皆さま、こんにちは。

 

 

先月書いた記事、

 

「牛田くんの信念。英語とブルーライト」

 

で、ほんのちょっぴり触れただけなのですが、

 

急にこの映画がまた観たくなりました。

 

 

 

『戦場のピアニスト』

 

 

2002年、フランス、イギリス、ドイツ、ポーランドの4ケ国で合作されたこの映画。

 

 

私は今までにDVDで2回鑑賞したことがあります。

 

 

クラシックにほとんど興味がなかった1回目は

 

「外国の戦争映画」

「残酷で哀しい」

「音楽はやはり人の心を打つ」

 

そんな印象が残りました。

 

 

 

2回目に観たのは、当時13歳の牛田くんに墜ちた(///∇//)7年前。

 

ピアノのこと、クラシックのことが、もっとよく知りたくて。

 

 

 

以前こちらのブログでも紹介した映画『シャイン』がラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」のイメージだとするならば、

 

この『戦場のピアニスト』は、私にとってはショパンの「ノクターン第20番(遺作)」のイメージです。

(人によっては「ショパンのバラード1番」をまずイメージするかもしれません)

 

 

 

 

近所からDVDレンタルの店が次々と姿を消し、

 

気付けば最後にレンタルしたのがいつだったのか思い出せない。

 

 

そうそう。娘がどうしても入りたい!と切望したので、我が家のiPad、Netflixに入ってるんだった。

 

さっそく検索してみたのですが、目当ての『戦場のピアニスト』がリストの中にない。

 

 

嘘でしょ?!あんな名作が入っていないなんて!( ゚Д゚)

 

 

 

仕方ないので、久しぶりに隣の駅のレンタルショップまで行きました。

 

しかし、どんなに店内をウロウロしても、

 

該当するジャンルのコーナーで50音順に並ぶDVDのタイトルを目を皿のようにして眺めても、

 

『戦場のピアニスト』が見当たらない。

 

 

嘘でしょ?!あんな名作を置いてないなんて!( ゚Д゚)

 

 

 

探しても見つからないとなると、観たい想いは募るばかり。

 

 

 

 

 

 

 

…ということで、メルカリで買ってしまいましたー!(〃∇〃)

 

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さて、今からゴッツリネタバレしちゃいますので、

 

「まず自分の目で観たいわ~」

 

と思われる皆さま、ここで華麗に踵を返してくださいませスニーカー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舞台は第二次世界大戦が始まった1939年、ポーランドのワルシャワ。

 

 

主人公のユダヤ系ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンが、ラジオの収録でショパンのノクターン20番を演奏しているシーンから始まります。

 

 

 

演奏中に突然ドイツ軍による爆撃を受け、飛び散るスタジオの窓ガラス。

 

スタジオから逃げ出す途中で、かねてからシュピルマンのファンだったという友人の妹で、チェロ奏者のドロダと出会い、互いに好意を抱きます。

 

 

しかし、ワルシャワはドイツ軍に占領され、当時ポーランドに住んでいた約40万人のユダヤ人は、一目でユダヤ人と分かるダビデの星のマークの腕章をつけることを命じられ、ワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人隔離地域)に移動させられます。

 

互いに好意を寄せ合っていたドロダは純粋なポーランド人だったため、二人は別れを惜しむ間もなく離ればなれに。

 

 

 

 

6人家族のシュピルマン家は、転々と移動を余儀なくされながら、バラバラになったり、再会を喜んだりして身を寄せ合って暮らしますが、そんな中でも描かれている目を覆いたくなるような数々の残酷なシーン。

 

 

 

道端に横たわるいくつもの朽ちかけた死体。

 

 

ドイツ兵の暇つぶしに、「踊れ!」と命令され、銃口に怯えながら凍り付いた表情で踊らされる年寄りや子供、体の不自由なユダヤ人たち。

 

 

「私達はどこに移動するのですか?」と質問しただけで、頭を撃たれて即死する女性。

 

 

