牛田くんの5月の怒涛のリサイタルツアーも終わり

 

Facebookの方も動きが静かになり

 

「今頃牛田くんなにしてるかなあ?」

 

と、私が考えている時

 

彼はかなりの確率でピアノを弾いていると思います(^^)

 

 

今、牛田くんはきっとピアノを弾いている…。

 

 

そう思うと、なぜだか気持ちが穏やかになり、安心できるワタシ(*^.^*)

 

 

 

デビュー当時はプログラムに

 

そしてそのあとはコンサートのアンコールでずっと弾き続けてくれて

 

今や牛田くんそのものと言っても過言でないようなこの曲。

 

 

プーランクの

『エディット・ピアフを讃えて』

 

 

聴くごとにその音色は深みと渋みを増し

 

時にブランデーのように

 

時に赤ワインのように

 

聴く者の胸の奥深くにに沁み込んできます。

 

 

それは、慰めのようでもあり

 

逝ってしまった人を悼む 嘆きのようでもあり

 

せつない愛の告白のようでもあり…。

 

 

深く深く心の琴線に触れて

 

言葉に出来ない何かを静かに物語っているように感じます。

 

 

 

この曲を聴くたびに

 

「エディット・ピアフってどんな女性だったんだろう。」

 

という気持ちが私の中でどんどん大きくなっていきます。

 

 

もちろん、フランスのシャンソン歌手で、恋多き女。

 

波乱万丈な生涯を送った女性であることくらいは知っていました。

 

 

↓エディット・ピアフ

な、なんか眉毛がすごい…(^_^;)

ちょっと石鹸ぽくない?

いや、スヌーピー?スヌーピー(←コラ!)

 

 

失礼…(;^_^A 

 

 

 

もっと彼女のことが知りたい。

 

プーランクにあんな素敵な曲を作らせたエディット・ピアフとは

 

どんな歌手だったのか。

 

そして、1人の女性として、どんな人間だったのか。

 

 

 

 

そこで、図書館から借りてきました。

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左:「わが愛の賛歌 エディット・ピアフ自伝」

    中井多津夫 訳(晶文社)

 

右:「愛の賛歌 エディット・ピアフの生きた時代」

    加藤登紀子(徳間書店)

 

左は自身の死が近いことを悟ったエディット・ピアフが 晩年自分の人生を振り返り、病室のベッドで自分の言葉を書き取ってもらって出版されたもの。

 

右は、歌手の加藤登紀子さんが、エディット・ピアフの人生をたどって書かれたもの。

 

 

どちらの本のタイトルにもなっている『愛の賛歌』。

 

この曲、本当に美しいと思います。

 

私が初めてこの曲と出会ったのは、小学校5年生くらいの頃、図工の時間に木箱のオルゴールを作ったとき。

 

5~6曲の選択肢があったのですが、小さなオルゴールが奏でるこのメロディを聴いて

 

「なんて綺麗な曲だろう!」

 

と一目ならぬ一耳で、この曲の虜になりました。

 

ちなみにどうでもいい情報ですが、当時大好きだった蓮の花を彫刻刀で蓋部分に彫り、

 

完成品を家に持ち帰ったところ、

 

「蓮の花は葬式で使う花。」と父に言われてひどくがっかりしたことを覚えています泣きおまめ

 

確かに私の彫った蓋の絵柄は、香典返しなんかの熨斗にそっくりだった(T_T)

 

 

 

最近では、大竹しのぶさんが舞台「ピアフ」で主役を演じ、大きな話題となりました。

 

『題名のない音楽会』でも大竹しのぶさんが涙を流しながら『愛の賛歌』を熱唱し、

 

その魂を振り絞るような歌声に、胸が熱くなり思わず涙がこぼれ、司会の佐渡裕さんも泣いていたという…。

 

 

少し前は越路吹雪さんが、最近では美輪明宏さんが歌ったことでも有名ですね。

 

 

何年か前、美輪さんのリサイタルに行ったことがあります。

 

そこで聴いた『愛の賛歌』。

 

2階の後方席で聴いていたにもかかわらず、まさに愛の波動がビンビン伝わってきて

 

