晩秋の京都。彼のリサイタルに行ってまいりました。
牛田智大ピアノ・リサイタル
~ドラマティック・ショパン~
2020年11月26日(木)19時開演
京都コンサートホール 大ホール(京都府)
秋の京都と言えば、紅葉!
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先月、札幌コンサートホールKitaraがある中島公園で、今さらながら紅葉の美しさに目覚めた私。
そうだ 京都、行こう。
テンション上がるーっ!
(≧▽≦)(≧▽≦)(≧▽≦)
が、今回いかように私が京都を満喫したかについて書き始めたならば
きっとまた文字数オーバーでエラーになる予感がしますので、コンサートのことのみ書きたいと思います。
京都コンサートホールに足を運ぶのは、多分これで4回目くらい。
もう、目をつぶってでも行けちゃいます![]()
(ウソです)
ホールには、既にクリスマスの飾りが施されていました。
丸い建物の壁に沿って、歴代の著名な音楽家達の写真が並ぶ螺旋状のスロープがとても好きです。
音楽家達から、これから始まる特別な時間への招待を受けているような気持ちになり、
日常から、特別な時間へ気持ちが少しずつ切り替わっていきます。
入り口で手を消毒し、自分でチケットをもぎり、置いてあるプログラムを各自で取っていくスタイルには、もう慣れました。
それでも、クロークやドリンクを提供するスペースが閉じていると、やっぱり寂しいな、味気ないな、と思います。
サイン会が復活するのは、一体いつになるんだろう…。
座席は1列目はすべて使われておらず、2列目以降は1席おき。
正面のバルコニー席は、今回はまったく販売されなかったようで、誰も座っていませんでした。
プログラム。
< J.S.バッハ >
♪ イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971
<F.ショパン>
♪ ノクターン第16番 変ホ長調 Op.55-2
♪ ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調Op.35「葬送」
♪ ワルツ5番 変イ長調 Op.42
♪ ポロネーズ第6番 変イ長調Op.53「英雄」
~ ~ 休憩 ~ ~
<F.ショパン>
♪ 3つのマズルカ Op.56
♪ 幻想曲 ヘ短調Op.49
♪ バラード4番 ヘ短調 Op.52
♪ 舟歌 嬰ヘ長調 Op.60
登場しました。牛田くん。
衣装は、ずっとタキシードと書いてきましたが、博学なファン友さんによりますと、
正確にはタキシードではなく、黒いジャケットに白いシャツと蝶ネクタイを合わせたスタイルとのこと。
手には紺色のタオル。
イタリア協奏曲。
1曲目はまるでチェンバロの響きのようでした。
弾き終わるとそっと指を鍵盤から離し、
両の手を胸の前で軽く握ったままの姿は、心優しきボクサーの構えのようでもありました。
いつも、なんとなくセピア色だと感じていた2曲目。
今日は宗教的な音色に響きました。
誰もいない教会で、1人祈りを捧げているような。
孤独がしんと胸にしみてきました。
3曲目。今度は元気よく歯切れよく、そして力強く。
強い意志を持って、何かをぶつけているようにも感じられました。
演奏が終わると拍手の中立ち上がって挨拶をし、一度袖に入りました。
ショパンのノクターン16番。
切り裂くような最初の1音から始まり、美しいトリル。
愁いを含んだ音色。
胸の中に、甘美なせつなさがゆっくりと広がっていきます。
骨太で、すべてを抱き込むようで、
蜜…。ううん、もう少し深い色のメープルシロップかな…。
弾き終えた彼の横顔を、とても美しいと思いました。
ソナタ第2番。
ペダリングがきいていて、闇に線を描く花火の残像のような残響が印象的でした。
どこか女性的だった第1楽章から、第2楽章は骨太で男性的。
キレがよく、透き通った音色。
澄んだ海のような、月の光を映して揺れる湖の水面(みなも)のような。
ふと、ガランとしたバルコニー席が目に入りました。
ここで牛田くんの演奏を聴くときは、いつもそこにはたくさんの人たちの姿がありました。
寂しいな…。
そう思う反面、両隣に人がいない客席で演奏を聴くというスタイルに慣れつつある自分が、
もしかしてそれを心地よいと感じているのかもしれない、と思ってハッとしました。
うまく言えませんが、自分の周りのほんの小さな空間を占領し、
存分に自分の感性で演奏を受け止め、
好きな色に小さな空間を染めることが出来るような自由な感覚。
満席の会場を恋しいと思いながら、こんなふうに感じている自分が不思議でした。
第3楽章の「葬送」は、ガクンと頭を垂れて目をつぶり、自分の内側にどこまでも沈み込んでいくようでした。
ふと彼の足元を見ると、とんがった靴のつま先がかすかに床から浮いています。
少し前までのおなじみの靴とは違います。
初めてユンディの演奏を聴いたとき、ピカピカのとんがった靴のつま先が目に入り、
それが、洗練された大人の男性の象徴のように見えました。
牛田くんの横顔に少年の面影を探しながら、
とんがったつま先を見ながら、
彼がもう立派な洗練された大人のピアニストであることを実感しました。
天使的な展開部分は、女神の手の中にいるようで、目をつぶって聴きました。
そして、「死」について考えました。
2日前、とても大切な人の死を知りました。
呆然として、愕然として、時間が止まったように感じました。
それからずっと、自分の中の一部が麻痺したようでした。
「死」は忌むべきことで悪いことなのだろうか?