ドイツ兵に見つからないように、泣き出した子供の口を塞ぎ、死なせてしまった自分の過ちを呪詛のように嘆き続ける若い母親。

 

 

 

中でも、最初にこの映画を観たときからどうしても忘れられないシーンがあります。

 

 

窓越しに見える向かい側のアパートメントで一家団欒の時間を過ごしていた家族。

 

突然ドイツ兵達が乗り込んできて「立て!」と命令する。

 

その家の家長と思しき老人は、足が悪く立ち上がることが出来ない。

 

すると、ドイツ兵が2人がかりで車椅子ごと彼を持ち上げ、まるでゴミでも捨てるように彼を高い窓から落としてしまう。

 

車椅子ごと地面に叩きつけられた老人の頭から地面に広がっていく赤黒い血。

 

残った家族も建物の外に連れ出され、一人残らず銃殺されてしまう。

 

 

一部始終をカーテンの陰から目撃して、悲鳴を押し殺すシュピルマン一家。

 

 

 

ほかにも数え切れないほど、残酷で、やりきれなくなる描写があります。

 

 

けれどもこの時代、実際にこういう現実が数え切れないくらいあったのでしょう。

 

 

 

 

もうひとつ印象的だったシーンは、

 

物売りの少年から高額で買い取った、たった一つのキャラメルを、

 

家長である父親がヴァイオリンケースの上で、小さなナイフで6等分に切り分け、

 

小さなかけらを家族みんなで無言で口に含むシーン。

 

 

絶望と不安と飢えの中で、家族の絆と、みんなで共に生き抜こうという強い想いを垣間見るシーンでした。

 

 

 

一家は財産を奪われ、劣悪な環境の収容所に移送され、肉体労働を強いられます。

 

 

かつては音楽や心地よい家、美味しい食事や友人達との時間など、

 

当たり前に人間的な生活を送っていたはずの人たちが

 

すべてを奪われ、まるで人格や心などないように扱われる様子は

 

見ているこちらも耐えがたく、当事者達の精神状態はいかばかりだったかと、胸が締め付けられました。

 

 

 

 

 

 

浜コンのHPで、牛田くんが届けてくれたメッセージの中の

 

「戦争などによって人々が家族や友人、家、仕事、祖国、愛、誇りなど

大切なものを全て失った時代は間違いなくあったのです。」

 

という言葉を思い出しました。

 

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とうとう全員が列車に詰め込まれ、強制収容所に連行される直前、

 

主人公のシュピルマン一人が、偶然居合わせた知り合いの警察官によって助け出され、

 

家族と離ればなれになります。

 

 

 

 

強制労働者として街に出たシュピルマンは、ポーランド人の知人女性を偶然見かけ、

 

彼女と彼女の夫にかくまってもらいます。

 

 

当時ユダヤ人を助けることは死刑に値する罪。

 

かくまう彼らも命がけだったはず。

 

けれどユダヤ人を助ける人たちは何人もいたようで、

 

初対面のポーランド人たちの手を借りて転々と場所を変えて身を潜めます。

 

 

 

この頃、反ナチスのユダヤ人達が、命と誇りをかけてナチスに抵抗する「ワルシャワ・ゲットー蜂起」を起こしますが、鎮圧され、大半が命を落とします。

 

 

シュピルマンをかくまうのに最後に協力してくれたのは、なんと、かつて好意を寄せ合った女性、ドロダの夫でした。

 

ドロダは1年前に結婚しており、クリスマスに出産の予定でした。

 

ドロダの家に泊まった翌朝、シュピルマンはたまたま開いていた扉の向こうで、ドロダがチェロを弾いている姿を目にします。

 

 

もしも戦争がなかったら、結婚して家庭を築いていたかもしれなかった2人。

 

過去に一度だけデートした時に、「キミのチェロが聴いてみたい。」と言いましたが、こんな境遇で彼女の演奏を聴くことになるとは、なんと皮肉なのでしょう。

 

 

