前記事にもあたたかなコメントをくださった皆さま

 

ありがとうございました。

 

すべてちゃんと読ませていただきました。

 

繰り返し何度も拝読しました。

 

1件1件に返信を書く余裕が出来るまで、どうぞもう少しお待ち下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回も個人的な記事になります。

 

ご興味のある方、お付き合い下さい。

 

 

 

 

ちなみに、5月5日のラ・フォル・ジュルネで、牛田くんはマスタークラスの公開レッスンに参加されたそうですが

 

この情報が公開・発売された3月中旬、私はまさに渦中にいて、牛田くん情報を追うどころかスマホを触る時間さえほとんどなく

 

知った時には既にチケットは完売でした(ToT)

 

 

もしもレポ記事を楽しみにしていた方がいらしたらごめんなさいm(_ _)m

 

 

(画像や動画を送ってくれたファン友さん達、ありがとうございました)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月6日、おかげ様で母が退院して施設に入居することができました。

 

 

この施設、2年前まで父が入居していた場所でもあり

 

母が入院していた病院のすぐ隣にあります。

 

 

 

松本の病院から転院したとき、看護師さんが

 

「お隣の施設、今ちょうど空きがあるみたいですよ。よかったら申し込みされて行ったらどうですか?」

 

と教えて下さって、母も是非そこに入りたいと言うので転院手続きのあとで申し込みがてら見学に行ったんです。

 

 

 

コロナ禍に入る前、私も一度だけ父に会いに訪れたことがあります。

 

山と田んぼに囲まれた、のどかで景色の美しい場所にありました。

 

 

 

受付で母の名前を伝えると、スタッフの方達が

 

「ああ、○○さんの!新聞で火事の記事を見てみんなで心配していたんですよ。」

 

と。

 

 

そして、とても丁寧に親切に概要を説明して下さいました。

 

 

前回私が訪れた時と違い、今はコロナ感染対策でいろいろが厳しくなっている様子。

 

面会は平日の午後2時から4時の間、15分間だけの予約制で1度に2人まで。

 

来訪者は部屋まで入ることは出来ず、事務所横のテーブルスペースでアクリルボード越しに面会。

 

 

生ものや手作りの食べ物の差し入れは禁止。

 

外出・外泊も事前申請が必要で、外出しても飲食はしないように、とのこと。

 

 

これでもかなり緩くなってきたんですよ、と。

 

 

 

 

高齢の方々を預かる施設ですから、確かにウィルス感染が拡がっては大変です。

 

父の時は長いこと面会禁止で、母も姉も妹も、ほとんど会いに行けなかったと言っていました。

 

 

 

 

 

空いている部屋を見学させてもらったら、8畳ほどの部屋にベッドが1つと入口に洗面所。

 

それ以外の家具は持ち込みだそう。

 

 

 

 

申し込みをしてもすぐに入れるわけではなく

 

介護認定の面談をしたばかりの母の結果が出るのは1ヶ月半ほど先。

 

その後、施設長が母と面接をして、審査が通らなければ入居できないとのこと。

 

 

 

とはいえ、施設決めはかなり苦労するだろうと思っていたので

 

これは本当に幸運で希望が持てる話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は変わります。

 

 

 

 

3月の終わり、東京の私の自宅に男性の声で電話がありました。

 

 

「突然すみません。○○さんのお宅でしょうか?私、Tと申しますが…。」

 

 

 

「Tさん!」

 

 

 

きっと心配しているのではないかと、ずっと気になっていた人でした。

 

 

 

 

 

 

私が中学生くらいの頃、うちの両親が仲人になって結婚したご夫婦がいました。

 

 

父の妹の夫が交通事故で亡くなり、当時小学生だった従弟の父親代わりのようなことを父がしていた時期がありました。

 

その時、従弟の担任だったのがTさん。

 

そして、父の職場で事務を担当していたMさん。

 

人付き合いが苦手な父は滅多にこういうことをしないのですが、それぞれがとても素敵な人なので

 

この2人を引き合わせてみたところ、トントン拍子に話が進み、結婚されたのです。

 

 

とてもお似合いの2人。

 