「ん? なんで自分は今泣いてる?」

 

と思いつつ、なぜだか胸が熱くなって、自覚もないのに次から次から熱い涙が溢れてくるのです。

 

気付けば会場中の人たちが、同じように肩を震わせ、洟をすすり、聴衆全員総デトックス状態。

 

 

 

日本語の歌詞を書いてみます。

 

・・・と思って、歌詞を調べてみたら、いろんな人が訳して、そして、いろんな人がこの歌を歌っているのですね。

 

大竹さん、美輪さん、加藤登紀子さんのみならず、五木ひろし(なぜか呼び捨て)、岩崎宏美、玉置浩二、氷川きよし、徳永英明、倍賞千恵子、筋肉少女帯までもが…Σ(゚д゚;)

 

それだけ長く愛され続けている曲なんですね。

 

日本人には一番耳馴染みがあるかと思われる、岩谷時子さんの訳を載せてみます。

 

 

愛の賛歌

 

あなたの燃える手で あたしを抱きしめて

ただふたりけで 生きていたいの

ただ命の限り あたしは愛したい

命の限りに あなたを愛するの

 

頬と頬よせ 

燃えるくちづけ

交わすよろこび

あなたと二人で 

暮らせるものなら

なんにもいらない

なんにもいらない

あなたと二人

生きて行くのよ

あたしの願いは

ただそれだけよ

あなたと二人

 

固く抱き合い 燃える指に髪を

からませながら いとしみながら

くちづけを交わすの

愛こそ燃える火よ

あたしを燃やす火

心とかす恋よ

 

 

 

うーーーん、マンダム(古っ!Σ(~∀~||;) )

 

…じゃなくって、

 

うーーーん、なんて情熱的!

 

 

エディット・ピアフご本人の歌声はこんな感じです。

 

 

迫力のある声。この女性(ひと)の燃え滾るような芯の強さを感じる歌声ですね。

 

シャンソンって、こんなにコブシがまわるんですね。ちょっと演歌みたい(*^.^*)

 

 

 

 

さて、では、ざっくりとですが、エディット・ピアフなる人物の人生を辿ってみたいと思います。

 

 

 

 

彼女は1915年12月19日、第一次世界大戦の始まった翌年に この世に生を受けました。

 

それも、パリの東北部にあるベルビル通りの路上、または階段で産み落とされたと言われています。

 

誕生の仕方からしてすでに波乱万丈。

 

 

その時、母親は17歳でカフェのシンンガーをしており、父親は大道芸人でした。

 

彼女の本当の名前はエッディット・ジョヴァンヌ・ガシオン。

 

 

ピアフを育てる経済力のなかった両親は、彼女を父方の祖母に託します。

 

祖母が経営していた売春宿で、彼女は祖母や売春婦達に可愛がられて育ちます。

 

彼女が生涯 男性からの完璧な愛を求め続けたのは、常に男性たちに裏切られ、打ちのめされている娼婦たちの姿を見て育ったことが影響しているのかもしれません。

 

 

ピアフは3歳の時角膜炎にかかり、視力を失い、目が見えなくなりました。

 

学校にも行けず、何年も暗闇の中で過ごすピアフに、娼婦たちはたくさんの歌を教えてあげ、教会へ連れて行き毎日祈りを捧げたのだそうです。

 

そのおかげなのか、奇跡的に7歳の時にピアフの視力は回復します。

 

 

学校に行けるようになったピアフ。

 

けれどそこで、「売春宿の子供」と言われ、いじめに遭い、大人たちの間でも「少女が娼婦宿にいるのはよくない」という意見が出て来て、大道芸人の父と暮らすことになり、サーカス団と共に村から村を渡り、歌をうたってお金をもらうという生活が始まりました。

 

 

そんなある日、彼女の歌を聴いていた群衆の中のハンサムな青年プティ・ルイと恋に落ち、駆け落ちをします。

 

ルイ17歳、ピアフが15歳の時でした。

 

 

やがてピアフは身ごもります。

 

17歳で女の子を出産。

 

 

やがて、プティ・ルイとの破局。

 

