
第3曲「間奏曲」嬰ハ短調
~ ~ ~ 休憩 ~ ~ ~
♪6つの小品 Op.118
第1曲「間奏曲」イ短調
第2曲「間奏曲」イ長調
第3曲「バラード」ト短調
第4曲「間奏曲」へ短調
第5曲「ロマンス」ヘ長調
第6曲「間奏曲」変ホ短調
♪4つの小品 OP.119
第1曲「間奏曲」ロ短調
第2曲「間奏曲」ホ短調
第3曲「間奏曲」ハ長調
第4曲「ラプソディ」変ホ長調
開演時間になるとチャイムが鳴り、注意事項を伝えるアナウンスがありました。
照明が変わると
一瞬ピアノの蓋に白い光が反射して、私の場所からは眩しいくらいに感じました。
慣れない雰囲気にドキドキしていると
分厚い木の扉が開いて牛田くんが登場しました。
何回見ても思いますが
本当に、なんでしょうね?今回のこのスッキリした軽やかな雰囲気は。
7つの幻想曲
照明は絞られているけれど
上から見下ろす舞台の床の板は明るく光り
聴こえてきた音色は、私の場所からはちょうどピアノの蓋に遮断されているような感じで
正面の客席の空間に向かって広がる音色を
少し遠巻きに聴いているようで
私が耳にしているのと、正面の客席で聴こえる音色は多分ちょっと違っていて
どちらかというと、演奏している牛田くん自身が聴いている音に近いのかな、と思いました。
だとしたら、音色を客観的に聴いてコントロールするのって
すごく高度なことだと思います。
私の場所からはピアノのロゴは確認できませんでしたが
音色を聴いて、きっとスタンウェイだろうな、と思いました。
男性的に始まったOp.116-1。
今回の4つの作品は
それぞれの第1曲目が
男性的 → 女性的 → 男性的 → 女性的
と、男女の声を交互に聴くように始まる気がします。
怒りにも似た激しい感情を吐き出すような奇想曲は
残酷な音色で終わりました。
ささやかで、哀愁を帯びたOp.116-2は
中間部になると優しく美しく変化するのに
後半は取り返しのつかない過ちを思い出し
後悔しているようにも聴こえました。
やがて、そんなことも考えるのをやめるように
フッと消えるように終わります。
Op.116-4は一編の詩のよう。
交差する両手が紡ぎ出す世界は
白い砂浜
瞬く星と月明り。
月の光を反射して
波の上に浮かび上がる白い道。
満ちてくるあたたかな想い。
「アヴェ・マリア」と祈るようなフレーズのあとの
最後の太い低音は
聖なる父の声を聴いているみたい。
それが演奏スタイルの癖なのか
弾き終わると、鍵盤から離れた牛田くんの両手が
左側にゆっくり流れます。
本当の「ロマンス」は、Op.118-5なのに
自分の中で秘かに「ロマンス」と呼んでいるOp.116-6。
曲の構成は違うのに
これを聴くと、大好きなシューマンのソナタ第1番第2楽章のアリアを思い出します。
中間部でこぼれる哀しい涙。
それまでの静寂を突き破るようなOp.116-7。
燃え盛る炎の中で誰かが何かを叫んでる。
何故か突然、2年前の実家の火事を思い出しました。
知らせを受けて私が到着した時は、既に鎮火していたので
実際、私は現場を見ていないのに
まざまざと、この目で見たように再現される恐ろしい世界。
それがあまりにリアルだったので
ちょっと衝撃的で呆然としてしまいました。
7つの幻想曲が終わると
殺していた息を吐き出すような呼吸の音や
それまで我慢していた咳があちこちから聴こえ
張り詰めていた会場の空気が少し動きました。
牛田くんは、タオルで額の汗を拭いました。
3つの間奏曲
Op.117-1は
救済 天国 雲の上の世界。
亡くなった魂を優しく包み込むようなOp.116-7との繋がりが
Op.118-6の終わりとOp.119-1の始まりに似ている気がします。
死。
そして、あの世に迎えられる瞬間のよう。
Op.117-2の始まりは
魅力的で洗練された年上の女性。
冬の星座。
なぜ毎回冬をイメージするんだろう。
澄んだ音色が、きっと冬の夜の澄んだ空気を連想させるんだ。
なのに、なぜかあたたかい。
護られている。
そう思う。
目に見えない大いなる存在に。
ひと際明るく光るシリウスの星。
大丈夫。
この星が目印になってくれるから
きっと大丈夫。
わが身を嘆く老人の独り言みたいなOp.117-3。
太い旋律のその影で、聴こえる内声の別の声。
夢見るような中間部の途中で
ふと上の方を見上げ
目をつぶり、イヤイヤをするように首を振って演奏する牛田くん。
ああどうか、このまま醒めないで。
何冊かの本を読んで、ブラームスの人間像に迫るうち
この人をとても身近に思う。
越谷のトークの時、牛田くんも「意外と俗っぽい人だったのでは…」と言っていたけれど
クララを一途に思い続け、生涯独身を貫いたというイメージのヨハネスは
クララ以外の女性ともたくさん浮名を流しているし
たくさん恋をしていたみたい。
身長163cm。
男性としては背が低かったことが
生涯コンプレックスだったらしい。
低く男性的な声の持ち主かと思いきや
どちらかというと甲高い声だったらしい。
そりゃあね。
いろいろあるよね、人間だもの。