シュピルマンはドロダ夫妻の協力で、ドイツ陣営のすぐ近くの隠れ家に一人で身を潜めます。

 

 

そこには1台の古いアップライトピアノが置いてありました。

 

そっと蓋を開け、ピアノの前に座り、鍵盤には触れずに指を動かすシュピルマン。

 

彼の頭の中で流れているのは、ショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」。

 

 

ピアニストでありながら、音楽を愛しながら

 

目の前にピアノがあるにもかかわらず、音を出したら見つかって命が脅かされてしまう。

 

 

それでも、エア演奏をするシュピルマンは一時の安寧の地にたどり着いたような穏やかな表情に見えました。

 

 

 

 

1944年8月、ポーランドの抵抗勢力が「ワルシャワ蜂起」を起こしますが、ドイツ軍によってまたしても鎮圧され、建物が次々と破壊されます。

 

 

身を潜めていた建物も爆撃を受け、命からがら逃げ出したシュピルマン。

 

街は廃墟とがれきの山。

 

食料もどこにもありません。

 

 

足を引きずりながら彷徨い歩き、ある建物の中で、やっと見つけたピクルスの缶詰。

 

しかし、うまく開けることが出来ません。

 

失敗してゴロゴロと転がった缶詰の先に、一人のドイツ将校が立っていました。

 

「何者だ?ユダヤ人か?職業は?」

 

と訊かれ

 

「ピアニストでした。」

 

と怯えながら答えるシュピルマン。

 

それを聞くと、ドイツ将校は彼をピアノの置かれた部屋に連れて行き、何か弾くように命令します。

 

 

ゆっくりと両手を合わせ

 

やがて彼が弾き始めたのはショパンの「バラード第1番」。

 

 

この映画の最も有名なシーンではないでしょうか。

 

 

 

本来ピアニストだった彼が、ピアノを演奏したのは何年ぶりのことでしょう。

 

かつてのこざっぱりと紳士的だった風貌は見る影もなく

 

髪も髭も伸びてまるで十字架にかけられる前のキリストのよう。

 

元々は白く美しかったのに、すっかり黒く汚れて荒れた指。

 

その指が縦横無尽に鍵盤の上を踊り、短調のもの悲しいメロディを奏でます。

 

 

夜の廃墟の中に響き渡るバラード1番。

 

 

ここにこの曲を持ってきたことに膝を打ちたくなります。

 

 

それは嘆きであり、絶望であり、怒りであり、

 

そして、何年もピアノが弾けずとも、ピアニストとして生きてきた彼の魂の歓喜の声のようにも感じました。

 

体は空腹でも、この瞬間、彼の心は満たされていたのではないかと。

 

恐怖を感じながらも、久しぶりに呼吸をするような感覚だったのではないかと。

 

 

 

じっと演奏に耳を傾けるドイツ将校。

 

彼もまた、故郷に家族を残してきた一人の生身の人間です。

 

 

音楽が国も敵味方も超えて、それぞれに、人としての心を取り戻させた瞬間だったのではないでしょうか。

 

 

 

将校は、シュピルマンに、危害を加えずに立ち去りました。

 

 

そして翌日、食料を持って彼の隠れる屋根裏部屋を再び訪れたのです。

 

 

ソ連軍が迫っているので自分たちはここをもうすぐ立ち去ると伝え

 

食料の入った包みをシュピルマンに投げてよこします。

 

寒いだろうから、と、自分の着ていた上着と一緒に。

 

 

 

「どうやってあなたに感謝したらいいのか…」

 

と感激するシュピルマンに

 

「神に感謝したまえ。生きるも死ぬも神のご意志だ。」

 

と。

 

戦争が終わったら再びラジオでピアノを弾くつもりだというシュピルマンの名前を尋ね、

 

必ずラジオで聴く、と言い残して立ち去ります。

 

 

残念なことに日本語の字幕で訳しきれなかったのでしょうが、

 