結婚式ではTさんが、感激のあまり号泣したと聞きました。

 

 

うちの両親のことを「お父さん、お母さん」と呼んで慕ってくれて

 

女の子の赤ちゃんが生まれてからも、頻繁に我が家を訪れてくれました。

 

 

母も私達も小さい子供が大好きだったので年の離れた妹のように可愛くて

 

一人娘のSちゃんも「お姉ちゃんたち」に会うのをいつも楽しみにしてくれて

 

まだ幼稚園か小学校低学年の頃、自分がもらった大事なお年玉で、私達三姉妹に1枚ずつハンカチを買ってプレゼントしてくれたこともありました。

 

 

山登りが趣味のTさんと、野草が好きな母は気が合って

 

いつも楽しそうに談笑してました。

 

「いつかみんなでチョモランマ(だったかモンブランだったか)に登山に行こう!」

 

と、母に半強制的に貯金させられたあのお金はいったいどこへ…?(^^;)

 

 

 

奥さんのMさんは、聡明で優しい人で

 

私達が進路に迷ったときなど相談に乗ってくれたり

 

いつも気の利いた素敵なプレゼントを母や私達に持ってきてくれました。

 

 

 

 

私は高校卒業と同時に地元を離れたので

 

自然にTさんご夫婦やSちゃんと会うこともなくなり

 

最後に会ったのは今から約四半世紀前の姉の結婚式の時に挨拶を交わした程度。

(姉はバツイチです)

 

 

 

 

私が娘を産んだ頃、妻のMさんにがんが見つかり

 

二年ほどの闘病の末、亡くなりました。

 

悲しみに暮れたTさんは、最愛の妻の遺骨を手放すことが出来ず

 

なかなか納骨しようとしなかった、というような話を母から聞いた記憶があります。

 

 

 

 

 

 

 

地元の新聞で実家の火事と姉が亡くなったことを知ったTさんは

 

びっくりしてすぐに家に電話をくれたそうですが電話は通じず

 

車で駆けつけてみたら家には黄色いテープが貼られて人の気配がない。

 

 

母のことが心配で 途方に暮れて

 

昔の年賀状をひっくり返して19年前の私の年賀状を見つけ

 

どうか通じますようにと祈りながら、勇気を出して電話をしてくれたそうです。

 

 

 

お互いに名前を呼び合って

 

「ああ、よかった~!(泣)」

 

と。

 

 

 

Tさんは、母のことをとても心配してくれていました。

 

そして、

 

 

「芽々さん、僕に出来ることはありますか?

 

起きてしまったことはもう仕方ない。詳しく聞くつもりもありません。

 

ただ、今からのあなた達のために、もし出来ることがあるなら何だってします。絶対遠慮はしないでください。」

 

 

火事の日以来、こんなに誠実で力強い言葉を聞いたのは初めてでした。

 

その頃の私は「悲しみ」や「不安」に流されては何も出来なくなってしまうので

 

とにかく感情を脇に置いて頑張っていました。

 

でもまだ泣いちゃいけない。

 

涙が湧いてくるのをぐっと堪えました。

 

 

 

 

その日以来

 

姉の納骨が終わったこと

 

母が転院したこと

 

49日の法要の日が決まったこと

 

節目節目にTさんに報告してきました。

 

 

 

何年か前に教員の仕事をリタイアし

 

93歳になる義理のお母さん(亡くなった妻のMさんのお母さん)と二人で暮らしているというTさん。

 

このご時世に携帯電話を持っていないそう。

 

夜6時になると寝てしまうので自宅の電話にも出られないとのこと。

 

 

仙人みたい…(^^;)

 

 

 

なので連絡を取るためには、朝や日中の早い時間に電話をするか

 

留守番電話に私がメッセージを吹き込みます。

 

私より一回り以上年上なのに、快活なTさんの声を聴くと、いつも元気をもらうんです。

 

 

 

 

 

 

4月の終わり、施設から母を受け入れられるという連絡があり、それを母に電話で伝えると

 

「ああ嬉しい、よかった。」と、母は電話の向こうで泣いていました。

 

私も飛び上がるくらい嬉しかった。

 