ブラームス自身だって
自分を聖人だなんて、きっと思っていなかっただろう。
そんな彼に、もう少し夢を見させてあげて…。
…あ、醒めちゃった…。
休憩時間には、ピアノの調律が入りました。
6つの小品
ガツンと弾き始めたOp.118-1。
全20曲の中で、演奏時間が最も短い曲。
まるで何かの序章のようなこの曲が始まると
突然目の前に青い海が広がるような気がします。
この感覚は、ショパンの12の練習曲のOp.10-1にちょっと似ています。
けれど違うのは、最後の終わり方。
とても優しくささやかに、小さな星の瞬きのように終わる。
星の瞬く世界観を引き継いで、展開するOp.118-2。
言いようもなく美しく
間違いなく今日の私のナンバーワンでした。
いたく感銘を受けたのに
具体的にどうだったのかという細かなことを忘れました![]()
ファンタジックなOp.118-5のロマンスは
まるで一冊の絵本のページをめくっているようでした。
水平線に沈む夕日
深い海の底
白い細かな泡の粒や
揺らめく魚の長いひれのトリル。
貝やヒトデ
ゆらゆら踊る海藻
人魚が奏でるハープ。
色鮮やかな世界。
やがてすっかり日が沈み
暗くなる海の底。
みんな、おやすみ。
今日も一日終わったよ。
今日のOp.118-6は
死に向かっているようだと感じました。
自身の人生の終わりを意識したときの
後悔や諦め。
だけど多分
「死」はもうそれほど怖くない。
勇ましい中間部は
最後の情熱の炎。
そして静かに受け入れる
人生の終わり。
最後の打鍵が終わり
ペダルから足を離した牛田くんは
まるで、彼自身の命も尽きたかのように
目をつぶってそのまましばらく動きませんでした。
最初は音の残響なのかと一瞬思いました。
けれど、音の正体は、客席から聴こえてくる携帯電話の着信音でした。
本来なら静寂に包まれる会場に
無情にもなかなか鳴りやまない電子音が響きます。
これは、ダメでしょう!(ToT)![]()
とっても大切なとこなのにぃ!
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無念すぎる…![]()
けれど集中を途切れさせることなく
牛田くんは、Op.119の演奏に入りました。
4つの小品
Op.119-1は、さっきも書いたけれどOp.118-6の続きの「あの世」の世界。
ブラームスが歌曲をよく作る作曲家だったからなのか分かりませんが
いくつかの曲の中で
ピアノではなく人の歌声のように、くっきりとメロディが浮かび上がってきます。
何度聴いても飽きなくて
その都度新鮮なこのプログラム。
どうしてこの作品を、こんなに好きだと思うんだろう。
本来私は、「苦悩を突き抜け歓喜に至れ」的な
ベートーヴェンの反骨精神のようなものに惹かれるのに。
ブラームスの晩年のこの作品は、まるで真逆。
「諦念」 「寂寥」 「孤独」
だけど自分自身を内観するようなこの作品の
立ち向かわず、抗わずに受け入れているような感覚が
自分の感情に正直に
力まず委ねているような感覚が
今の私には、とても心地よい。
一度はもう作曲はしないと公言したブラームスが作った小品集。
評価されたり、地位を築くために作曲する時期を終え
心のままを形にしたようなこの作品と
昨年秋のショパンコンクールを経て
認められるためではなく、自分のやりたい音楽を追求している今の牛田くんが
重なるような気がするんです。
草原を駆け抜ける風のようなOp.119-2。
様々な表情でリズムが変わります。
気難しい顔をしたお鬚のブラームスの中の
秘められた可愛らしさを見ているような気がするOp.119-4。
五月のそよ風。
嬉しそうで
楽しそうで
時々いたずらっぽく、きゅるんと小さな渦を巻く。
この曲で最後なのは残念だけど
ああ、終わっちゃうと思いつつ
軽快で力強い演奏に、思わず心が浮き立つOp.119-4。
ラプソディというだけあって
様々なキャストが最後に登場するみたい。
和音が濁らず小気味よい。
すべての演奏が終わると
2階席からブラボーの声が飛びました。
アンコールの1曲目は、ショパンの舟歌。
ブラームスの演奏も
後半になると音色が伸びやかに歌い出したように感じたけれど
ショパンのそれは、さらに音色が変わり
柔らかく あたたかく 透明で
私のところから指先までは見えないけれど
指が紙の上を撫でる筆のように音色がなめらかで
とても鍵盤を一つ一つ押しているなんて思えない。
2曲目はノクターン17番。
もうすっかり、牛田くんの名刺代わりみたいな曲。
今日も空気を金色に染めて
繊細過ぎるトリルはなんだか別の楽器の音のよう。
明るく光る床の板。
光を反射して、眩しいくらいのピアノの蓋。
舞台を取り囲む客席に溢れる満ち足りた空気。
この大きなホールを、たった一人で満席にしている牛田くん。
「名古屋の星」。
5年前、熱田神宮を訪れた時に偶然知り合った年配の男性が
牛田くんのことをこんなふうに言っていたのを思い出しました。
今日もありがとう。
幸せな時間でした。












