書くことが 父の供養になるといいな と思いながら書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父が息を引き取ったという知らせを受け

 

3年ぶりに故郷に向かいました。

 

 

一本でも早い電車に乗りたくて

 

新宿駅を 走って 走って 

 

切符も買わずに特急「あずさ」に飛び乗りました。

 

 

 

 

父の死を家族に告げたとき

 

娘が 黙って私を抱きしめてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実家には 父の遺体が既に到着していて

 

業者の二人の女性が

 

「エンゼルケア」というのを施してくれていました。

 

 

 

体を清めてもらい

 

髪や顔を整えてもらった父の亡骸は

 

これで昨日まで生きていたのが不思議ないくらい

 

枯れ枝みたいに細く乾いていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに会った母は

 

すっかり弱く小さくなっていて

 

老いたからなのか 疲労からなのか

 

起きているだけでも辛そうでした。

 

 

いつも強くてしっかりしていた母の変化は

 

父の死と同じくらい私にはショックでした。

 

 

 

 

このようなご時世であることと

 

喪主である母の疲労を考慮して

 

会場を借りて 家族だけの家族葬にすることにしました。

 

 

 

 

 

 

檀家になっているお寺のお坊さん(方丈(ほうじょう)さまと呼ぶらしいです)が来て

 

通夜と葬式の段取りを話し合いました。

 

 

 

通夜・葬儀は 「三日間戦争」とも呼ばれ

 

次々やること 決めなければいけないことがあるため

 

家族にとってはまさに戦争なのだそう。

 

 

 

 

8年前にも 祖母の葬儀を担当してくれた若い方丈さまは

 

ざっくりと 丁寧に

 

父の生い立ちや経歴を聞いて

 

美しい文字を白いノートに書き留めていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

姉の運転する車で

 

姉妹3人で 夕ご飯のおかずや

 

棺に入れるお菓子を買いに行きました。

 

 

甘党の父は お菓子が大好きで

 

よく 母の目を盗んでおまんじゅうやどら焼きを食べていたので

 

思う存分好きな物を食べられるように

 

甘い物を たくさん買い物かごに入れました。

 

 

3人でこんなふうに出かけるなんて いつ以来だろう…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜は 姉の部屋で

 

布団を並べて寝ました。

 

 

いろんな話をしました。

 

 

 

去年、姉が買ったピアノにやっと対面することが出来て

 

「何か弾いて」

 

とお願いしたら

 

ショパンのバラード1番を弾いてくれました。

 

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翌朝 父が大切にしていた庭に出て 植物を眺めました。

 

 

 

 

信州の季節は 東京より1ヶ月ほど遅れているみたい。

 

 

 

これから色づく紫陽花

 

 

まだ固くて小さな無花果の実

 

 

ルビーみたいに赤い房すぐり

 

 

 

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葬儀会社との打ち合わせにも

 

母は参加する体力・気力がなく

 

すべて姉と私で決めました。

 

 

 

 

昨日 方丈さまが 棺に入れるものを教えてくださったので

 

姉が服や身の回りの品を選び

 

妹が父の好物だった卵焼き入りのお弁当を作り

 

私は祭壇に飾るお団子を作りました。

 

 

 

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方丈さまからは ただお団子を作って下さいとだけ言われていたので

 

米粉一袋分 いっぱい作ってしまったけれど

 

葬儀屋さんが言うには地域にもよるけれど6つ用意して下さいとのこと。

 

 

「六道」と言って

 

人が亡くなったあとの輪廻転生は

 

生前の行いにより

 

「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」

 

この6つの中のどこかに生まれ変わるのだそうです。

 

 

天国と地獄だけじゃないんですね。

 

 

 

 

 

お団子が余ったので みたらし団子も作っちゃった。

 

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お通夜や葬式の様式は

 

地域や宗派によって様々だと思いますが

 

私は生まれてこの方 肉親を亡くしたのは8年前の祖母の時だけで

 

その時も 通夜に遅れて駆けつけたので

 

こんなことをするなんて知りませんでした。

 

 

 

あまりにもいろんなことがあったので ちゃんと覚えていませんが

 

最初に「この世への未練や邪心を断ち切る儀式」として

 

方丈さまが 剃刀で 父の髪を剃る真似をして

 

布団の上に寝ていた父を 敷き布団を持ち上げて 家族で棺の中に移し

 

お遍路さんと同じ白装束と 三角の頭巾を亡骸に着せて

 

足元に草履を置き

 

三途の川を渡るための杖を右手の側に置きました。

 

 

衣装が整うと 身を守るための短刀をお腹の上に乗せ

 

家から用意した服や小物 花を並べていきました。

 

 

こんなふうに段階的に準備をしていくことで

 

亡くなった魂も 自分があの世に旅立つ身であることを悟り

 

送る側の家族にも 心の準備が出来ていくのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

棺の中が 父の好きな物 大切な物

 

綺麗なお花でいっぱいになっていく様子は

 

「よかったね」

 

という思いと同時に

 

言いようのない寂しさを感じました。

 

 

私達も白と黒の水引を肩からかけて

 

あちらに行ってしまう父にそれぞれ声をかけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

亡くなるときの父は

 

苦しむわけでもなく 安らかに息を引き取ったそうです。

 

 

 

仏様になった父は 穏やかな表情だったけれど

 