 

 

 

 

施設に入った義父の面倒を見てくれている義妹が、いろいろアドバイスをしてくれて

 

フェイスタオルやバスタオルをたくさん送ってくれました。

 

 

 

タオルやパジャマ、生活用品ひとつひとつに

 

油性マジックで母の名前を書いていると

 

娘が入園・入学したときのことを思い出しました。

 

そして、遙か昔、母もこんな風に私の持ち物に名前を書いてくれたんだなあ、と。

 

 

なぜだかこんな作業が、私はなんとなく嬉しかったんです。

 

 

その反面、家から持ってきた荷物の中の

 

母が小銭入れに使っていた黄色い小さながま口一つを処分するのにも心が痛くなって結局捨てられず

 

これから私は一体、いくつこんな胸の痛みを繰り返していくのだろうと 寂しさがじわじわと胸に広がりました。

 

 

 

 

 

 

 

母の施設入居が決まったことをTさんに連絡すると

 

とても喜んでくれて

 

よかったら引っ越し手伝いますよ、と。

 

 

 

既に従姉妹に車を出してもらうことなどをお願いしていたのですが

 

それならば、とTさんのご厚意に甘えることにしました。

 

仕事をしている従姉妹達の貴重なゴールデンウィークの最終日を奪ってしまうのは心苦しかったし

 

Tさんの言葉が社交辞令でないのはよく分かっていたので。

 

 

そして、何より私はTさんに会ってみたかった。

 

子供時代にも挨拶程度でしか話したことがなく

 

四半世紀も会っていないTさんと

 

大人同士として会って話してみたかった。

 

 

なにやら浮世離れしている感じのTさん。

 

もしかしたら、世間的には「変わり者」かもしれないけれど

 

人にどう思われようと自分のスタイルを貫く人間は

 

確固たる「自分軸(信念)」を持っている人だと思うんです。

 

 

 

 

 

 

当日、Tさんは軽トラに乗って駅の改札まで迎えに来てくれました。

 

 

あまりにも久しぶりなのでお互いに顔を忘れていて

 

「俺、もうすっかりハゲてるよ(笑)」

 

「私だってすっかりおばさんですよ(笑)」

 

会う前に電話でそんな話をしたけれど、Tさんの姿はすぐに分かりました。

 

嬉しくなって手を振ったら、改札の向こうで大きく片手を挙げてくれました。

 

 

 

Tさんの軽トラはマニュアルで、取っ手をグルグル回して窓を開ける旧式のものでした。

 

「オートマの軽もあるけど、僕は断然こっちが好きなんです」と。

 

 

 

「何でも言ってください。芽々さんの言う通りに動きます。」

 

と言うので、まずは実家に行って、施設で母が使えそうな物を探しました。

 

 

水道が使えないのがネックだったけれど、もしかしたら庭の地面の蓋を開けて栓を捻れば外の水道が使えるかもしれない。

 

ドライバーを使ってトライしてみたけれど、残念ながら栓はびくともしませんでした。

 

 

幼なじみの実家でもあるお向かいさんに「水道代を払うので今日と明日、外の水道をいっぱい使わせて下さい」とお願いに行ったら

 

「水道代?何バカなこと言ってるの!好きなだけ勝手に使ってちょうだい。そのくらいのことしかできないんだから。」と幼なじみのお母さんが言ってくれました。トイレも自由に使っていいよ、と。

 

 

今までは、ちょっとどこかを触るだけで煤(すす)で手が真っ黒になってしまい、扉やひきだしを開けるのもままならなかったけど、水拭きすればこの問題は解決します。

 

ああ、水ってなんて偉大なんだろう。

 

思わずヘレン・ケラーのように空に向かって両手を広げ、「ウォーター!」と叫びたくなりました。

 

 

 

しかし、煤の威力は凄まじく、テーブルを一度拭いただけでタオルが真っ黒になりました。

 

もう一度別のタオルで拭いても真っ黒に。

 

そして、一度黒くなったタオルは、洗ってもなかなか取れません。

 

 

 

母がリビングで愛用していた椅子と、父が薬などを入れていた小さなチェストは何度も拭いたらなんとか使えそうでした。

 