可愛い娘は病気にかかり、たった2歳でこの世を去ってしまいました。

 

 

生活のため、再び街角に立ち、歌うピアフは、いくつもの恋を経験しました。

それも「甘い恋」というよりは、犯罪や暴力の伴う危険な恋。

 

 

ある日、街角で歌っていたところを、クラブのオーナー、ルイ・ルプレに見いだされ、そこで初めて「ピアフ(スズメ)」という名前をつけられました。

 

小さな体をいっぱいに使い(身長147㎝とも、142㎝とも書かれています)、元気なスズメのように歌うピアフの歌声は人々の心に響き、一躍有名になります。

 

レコーディングも行われ、歌手としてのピアフの滑り出しは順風満帆でした。

 

ところがデビューの翌年、ピアフの名付け親、ルイ・ルプレが何者かに殺されます。

 

殺人の疑いまでかけられ、歌うすべを失った彼女に手を差し伸べたのが詩人のレイモン・アッソ。

 

彼の家に転がり込み、毎日彼から厳しいレッスンを受け、ピアフは歌うことの意味を根本的に徹底的に教えられます。

 

レイモンにより、正式に「エディット・ピアフ」の名をつけられ22歳の時再デビュー。

 

これが、歌手「エディット・ピアフ」としての本格的なスタートでした。

 

 

この時、ピアフの歌を聴いて「聖なる怪物」と唸ったのが、あの有名な芸術家のジャン・コクトー。

 

そして、あの『愛の賛歌』を作曲したマルグリット・モノーとの運命的な関係もここから始まりました。

 

 

そんな中で、彼女は常に数多くの男性と恋に落ち、相手に「自分への完璧な愛」を求めるあまりいくつもの破局を繰り返します。

 

 

25歳の頃には押しも押されぬ大スターに。

 

 

揺るぎない地位と名誉を手に入れたピアフ。

 

 

29歳の時、イブ・モンタンと知り合い、恋仲になります。

最初はさっぱり売れなかったモンタンは、ピアフの猛特訓のおかげで俳優として、シャンソン歌手として大成功をおさめました。

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(イブ・モンタンとエディット・ピアフ)

 

 

イブ・モンタンと別れたあと、ピアフ自身が作詞作曲し、彼との恋を歌ったと言われている『バラ色の人生』。

 

『愛の賛歌』同様、ピアフを代表する曲と言われているこの曲は、世界中に広がり、様々な音楽家たちに影響を与えました。

 

誰でも一度は聴いたことがあると思います。

 

イブ・モンタンをはじめ、数多くの無名の歌手の才能を見出し、世に送り出したピアフ。

 

自身もドイツやアメリカに進出し、更なる成功をおさめます。

 

 

アメリカでは大きな2つの出会いがありました。

 

ドイツ出身の大女優、マレーネ・デートリヒとフランス出身のプロボクサー、マルセル・セルダン。

 

既婚者であるマルセル・セルダンとピアフは生涯の大恋愛をします。

 

けれどその大恋愛の最中、セルダンは飛行機事故で亡くなります。

 

パリから船に乗ってニューヨークに向かうよ、と電話をしてきたセルダンに

「もっと早く、すぐにでも飛行機に乗って来てちょうだい!」

とピアフが言ったために乗った飛行機でした。

 

この日の夜、ピアフはみんなの反対を押し切って舞台に上がり、最後まで歌いきりました。

その中に、『愛の賛歌』もありました。

 

セルダンの死後、ピアフは頻繁に霊媒師のところへ通うようになり、

眠れない夜の睡眠剤、歌う気力を奮い立たせるための興奮剤を常用するようになりました。

 

そして、セルダンの死から半年後、『愛の賛歌』をレコーディングします。

 

燃え盛る炎のような強さがほとばしる彼女の歌声は、まだ第二次世界大戦の傷跡の消え去らぬ世界中の人々の心を大きく揺さぶりました。

 

 

翌年、ピアフは自動車事故に遭い、肩から包帯で腕を吊った状態で舞台に上がりました。

 

そして、なんとその3週間後に再び自動車事故!

