昨日の夜
私は1人でただ黙々と川沿いを歩いていました。
この日18時半から行われる 灯籠流しを見るためです。
毎年夏になると
家の向かい側の壁に灯籠流しのお知らせのポスターが貼られるのですが
ふうん、そんなことやってるんだ、程度で
特に行こうと思ったことはありませんでした。
でも、今年はなんだか行ってみたくなったんです。
せっかく仕事も休みだし
次の日の仕事は遅番だし
娘はお友達と夕ご飯を食べに行く予定だし
ジャックはいつも帰りが遅いし
お散歩がてらふらりと見に行ってみようかな…と。
昼間は友人と映画『ライオンキング』を観て
ローストビーフのお店でお昼ご飯を食べて
買い物をして
スタバでお茶をしながら友人からあるアプリについて説明を受けて
そしたら、近くに座ってた女性から「私にも教えてください。」と声をかけられて
その人と3人でいろいろおしゃべりして
あら、気が付いたらもうこんな時間。
まだ夕食の食材を買っていない友人に
「灯籠流し見に行くんでしょ。先帰っていいよ。」
って言われたけれど
天気予報では雨になってたし
仮に雨じゃなくても チラリとでも見れればいいから別に大丈夫、と。
で、家に着いたのが夕方6時すぎ。
それなりに疲れてるから、うーん、どうしようかな、と思ったのですが
そっか。雨、降ってない。
いつも通勤で1万歩近く歩いてるけど、今日はまだそんなに歩いてない。
よし、運動にもなるし やっぱり行ってみようかな と。
場所は近所の川のかなり下流の方。
自然の多いこの川は
毎年春になると桜のライトアップが行われる川で、
4年前、なかなか鳴りやまない耳鳴りから逃れるように
毎朝5時から1時間、この川沿いを走って 走って…
おかげで当時の辛い記憶で
私にとって ちょっとトラウマにもなっている川でもある。
夏のこんな時間に川沿いを歩くのは初めてかも。
人影はなく、暮れかかっていた空はどんどん闇の濃さを増していく。
歩きながら 同じ川沿いといえ、目的地の遠さを思い知る。
腕時計を見ると既に6時半。
ん?、待てよ。
ここは川上。
6時半から始まる灯籠流し。
ここより川下で灯籠が流されているのなら
私がたどり着いた頃には もう灯籠たちはさらに川下に流れて行って
もうなんにも残ってないんじゃ…。
そんなことに今頃気付くなんて
やっぱりバカなんじゃないの?わたし。
どうしよう。今から引き返そうか…。
夜とはいえ、外はまだじっとりと暑い。
体中の毛穴がねっとりと湿気で塞がれたような感覚と
首筋や背中から雫になって流れる汗。
どうせだから行ってみよう。
もしかしたら、最後の最後に川に浮かべられた灯籠が
たった1つでもまだ川面に浮かんでいるかもしれない。
気を取り直してずんずん歩き、
やっとたどり着いた時刻は6時45分。
果たしてそこにはこんな光景が。
たくさんの人達。
ゆっくりと川面を漂う無数の灯籠。
マイクを通して聞こえてくるのは
お経を唱えるお坊さんの声と木魚の音。
お坊さんの後ろには、カトリック教会のシスターや白いブラウスの聖歌隊。
見ると橋の下の方で、男の人達が
長い棒を持って 灯籠が川下に流れて行かないように止めている。
係の人が川べりの階段に腰かけて
1基、また1基と 丁寧に灯籠を水に浮かべる。
水に解き放たれた灯籠は ほのかな灯りをともしながら
少し心もとなさそうに 静かに水の流れに身を任せています。
それはとても幻想的で 静謐で
1つ1つが運命という緩やかな波に乗っている魂そのもののようで
「美しい」という言葉で括ってしまうのがふさわしくないような
はかなさと さびしさと 懐かしさが私の胸にしんと沁みてきました。
灯籠流しを見るのは初めてです。
精霊は、灯籠に乗って川を下り
海の向こうにあるあの世に帰っていくと言われているそうです。
ゆらゆらと漂う灯籠の1つ1つには
故人のご家族の想いも一緒に乗っているのでしょうか。
無数の儚い光が水面を漂うその様は
今まで私が観たことのない種類の美しさ(やっぱり「美しい」と言ってしまった)。
ああ、ビデオも撮ったのに、アメブロへの載せ方が分からない!(泣)
人はなんのために生まれてくるのでしょう。
誰かの役に立つためだと言う人もいる。
愛するためだと言う人もいる。
前世のカルマ(課題)を解消し、魂を磨くためだと言う人もいる。
意味なんてないよ、と言う人もいる。
きっと正解なんてないでしょう。
人は生まれ、生きて、そして死んでいく。
人生は 儚い。
だけど、今、私は生きてここにいる。
夏の夜、ゆらゆらとかすかな光を放ちながらゆらめく無数の灯籠を見て
「生きていてよかった」
そんなふうに思いました。
思うとか、考えるとかじゃなくて、
ただ、なんとなく、そんなふうに感じていました。
そしてなぜか、今日ここに一人で来たことに
とても意味があるように感じました。
お経が終わると、聖歌隊が聖歌「いつくしみ深き」と嵐の「ふるさと」を歌いました。
宗教を超えて、共に死者の魂を送り出し 祈っているのですね。
歌が終わると、花火に火が付きました。
突然闇を光で満たし
輝き
やがて消えていく花火。
人生みたいだなあ…。
来てよかった…。
今日1日、いろんなことがあったけど、
私は何年たっても、今日見た灯籠流しのこの夜の光景を
きっと忘れないだろうと思いました。
花火が消えると、集まっていた人たちも散り散りに。
私は今度は川沿いではなく、ただまっすぐ道を歩いて我が家に着きました。
あら、こっちの方がめっちゃ近かった!
帰って遅めの夕ご飯を作っていたら
お友達と夕ご飯を食べに行っていた娘が帰ってきて、
「ママ、灯籠流し行ってきたの?どうだった?」と。
そして、
「ねえ、ギューしよう」
と、両手を伸ばしてきました。
「なんだか今日は、ずっとママとギューしたかったの。」
と。
久しぶりに強く抱きしめた娘は まだ私より頭1つくらい背が低く
髪からは甘酸っぱい汗の匂いと 懐かしいようなお日さまの香りがしました。
やっぱり生きててよかった…。
川面に漂う無数の灯籠の動画を見せたら
「なんでだろ。涙が出てきちゃう。」
と、娘が目尻を拭いました。
いつの間にか外は強い雨。
私は やっぱりこの夜のことを、きっとずっと忘れないだろうと思いました。
さだまさしさんの『精霊流し』。
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さださんの奏でるヴァイオリンの音、胸に沁みますね。
『防人の詩』を聴くと言っていた牛田くん。
この歌も聴いているかな?
さて、今朝娘は学校の合宿に出発しました。
私も今から仕事に行ってきます!