将校は、会話の中でシュピルマンに対し、「サー(sir)」という呼び方をしています。

 

 

ドイツ兵として高い位についていながら、

 

命を握る側と握られる側でありながら、

 

ボロボロの身なりのユダヤ人を立派な演奏家として認め、

 

敬意を払ってこそのこの言葉。

 

この将校の言動に、彼の人格の高潔さが表れています。

 

 

 

ドイツ軍が立ち去った後、ポーランド国家を鳴らす車が通り

 

長かったシュピルマンの逃亡生活が終わりました。

 

 

 

 

 

 

 

戦争は終わり、次の場面ではドイツ兵達がソ連軍に捉えられ、収容されていました。

 

 

そこを通りかかったユダヤ人のヴァイオリニストが

 

「俺たちから音楽やすべてを奪いやがって!」

 

と、彼らに向かって悪態をつきます。

 

 

収容されたドイツ兵達の中から一人の男が立ち上がり、命乞いをします。

 

「シュピルマンを知っているか?俺はかつて彼の命を助けたことがある。」

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、画面では再び身なりを整え、ラジオ局で「ノクターン第20番」を演奏しているシュピルマン。

 

 

戦争は終わり、彼は再び平和な生活を取り戻しました。

 

けれどこの数年間の間に、家族や友人達を失い、

 

筆舌に尽くしがたい悲惨な光景を目の当たりにし、

 

自身の命も数え切れないくらいの危険にさらされてきました。

 

 

奇跡のように再びたどり着いたこの場所で奏でるノクターンの響きは

 

物語の冒頭とは比較にならないくらい深い哀しみと、安堵の色を含んでいるように感じました。

 

 

 

 

 

 

 

後日シュピルマンは、同僚のヴァイオリニストから、彼の名前を出して命乞いをしたドイツ兵がいた話を聞きます。

 

名前を尋ねたけれど、ソ連兵に割り込まれ、聞くことができなかった、と。

 

 

 

 

 

 

 

映画は正装をしたシュピルマンが大舞台の中央で

 

オーケストラと共に、ピアノを演奏し、

 

聴衆から拍手を浴びている場面で幕を閉じます。

 

演奏しているのはショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なるポロネーズ」。

 

かつて、隠れ家で一人、エア演奏した曲です。

 

栄光と歓喜に満ちたこの曲と、大きな拍手に包まれてのエンディング。

 

過去と現在の見事な対比を表現していると思いました。

 

 

そして本当によく生き抜いた。

 

よくぞ生き抜いてくれた…。

 

 

 

 

 

 

 

さて、ワタクシ、3回目にして初めて知ったのですが、

 

皆さま、ご存じでしたか?

 

 

この物語、なんと実話だったのですね!

 

 

エンドロールの字幕にも出てきましたが、

 

この過酷な戦火を生き延びたピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンは、その後精力的に演奏・作曲等の活動をし、2000年に88歳で他界したそうです。

 

 

実在のシュピルマン

 

 

そして、彼の命を救った、ドイツ将校、ヴィルム・ホーゼンフェルトの気になるその後ですが、1952年、ソ連の強制収容所で死亡していたことが後になって分かったそうです。

 

 

 

 

もしもこの物語が完全なフィクションであったなら、

 

きっと最後はシュピルマンがホーゼンフェルトの命を助けていたことでしょう。

 

 

けれど、そううまくいかないのが現実であり、人間の運命なのでしょうね。

 

 

実際、シュピルマンは、戦後必死で自分を救ってくれたボーゼンフェルトを探したのだそうです。

 

けれど、やっと彼の行く末を突き止めたときには、既に帰らぬ人となっていました。

 

そして、この将校が荒れ狂うナチズムのさなかに、たくさんの不幸な人々の命を救った事実も判明しました。

 

 

実在のドイツ将校 ヴィルム・ホーゼンフェルト

 

 

 

 

 

 

 

さて、この映画、実は「辛すぎて一度しか観られない映画」のひとつとして挙げられているそうです(私、3回観ちゃいましたけどね(^^;) )