 

血だらけになったピアフはスクラップになった車から助け出され片腕と肋骨を折る大怪我を負いました。

 

その時の痛みを和らげるために打たれたモルヒネが、その後のピアフの人生を追い詰めることになります。

 

 

それから約4年の間、

 

「見るも無残な薬物中毒患者となり、麻薬を手に入れるためにひと財産使い果たした」

 

と、ピアフ自身が書いています。

 

 

36歳の時、フランス人の歌手、ジャック・ピルスと結婚。

 

けれど独占欲の強い彼女は、いつも結婚指輪をつけていると誓ったピルスが、自身のステージで指輪をはずしていたことを知り、それが許せずに別れてしまいます。

 

 

その翌年も、翌々年も、ピアフは自動車事故に遭っています。

 

その間に恋愛をした妻子ある男性は、またもや飛行機事故で亡くなっています。

 

 

徐々に自分がコントロールできなくなってきたピアフ。

様々な辛いことを追い払うように、体の悲鳴を無視して公演活動に精を出し、彼女の心身は徐々に蝕まれていきました。

 

アルコール中毒、薬物中毒、肝機能不全、リウマチ。

そして膵臓炎で入院。

 

特に麻薬中毒は彼女を苦しめ、追い込み、

4度にわたる解毒治療のための入院も、彼女を完全に救うことは出来ませんでした。

 

 

けれどピアフは奇跡的な復活を見せ、1960年~1961年、パリの「オランピア劇場」で100公演という大成功を収めます。

 

しかしその実、楽屋での注射、多量の錠剤が欠かせませんでした。

 

 

オランピア劇場の成功の後、ベルギーやフランス国内のツアーを強行。

 

その結果、ステージで倒れ、入院。

 

誰もがピアフはこれで終わったと思い、死亡説まで流れたそうです。

 

それでも、ステージで死ぬことを求めることはあっても、休息のために歌うことを断念する気持ちは1ミリもありませんでした。

 

 

そんな彼女が生命力を取り戻したのは、新しい恋人との出会いでした。

 

テオ・サラポ。27歳。

 

ピアフの大ファンであり、なんと、ピアフよりも20歳年下のギリシャ人でした。

 

ピアフにとって最後の恋人…。

 

つまり、ピアフは大きな葛藤の末、たくさんの人たちに祝福されながらテオと結婚式をあげました。

 

未来のある若い青年の将来を奪うこと、世間から中傷を受けるであろうこと、

 

そんな自分の心の不安を正直に語るピアフの言葉は

 

大スターであっても、やはり女性なのだな、と、なんだか可愛らしくいとおしく思えました。

 

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テオとの結婚式。なるほど、本当に小柄ですね。

 

 

彼女がテオとの結婚を躊躇したもう一つの理由。

 

彼女の体はかなりダメージを受けており、本人も死が遠くないことを自覚していたからです。

 

 

ピアフは美容師だったテオに熱心に歌を教えてテオは歌手に転身し、

 

そして献身的に彼女を支えました。

 

 

ピアフはどんなに医者に止められようとも、舞台で歌い続けることをやめませんでした。

 

 

 

1963年10月10日、ピアフは癌によりその人生の幕を閉じました。

 

まだ47歳という若さでした。

 

 

友人のジャン・コクトーは、ピアフの死を知らされた4時間後に、ショックのあまり心臓発作で亡くなったそうです。

 

 

墓地での葬儀は4万人以上のファンで溢れかえり、パリ中の商店が彼女への弔意を表して休業に服しました。

 

ピアフの死後、20歳年下のテオは、彼女の残した多額の借金をすべて独力で返済したそうです。

 

 

 

ピアフが眠るお墓

(お写真お借りしました)

 

 

 

 

ピアフが遠くない将来 自分に訪れる死を意識しながら書かれた自伝に、次のような言葉が書かれていました。

 

 

私はおそろしい人生をおくってきました。

 

それは事実です。

 

でも、素晴らしい人生でもありました。

 

こんなことを言うのは他でもありません。

 

私は人生を、

 

何よりも先ず、

 

人生というものを愛してきたからです。

 

 

 

どんな辛い目に遭おうとも

 