衣装ケースとカラーボックスは拭いても拭いても汚れが取りきれないし匂いが残るので諦めました。

 

小さな木の机は、表面に少し黒い焦げ跡が残っていたけれど、それを気にしなければ十分役に立ちそうでした。

 

昔から家族が慣れ親しんできた、母のお気に入りの鳩時計も持って行くことにしました。

 

 

 

 

どうせ解体してしまう家なんだから…。

 

そう思っても、私にとっては思い出だらけの実家です。

 

いずれ壊すと分かっていても、せめて少しでも綺麗にしてあげたかった。

 

 

そしたらTさんも

 

「とにかく時間が許す限り片付けたい。どんどんやりましょう!」と、私以上に意欲的。

 

 

 

ジーン…。

 

(T^T)゚。

 

 

 

まず、ドアやクローゼットの取っ手を拭いて、物が置けるように和室のちゃぶ台を綺麗にしたら、かなりいろいろがやりやすくなりました。

 

母の部屋の押し入れの引き出しから出てきた黄色い割烹着を身につけて、夢中で片付けました。

 

こんな時、男手があると本当に助かります。

 

 

 

 

 

誕生日や母の日に私が送ったバラやカーネーションの立体カード。両親の金婚式の時、姉妹3人から贈った額に入った感謝状。

 

 

娘が赤ちゃんの時の写真が入った写真立てを見つけて、Tさんが「これは持って行かなきゃだめでしょう」と。

 

 

え~…(^^;)

 

 

 

家族のアルバムを見ていたら思わず手が止まって二人で見入ってしまいました。

 

「家族」と母がタイトルを書いたのを1冊だけ持って行くことにしました。

 

「Tさん家族」というのもあったので、それをTさんにあげました。

 

他にも母が作った鎌倉彫りの作品など、「お母さんが愛用してた大切な物だから」と、いくつももらってくれました。

 

 

13時に病院に迎えに行くことになっていたので、二人ともお昼ご飯そっちのけで動きました。

 

 

 

暗い納戸のブラインドを上げたら、棚にたくさんの花瓶が並んでいました。

 

「ねえTさん、これに庭の花を摘んで母に持って行ったらどうでしょう?」

 

「すっごくいいと思います」

 

 

 

庭には、満開を少し過ぎた つつじや牡丹の花が咲いてました。

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お向かいの幼なじみのお母さんが、うちの庭の牡丹が綺麗に咲いているよ、と写真を撮ってLINEで送ってきたと幼なじみが言っていました。

 

 

この紫色の花と白いすずらん、ピンクのすずらんを摘んで、小さな青いガラスの花瓶に入れました。

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ホームセンターに寄って、衣装ケースとカラーボックスを買ってから病院に向かいました。

 

 

 

 

病院では、母が随分前から準備をしていたようで、首を長くして待っていました。

 

 

顔も手の火傷も綺麗に治り、染めた髪の色も抜けて化粧をしていない母は

 

私の大好きだったおばあちゃんに少し似て見えました。

 

とても柔らかな雰囲気で、エレガントにすら見えました。

 

足取りもしっかりしています。

 

 

 

 

すっかり片付いた母のベッドの横の棚に、折り鶴が2つ置いてありました。

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「これは持って行かないの?」

 

と聞くと

 

「うん。次に入る人のために。」

 

 

 

 

きっと片付けられてしまうでしょうけど

 

ベッドで一人、折り紙で鶴を折っていた母の姿を思うと

 

寂しさと愛しさが入り交じった気持ちになりました。

 

 

 

 

 

 

 

祝日でほとんど人のいない受付で、入院費の精算をしました。

 

受付の女性が

 

「実は私、20年前の新人の時に初めて担当したのが○○さん(父)だったんです。

お名前がうまく読めなくて噛んでしまって、そしたら○○さんが『みんなそうなんですよ』って優しく笑ってくださって。

だから、○○さんのお名前は一生忘れません。」

 

と。

 

ああ、これもご縁なんですね。

 

父のことを、そんな風に憶えてくれている人がいるなんて。

 