 

 

 

ホロコーストを扱った映画は、ほとんどが残酷物語です。

 

この映画のユダヤ人迫害の描写が特に残酷であり、リアルなのは、

 

監督のロマン・ポランスキーがユダヤ人ゲットーで幼少期を過ごし、

 

アウシュビッツで母親を殺され、ユダヤ人虐殺から逃れるため転々としたという生い立ちを持っているところから来るものでもあります。

 

 

 

後味がいいか、楽しいか、と訊かれたら

 

後味がいいとは言い切れないし、楽しくもありません。

 

 

けれど私はこの映画がやはり好きだし、映画としてとても面白いと思います。

 

見応えがあり、深く考える余白を観る者に与えてくれる良作。

 

皆さまにお勧めしたい映画です。

 

 

 

 

クラシックに興味がなかった1回目。

 

クラシックのことを知りたくて観た2回目。

 

そして、今回の3回目。

 

観るたびに感じ方が変わり、それぞれに得るものがあり、

 

観ている自分の「今」を反映していると感じます。

 

 

 

ホロコーストの残虐さは1回目から頭にこびりついて離れませんでしたが

 

回を重ねるごとに、それまで全く無知だった、第二次世界大戦におけるポーランドの情勢やワルシャワ蜂起のことなどがよく分かりました。

 

 

そして、これはいつも考えさせられますが、人種差別。

 

ゴミのように虫けらのようにユダヤ人を扱っていたドイツ兵が

 

ソ連軍に捕まって今度は命乞いをする側になるという、

 

いとも簡単にひっくり返ってしまう人間の上下関係。

 

 

これは、実は私が兼ねてからなぜか気になって仕方ないルワンダの内戦のツチ族とフツ族の関係を思い起こさせます。

 

 

そして、今まさにアメリカで起こっている白人と黒人との衝突。

 

時代と共に民族間のボーダーラインはなくなってきていると思いたいけれど、

 

きっとこれは根深い問題なのでしょうね。

 

 

 

 

 

ちょっと話がそれてしまいましたが、もうひとつ私の印象に残ったのは

 

将校に見つかるきっかけとなったピクルスの缶詰。

 

 

 

映画『シャイン』でも、主人公が父親と再会する重要な場面に缶詰が登場します。

 

かつて自分を勘当した父親が久しぶりに尋ねてきたとき、缶詰を開けようとしていた主人公。

 

昔から父親に対して萎縮していたため、驚きと緊張でうまく蓋を開けることが出来ません。

 

「どれ、貸してみろ。」

 

と、大人になった息子の手から缶切りを受け取り、缶詰を開けてみせる父親。

 

あの場面が、「年老いても自分はいつまでも万能だ。」

 

と、暗に息子を支配している象徴のように感じました。

 

 

 

3年前の記事  映画『シャイン』

 

 

 

 

 

そして、今回は、別れを告げに来たドイツ将校が持ってきた包みの中に

 

パンとジャムと一緒に入っていた1本の缶切り。

 

ピアノの部屋に連れて行かれるときも、シュピルマンが始終大事そうに缶詰を抱えていたのを覚えていたのでしょう。

 

新たな食料と一緒に、自分の力で缶詰の蓋を開けるという行為を達成させてあげた将校。

 

ここにも、彼の細やかな心遣いと人間らしさが表れているように思いました。

 


 

 

 

この2つの映画の「缶詰」という符号は偶然なのでしょうか。

 

どちらにしても、上手い演出だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、最後に音楽について。

 

 

この映画は一貫して音楽と共にありました。

 

ラジオ局で演奏する「ノクターン20番」に始まり、

 

情勢が悪化する前に、シュピルマンがレストランで演奏していた曲は「ショパンピアノ協奏曲第1番第1楽章」をアレンジしたもの(多分)。

 

ドロダの家にかくまってもらった翌朝、偶然耳にしたドロダの奏でていた、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番。

 