どんな苦しみを味わおうとも

 

自分の人生を肯定し、愛せる人間は

 

幸せだと私は思います。

 

自分の人生を愛せる人間は

 

他の人を幸せにすることが出来る人。

 

私もそうありたいと強く願います。

 

 

 

 

私なりにエディット・ピアフという女性の人生に触れてみて見えてきたピアフ像。

 

 

そこには小さな体をいっぱい使って力の限り愛の歌をうたう

 

大きく羽根を広げて羽ばたく1人の女性の強さと、

 

 

母に捨てられ愛に飢え、

 

常に男性からの真の愛情を欲していた

 

純粋で可愛いらしい1人の女性の弱さ。

 

 

そして、病に蝕まれた体が悲鳴を上げてもなお、

 

舞台に立ち、最高の歌声で聴衆たちを魅了した

 

歌手としてのプロ意識。

 

この熱く燃え滾るような歌への情熱とプロ意識こそが、

 

人々を魅了してやまなかったのでしょう。

 

 

 

私はこの最後の部分で、美空ひばりさんのことを思い出しました。

 

もしかして「ひばり」という芸名は、

 

ピアフの「すずめ」からあやかったのではないかしら?

 

 

 

 

そして、話は最初に戻ります。

 

プーランクの書いた『エディット・ピアフを讃えて』という曲。

 

プーランクとピアフの関係は?

 

 

どうやらプーランクはピアフの大ファンで

 

足繁く彼女の舞台を聴きに行っていたようです。

 

 

『エディット・ピアフを讃えて』を演奏する12歳の牛田くん

 

『題名のない音楽会』に出演した時のものですね。

 

 

もう、見ている(聴いてる)だけで、胸がキリキリと締め付けられるようにせつなくなるのはなぜ?(:_;)

 

12歳にして、まるで人生の辛苦を知り尽くしているかのように、「翳り」の部分を表現できるなんて

 

驚異としか言いようがありません。

 

そして、12歳でこの曲を弾いたということは、もっと前からこの曲に興味を持ち、弾きたいと思っていたというわけで、

 

その彼の感性にも驚かされます。

 

 

 

牛田くんのコンサートのアンコールで一番多く演奏されているこの曲。

 

この動画の演奏も素晴らしいけれど、今の牛田くんの演奏は、さらに深みと渋みがプラスされ、

 

大人の色気さえ感じられて、何度聴いてもまた聴きたくなる、まるで麻薬のような音色です。

 

 

いつまでもいつまでもこの曲が牛田くんにとって「過去の曲」にならず、牛田くんと共にいて欲しい。

 

これから先 恋をして、人生の辛さもいろいろ経験した彼が奏でるこの曲には

 

どんなエッセンスが織り交ぜられているのでしょう。

 

牛田くんが30歳になったときの、40歳になったときの、この曲が聴きたい。

 

50歳になった時は…死んでるかもなー、私魂

 

 

牛田くんは、いつもどんなことを考えながらこの曲を演奏しているのかなあ。

 

一度訊いてみたいです。

 

 

 

そして、歌に情熱を懸けるピアフの生きざまを知って、牛田くんと重なるものを感じました。

 

毎日何時間も練習し続ける牛田くん。

 

いらぬお世話ですが、将来体が悲鳴を上げたとしても、練習をし続け、舞台に上がることがあるのではないのかしら?

 

もしかしたら、今までにも、そんなことがあったのではないかしら?

 

 

ファンとしてはどうか自分の体を一番大切にして、いたわって欲しい。

 

だけど、舞台の上で倒れることはあっても(実際ありましたものね)、休息のために演奏を断念することは自分が許さない。

 

その辺の信念というか美学が、ピアフと牛田くんは共通しているのではないかと…。

 

共感できるものがあるからこそ、こんなにも、心の奥深くに沁み込み琴線に触れる演奏が出来るのではないかと…。

 

 

でも、ファンからのお願い。

 

自分の体を、自分の心を、どうか大切にしてね。

 

無理しないでね。

 

 

牛田くんが元気で健康で笑顔でいること。

 

それがファンの一番の願いです。

 

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