 

 

 

 

 

病院の精算をしたり、入居の契約を交わして説明を受けている間、Tさんが一人で着々と家具の設置をしてくれていました。

 

まず施設に入って、スタッフの方とすれ違ったとき

 

「どうぞ母のことをよろしくお願いします」

 

と、深々と頭を下げてくれたTさんに胸が詰まりました。

 

 

 

 

 

 

母と二人、施設長さんから説明を聞きながら

 

心の片隅で「本当に母を施設に入れてしまっていいのだろうか」という迷いを微かに感じていました。

 

 

まだ介護認定の結果は出ていないけれど

 

あの頃より今の母ははるかにしっかりしていて

 

私の隣で身を乗り出して契約書を見ています。

 

 

ここに入ったら、自由に出かけられなくなる。

 

買い物も、外食も、友達と会うのも…。

 

 

もっとも、田舎なのでお店もないし、気軽に会える友人も多分もういない。

 

だけど

 

もっと親孝行してあげたかった。

 

旅行や外食に連れて行ってあげたかった。

 

手料理作ってあげたかった。

 

 

いっそのこと、「すみません、やっぱりやめます」と謝って、東京のマンションに連れて帰ろうか…。

 

 

いや、まて。落ち着け、私。

 

 

ここに入るのは、何より母が望んでいたことなんだから…。

 

 

 

 

 

 

 

取り壊す前に、もう一度家が見たい。

 

ご近所の人達にも挨拶したい、と母が言うので

 

夕ご飯の時間に間に合うように外出許可をもらいました。

 

 

あ、しかし問題が…。

 

軽トラなので、2人しか乗れないんだった…(^^;)

 

 

おそらく歩いて20分ほどなので、私は歩いて行こうと思ったのですが

 

方向音痴なので道が分からない…汗

 

 

「すぐだから、大丈夫だよ」

 

と、元教師のTさんに小声で勧められ(笑)

 

私、荷台に乗りました(^^;)

(お転婆かよっ!)

 

思いのほか荷台の仕切りが高くって、こんなに股関節を広げたのはちょっと久しぶりですあせる

 

 

 

 

振り落とされないように窓枠の棒にしっかり摑まって

 

ゴトゴト揺れる荷台から見える風景は

 

田植えをしたばかりの田んぼの水がキラキラと反射してました。

 

 

 

クローゼットからすすけた服を何枚か母に選んでもらい

 

私が東京に持って帰って洗濯して来週持ってくることにしました。

 

その間にTさんは一旦自宅に戻り、1000回に1度しか運転しないというオートマの軽自動車で迎えに来てくれました。

 

 

Tさんに向かって何度も何度も「ごめんね」と申し訳なさそうに謝る母に

 

「お母さん、謝らなくていいんです。それよりも『Tがいてくれてよかった』って思ってください。」

 

と。

 

 

 

ジーン…。

 

(T^T)゚。

 

 

 

 

 

 

母を施設に送り届け、個人配達してくれるという新聞屋さんに配達を依頼しました。

 

火事当初はとても読書なんてする気力もなさそうだった母。

 

この前私があげた『続・窓際のトットちゃん』を、もう4回も読んだそうです。

 

 

 

 

マニュアルの軽トラを運転していたときのTさんは

 

暴れ馬を乗りこなす荒くれ者のようにワイルドだったのに

 

今度は笑っちゃうくらい小心者になってました。

 

 

そのTさんの苦手なオートマ車に乗って、一緒にうちのお墓にお参りしました。

 

初めて我が家のお墓の場所を知ったというTさん。

 

とても感慨深そうに、墓石の前で長々と手を合わせてくれました。

 

 

この人は、どれだけうちの家族を愛してくれているのでしょう…(T-T)

 

 

 

姉の戒名が書かれた白木の位牌を見せながら

 

納骨の時、方丈様の言葉に涙が出た話を聞いてもらいました。

 

 

私とTさんがこんなふうに二人で墓参りに来るなんて

 

きっと天国の父もビックリしてますね、と笑いました。

 

 

 

ビクビクしながらオートマ車でバックで発進したTさんは

 