だけど もう

 

私の知ってる父じゃない

 

魂の抜けた「骸(むくろ)」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

方丈さまの声に合わせて

 

経本を見ながらみんなで経を読んだのですが

 

なぜか自分の声しか聞こえない…。

 

 

あとで姉や妹が

 

「ねえ 芽々の声しか聞こえなかったよ。」

 

と。

 

 

あっ!私 一生懸命 方丈さまの音程に合わせて1オクターブ高くして読んでたけど

 

別に歌じゃないから音程合わせる必要なかったんだあせる

 

 

みんなもそれぞれ自分の声の出しやすいように読んでいたけれど

 

ひときわ高い私の声だけが目立っていたらしいあせる

 

 

絶対音感のある娘が

 

「ラのフラットだったね」

 

 

 

姉が

 

「音程合わせちゃうなんて 牛田くんの影響だね」

 

と。

 

 

 

 

(//・_・//)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝 葬儀会場に棺を移す時

 

ふらついた母が転んで畳に頭を打ちました。

 

 

 

 

会わなかった間に

 

こんなに年を取っちゃって…

 

 

 

それからはずっと

 

母のことが心配で 細くなった母の体を隣で支えてました。

 

 

 

こんなに弱く脆くなってしまった母にとって

 

家族葬の喪主を務めるだけでも精いっぱいだったと思います。

 

 

 

枯れ枝のような父や

 

湯葉のような母を見て

 

 

自分自身も 確実に老いや死に向かっていることを実感しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここ数年の私は

 

悲しかったり 苦しかったり 辛かったりしても

 

あまり涙が出てきません。

 

 

そういうことよりも

 

嬉しかったり 感動したり 人の優しさに触れたときに

 

自然と涙が出てきます。

 

 

これも年を取ったということなんでしょうか。

 

 

 

 

今回も

 

斎場に足を踏み入れて 

 

たくさんの花に囲まれた祭壇の父の遺影を見た時や

 

 

訃報を聞きつけた従兄の 

 

心のこもった弔電が読み上げられた時や

 

 

葬儀の中で 方丈さまが 生前の父の人柄やエピソードを話してくださったときに

 

静かな涙が湧いてきました。

 

 

 

 

 

 

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施設に入ってからも 文句ひとつ言わず

 

家族の手を患わせることもなく

 

穏やかにすべてを受け入れていったお父さん。

 

 

 

コロナ禍で 米寿のお祝いもしてあげられなかった。

 

もうすぐ父の日なのに 間に合わなかった。

 

 

 

お父さん いっぱい親不孝してごめんね。

 

あのとき 泣かせてしまってごめんね。

 

 

 

 

育ててくれてありがとう。

 

 

こんなに長生きしてくれてありがとう。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

あ ダメだ…。

 

 

今頃になって涙が…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父は 若い方丈さまに 素敵な戒名をつけていただきました。

 

 

 

今の季節を短歌の季語で表した「梅」

 

父の仕事だった「教」

 

信濃の山を意味する「峰」

 

 

 

あとは 

 

えーと なんだっけ…(〃∇〃)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜 私の尊敬する 大好きな ある方が電話を下さいました。

 

 

びっくりしました。

 

私にとっては雲の上の人だったから。

 

 

「芽々ちゃんに どうしても伝えたいことがあるの。」

 

 

と。

 

 

 

 

信じるか信じないかは芽々ちゃんの自由だけど

 

体は亡くなっても お父さんの心はそばにいるよ。

 

初七日や四十九日までは 本当に近くにいるんだよ。

 

 

気をつけてみて。

 

一生懸命サインを送ってくれてるよ。

 

 

そばを舞う蝶々だったり

 

近くで鳴いている鳥だったり

 

ふと開いた本のページに書いてある言葉だったり

 

偶然通りかかった車のナンバーだったり。

 

 

 

コロナ禍は 想像以上に人に年を取らせてしまう。

 

私の知り合いでも 家族や親戚の葬儀に出られなかった人がいる。

 

 

誰も悪くないよ。

 

誰にも悪意はないよ。

 

そして 自分を責めないで。

 

 

 

きっと想像以上に疲れてるはずだから

 

しっかり休んで 自分のことも ちゃんといたわってね。

 

 

 

 

 

 

とても忙しい方なのに

 

直接お話しすること自体 信じられないのに

 

 

大切な時間を割いて こんなふうに気にかけてくれたことも

 

あたたかな言葉も

 

本当にありがたくて嬉しくて

 

 

彼女の柔らかで澄んだ声を聞いたら

 

自然と涙が溢れてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから私は

 

 

ひらひらと舞う蝶や

 

 

電線に止まって こっちに向かって鳴く鳥や

 

 

目の前を飛んでいる小さな蛾にさえも

 

 

「お父さん?」

 

 

と思ってしまいます。

 

 

 

 

 

 

今年の夏は 蚊を叩き潰すことが出来ず

 

 

いっぱい血を吸われちゃうかもしれません。

 

 

 

お盆あたりから登場し

 

 

ミンミンと叫び続ける天敵のアイツらにさえ

 

 

もしかしたら今年は優しくなれるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(*^.^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人はみんな

 

 

生かされているんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後までお付き合い下さり

 

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

m(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ続く予定でございます。(///∇//)ヨロピクラブラブ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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