死は「陰」でネガティヴなことなのか?
大切な人を失った、遺された者達は、確かに哀しみにくれるけれど、
重要なのは、「死んだ」という事実よりも、「どう生きたか」ではないのだろうか…。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、黒いピアノが棺のように見えました。
ひそかに待ち続けていた第4楽章。
引きずり込まれるような、脳に何かが入り込んで、徐々に神経が麻痺していくような…。
恐怖を感じながらも、その中に恍惚とするような旋律が隠れていることに気付きました。
毒の持つ魅惑とでもいうのでしょうか。
死の宣告に怯えながらも、どこかでそれを待ち望んでもいるのです。
だから最後にフォルティッシモでその瞬間が来ると、なぜか安堵するのです。
やっぱり牛田くんの弾く第4楽章は、毒薬のように魅力的です。
「無」に続くワルツ5番。
ああ、まただ…。
私、今日もなんで泣いているんだろう。
なんで、こんなに胸が熱くて、涙が溢れてくるんだろう。
亡くなった彼のことを思い出しました。
お日様のような笑顔。優しいまなざし。
ユーモアと子供のような純粋さ。
これ以上ないくらい、いつも私を肯定してくれた人。
自然を愛し、人を愛し、
自分の身に起こったことを静かに受け入れ、
愛する人に看取られて旅立っていった人。
いつも、人の幸せを願っていた人。
彼はしっかりと自分の人生を生ききった。
だから、涙よりも、拍手を送りたい。
こんな花のような曲と一緒に、「ありがとう」って伝えたい。
ありがとう、牛田くん。
私は初めて、ちゃんと泣くことが出来ました。
ずっと麻痺していた私の一部が、あたたかな涙と一緒に溶けて、戻っていくように感じました。
ポロネーズ6番。
始まりのフレーズから、勢いよく空に飛び出していくようなスピード感。
余計な装飾のない、野生馬の筋肉の躍動のような本質的な美しさ。
私が「シュッシュッポッポ」と勝手に呼んでいる部分。
ミレドシミレドシの低音のユニゾンが続く、退屈になりがちなこの部分を
こんなに深く凜々しく演奏できる人がほかにいる?
大胆で、繊細で、男らしくて、気品に溢れてて…。
私の大好きな大好きな牛田くんの英雄ポロネーズ。
会うごとに素敵な大人の男性になっていく牛田くん自身のように、
この曲も聴くごとに磨き上げられ、男っぷりをあげていく。
ああ…。
涙は出るし、体中をアドレナリンが駆け巡るし、心拍数はあがるし、
1人で勝手にやたらと忙しい。
くううううっ!
体も心も、なんだか大変な毎日がこのところ続いてきたけれど、
すべてはこの演奏を聴くためにあったんじゃないか。
やっぱりこの瞬間のために、私はたくさん頑張ってきたんだ。
そんなふうに思えるほど、至福の時間でした。
拍手に包まれて、牛田くんが舞台から姿を消し、
会場の照明が明るくなり休憩に入ってからも、
放心状態で、しばらく動けませんでした。
後半最初のマズルカ。
1曲目は柔らかな風のように始まり、
草や落ち葉とじゃれるように、くるくると回りながら踊ります。
特に高音は、真綿に包まれたような、夢見るような音色でした。
もしもショパンがこの演奏を聴いたなら、
故郷を想い出し、涙するのではないかと思うような2曲目。
3曲目。今度は私が郷愁を覚えました。
闇に包まれる夜が怖いと思っていた、幼かった頃のあの感覚。
どこまでが短調…?