縁石に車のお尻を派手にぶつけました😂

 

 

 

 

 

 

 

今回も泊めてもらうおば(母の妹)&従姉の家のドアを開けると

 

煮物のいい匂いがしてきました。

 

 

私のために、最近では滅多に料理をしないらしいおばが煮物を作り

 

従姉も鶏を焼いたり肉じゃがを作ったり、食べきれないくらいのご馳走を作って待っていてくれました。

 

 

宿無しになって、煤で汚れたこんな私のことを

 

まるでVIPを迎えるみたいにもてなしてくれました泣くうさぎ

 

 

明るいところで自分の指先を見てみたら

 

何度も洗ったのに、熊のように真っ黒でしたクマ

 

 

 

 

疲れてヘトヘトだったけれど

 

従姉と旦那さんとしゃべってたら、すっかり覚醒してしまった。

 

 

だって、従姉の娘さんが音楽活動してるのは知ってたけど、めちゃくちゃすごい人だっんだもん。

 

超人気アイドルグループに楽曲を提供したり、プロデュースしたり。

 

 

なのに、いとこは娘の仕事に全く興味がないんだって 笑。

 

ご主人の方が詳しくて、いろいろ教えてくれました。

 

 

ピアノ講師をしている従姉。ご主人はかつて生徒でした。

 

結婚式では2人で愛の連弾をしたんですよラブラブ

 

今も時々一緒にコンサートに出かけるみたい。

 

 

というか、話してみたら従姉もいろんなピアニストについて詳しくて

 

牛田くんの演奏の音色や弾き方、音楽に対する姿勢など

 

下手したら私より詳しいくらいでした。びっくり。

 

 

前回のショパンコンクールも夢中で見ていたそうで

 

彼女はそれ以来反田さんのファンだそう。

 

話が盛り上がって終わらなくなり、また何時間も話し込んでしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝8時にTさんが迎えに来てくれました。

 

今日こそ母にテレビを持って行ってあげようと、すっかり張り切ってるんです(^^)

 

 

早寝早起きのTさん、なんなら6時くらいに来たそうな雰囲気でした🤣ヤメテー

 

 

雨だったので苦手なオートマで来てくれました。

 

おばがお昼に食べるようにと、パンとお茶を持たせてくれました。

 

 

 

家に入ると、またせっせと片付けに励みました。

 

私はずっと、仏壇を綺麗に拭きたいと思っていたので、仏壇の掃除をしました。

 

おばあちゃんっ子だった私は、おばあちゃんの部屋にある仏壇が昔から好きで

 

お掃除したり、庭から花を摘んできて飾ったりするのが好きな、ちょっと変わった子供でした。

 

仏壇をきれいにすると、なぜか心が落ち着くんです。

 

 

 

Tさんは、割れた窓を板や段ボールで塞ぎ、床に飛び散ったガラスの破片を綺麗に片付けてくれました。

 

リビングのテレビとテレビ台、DVDプレイヤーをまるごと持って行こうということになったけれども、私と同じく配線関係が苦手な様子。

 

カレンダーや置き時計、ペン立てのセット、ごちゃついた小さな引き出し

 

あれもこれも持って行こうとするので制したけれど

 

「お母さんに選んでもらいましょう。いらなかったら持ち帰って僕が処分します。」と。

 

 

 

 

 

どちらかが何かを思いついて話しかけるたびに手が止まり、そのたびにさっきまで持ってた雑巾や軍手が行方不明になるので

 

話しかける前に相手の雑巾や軍手の場所を確認するようにしました🤣

 

 

手を動かしながら、時々手を止めながら、少しずついろんな話をしました。

 

この人といてこんなに心地良くて楽しいのは、根本的なタイプと価値観が似ているんだな、と思いました。

 

そしてTさんは、天国にいる写真家だった友人にどこかちょっと似ています。

 

 

 

社会性を重んじて人に迷惑をかけることを何より嫌うジャックは

 

今回のことも、たとえ親戚でもなるべく迷惑をかけてはいけないと私に言います。

 

ご近所迷惑にならないように、なるべく早く家を解体した方がいい、とも。

 

 