隠れ家の隣室から男女の痴話喧嘩と共に聴こえてきたのはショパンの「マズルカ13番」。

 

夜の廃墟を彷徨い歩いてきたときに聴こえてきた、ベートーヴェンの「月光」。

 

 

自宅の立ち退きを言い渡されて、泣く泣く二束三文で売った自宅のベーゼントルファーのピアノ。

 

ラストシーンの舞台で演奏していたのはスタンウェイのコンサート用の長いグランドピアノ。

 

 

 

そして、自分の故郷を離れ、家族と引き離され、もどかしくせつない想いをし続けた若きピアニスト、シュピルマンは、

 

同じく故郷を離れ、家族に会えず、故郷を愛し続けたショパンの姿と重なります。

 

 

 

7年ぶりにこの映画を観て、こんなあれこれが分かるようになっていた自分がちょっと嬉しかったです(*^.^*)

 

 

 

そして、どんな過酷な状況の時も、シュピルマンの指は無意識のうちに動いていました。

 

この人は、何をしていても、どんな状況にあっても、骨の髄までピアニストなのですね。

 

 

 

はい。もちろんこの人を連想しないはずがありません。

 

 

 

 

そして、この人がメッセージで語っていた言葉を今一度噛みしめました。

 

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「人間が苦しみの渦から再び立ち上がろうとするとき、

 

音楽は人々の心を高揚させ再び立ち上がらせるための力を与えることができると信じています。」

 

 

 

本当に。全くその通りだと思います!

 

 

 

シュピルマンの息子の言葉です。

 

「父にとって、音楽は命の恩人でもあった。

音楽がなければ、父は戦争中、あのような地獄を生き延びることはできなかったであろう。

あの状況におかれても精神的に打ちのめされずに、正気を保ち続けることができたのは、やはり音楽のおかげであった。

ドイツ人に追われながらも、彼は毎日のように、習った曲を頭の中で練習していた。

音楽のお陰で、父は正気を保つことが出来たのである」

 

(クリストファー・スピルマン「父の思い出」「春秋」2003年6月号より)

 

 

 

 

 

 

私にとって、この映画のテーマ曲でもあるショパンの「ノクターン20番 遺作」。

 

この曲を生演奏で初めて聴いたのは、確か6年前、当時の職場で開催された三舩優子さんのリサイタルでした。

 

痛いほどショパンの切なさや哀しみが伝わってきて、ワタクシ、いっちょまえなことにショパン大先生に勝手に共感して涙してしまったのですよ。

 

こんな経験は、生まれて初めてでした。

 

 

6年前の記事 「三舩優子 ピアノリサイタル」

 

 

 

このときから、いつか牛田くんの演奏でこの曲が聴いてみたいとずっとずっと夢見ておりました。

 

 

その夢が叶ったのが、ちょうど1年前の今頃放送された「おんがく交差点」

 

 

ヴァイオリニストの大谷康子さんとのコラボ。

 

 

 

死ぬまでには、牛田くんのリサイタルで、今度はソロで聴いてみたいです(〃∇〃)

 

 

 

この、哀しくて切なくて寂しくて、ぎゅっと自分自身を抱きしめたくなるようなノクターン20番。

 

映画の中では物語のプロローグとエピローグに登場し、映画の縁取りのような役割をしてくれました。

 

 

本物のウワディスワフ・シュピルマンの演奏でお聴きください。

 

 

 

 

 

そして、この映画を代表するもうひとつの曲「バラード1番」は、もちろん牛田くんの演奏で。

 

 

 

 

 

 

 

ああ、久しぶりに、ガッツリと見応えのある映画を観た気がします。

 

 

そろそろ巷の映画館は営業再開している頃でしょうか?

 

 

私、もう少しだけ、自粛生活を続けようと思っています。

 

 

 

けど…

 

 

早く映画館で映画が観た~い!

 

 

 

そして…

 

 

 

早くコンサートホールで牛田くんのピアノが聴きた~い!!