次々と転調し、展開していく曲は、
懐かしい扉を1枚ずつ開けていくようでした。
鍵盤から指を離し、そのままの構えで幻想曲ヘ。
ものすごい集中力を感じました。
今度は背筋を伸ばし、目をつぶってうつむきながら。
陽光に反射する水面のような煌めきが
キラキラと潜在意識に呼びかけてきます。
かと思うと、
堕ちていく。
流されていく。
やがて静かに光が射し、訪れる「再生」。
かと思うと、
クラッシュするように。
すべて夢だったかのように。
回想に身を委ねたまま、夢の世界へ。
空から静かに舞い降りてくる白い羽根。
この人は、一体いくつのひきだしを持っているのだろう。
どれだけの過去世を生きてきたのだろう。
彼の内側に、無限の宇宙が広がっているのを感じました。
うっとりと身を委ねていると、いきなり背後から突き落とすように、現実をつきつけてくる。
予測できない面白さ。
勝手に意味づけをしていると、ぴしゃりと否定されるよう。
ああ、幻想の世界に、もうすっかり翻弄されている…。
彼が伝えたいのは「美しさ」だけではないのでは…。なんて思いました。
拍手が湧き上がり、挨拶をすると袖の中へ。
バラード4番。
ショパンの曲の魅力の1つは
確定しない不安定さだとも思うんです。
冒頭で優しく抱きしめられて安心していると
次の瞬間、突然哀しみ色に染まる。
その対比が、ことさら孤独を深め、
寂しくて、寂しくて、寂しくて…。
渾身の演奏に、さらに哀しみが深まって
ハートから血の涙がダラダラと流れ落ちるよう。
うまく言えませんが、
「癒やされる」とか「楽しむ」とかいうレベルを超えて
魂に何かを問いかけてくる。
今日のこの日を楽しみにしている間に、どんどん増えていくコロナ感染者の数。
「行けるだろうか」「聴けるだろうか」
ずっと心配しながらこの日を迎えました。
数日前まで、当たり前だと思っていた長距離移動に感じる罪悪感。
それでもやっぱり、聴けてよかったと思ってしまう。
誰かに後ろ指をさされてもいいから、
それでも聴きたいと思ってしまう。
なんて孤独なんだろう。
なんて美しいんだろう。
内側へ、内側へと内省を深めていくうちに
忘れていたはずの痛み、哀しみを呼び戻している。
追憶…。
そして、圧倒される激しさ。
ショパンって、こんなに面白かったんだ…!
あまりに素晴らしい演奏に拍手が起こりましたが、
牛田くんは座ったまま、軽く片手を胸に当て、
そのままラストの舟歌に入りました。
ああ…。
せっかく自分をなだめたはずなのに、
この演奏にすっかり恋に落ちました。
ゆったりと、懐深く、情熱的に。
けれど決して感情の波に溺れずにしっかりと自分の手で舵を切っている。
やっぱり牛田くんのピアノが大好き。
そして、このプログラム、やっぱり神過ぎるー!
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「幻想曲」「バラード」「舟歌」。
それぞれが本当に珠玉の演奏。
もう、体中に青痣出来そうなくらい、ブンブンと振り回され、翻弄されました。
(T^T)゚。
アンコールは、そうです。「子犬のワルツ」。
鶏、牛、魚…。
豪華なメインディッシュのあとに出てくる爽やかなデザート。
例えるなら酸味の効いた白いシャーベット。
んもう、心憎いったらないわっ!
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(またしても転がされてる感)
拍手の中、2回袖から戻ってきて、笑顔で挨拶してくれました。
ありがとう!
ありがとう!
ありがとう!
なんだろう。この、フルマラソン走り終えた後のような心地よい疲労感。
(走ったことないけど)
すべての細胞が、新しく生まれ変わったような感じ。
やっぱり牛田くんのピアノは最高!
(画像は一部お借りしました)