けれどここで生まれ育った私にはたくさんの思い出があり

 

何か一つを手に取るたびに胸が痛みます。

 

この家に対する愛着を共有することは出来ないけれど

 

ジャックのように冷静に割り切って進めてくれる人がいてくれるのは助かる。

 

 

でも、同じ温度で私達家族の思い出を大切にし

 

頭で考えるよりもハートと行動力で動いてくれるTさんの存在は本当にありがたかったです。

 

 

 

 

 

母の新居には、無事にテレビが設置され、スタッフさんが接続してくれてDVDも見られるようになりました。

 

 

机と椅子、チェストとカラーボックス。

 

壁には鳩時計と花の写真のカレンダー。

 

うちの庭から摘んできた花。

 

 

あっという間に心地よさそうな空間になりました。

 

(Tさんが持ってきたデカい置時計とごちゃついた引き出しは却下されました 笑)

 

 

 

 

私が前回病院に差し入れした和菓子を3人で食べました。

 

てるてる坊主や虹、紫陽花やカエルの形をした和三盆の小さなお菓子。

 

まったく手を付けてなかったので「忘れてたの?」ときいたら

 

可愛くてもったいなくて食べられなかったそうです。

 

 

窓の向こうには水を張ったばかりの田んぼと

 

その向こうにはもりもりと力強い新緑の山が見えました。

 

 

 

 

 

母は、自分の運命を穏やかに受け入れているように見えました。

 

 

 

この場所が、母にとって心地よい場所になりますように。

 

健康で快適で 穏やかで充実した毎日を過ごすことができますように。

 

 

 

 

 

 

 

再び実家に戻り、また作業に取り掛かりました。

 

そして、Tさんといろんな話をしました。

 

 

「お母さんも芽々さんも強いね。こんなに辛くて悲しいことが起きたのに、ちゃんと感情をコントロールしながら前を向いて生きている。」

 

 

 

結婚7年目にやっと生まれた姉は、両親にとって本当に特別だったと思います。

 

その愛娘を亡くしてしまった母の悲しみの深さは、きっと姉を失った私のそれとは比べものにならない。

 

せめて、晩年が幸せであってほしい。

 

 

今の私にとって、悲しみに暮れるより、母の明るい未来を考える方が優先です。

 

Tさんも、まったく同じことを亡くなった奥さんのお母さんに対して思っているそうです。

 

 

 

 

 

今回起きたことは残念で悲しいことだけど

 

思いがけずTさんと再会して、いろんな話ができたこと

 

またつながりを持てたことが、私は本当に嬉しかったです。

 

 

父は、人を見る目があったんだなあ…。

 

 

 

 

 

 

 

人に迷惑をかけないように社会生活を送るのは大事。

 

でも、思い切って「助けて」って言うのはもっと大事なんだと思いました。

 

 

やっぱり人は一人じゃ生きていけないし

 

思い切って「遠慮」の枠を越えると

 

たくさんの人たちがあたたかく手を差し伸べてくれます。

 

そこには、思っていた以上の奥深い実りがあるような気がします。

 

 

 

 

 

 

庭の白いボタンの花を、青い陶器の花瓶に活けて

 

水道を使わせてくれたお礼にお向かいさんに届けました。

 

とっても喜んでくれました。

 

 

ありがとう。おばちゃんも長生きしてね。

 

 

 

 

 

 

 

東京に帰るため、荷物を取りにいとこの家に戻りました。

 

バタバタと荷物をまとめてお礼を言って出ようとしたら

 

「芽々ちゃん、待って」

 

と、いとこが冷蔵庫から大きな板チョコを1枚出して「はい。」と渡してくれました。

 

 

アメリカのお土産かな。

 

前回も帰り際にもらって、とっても美味しかったの。

 

 

子供の頃、この家に遊びに来ると、この優しいいとこがいつも瓶入りのヨーグルトをくれました。

 

そのヨーグルトが大好きで、食べたくって、いとこのことが大好きで

 

しょっちゅうここに遊びに来ました。

 

 

変わらずに優しいいとこ。

 

 

ありがとう。

 

 

 

みんなのことが大好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。