みなさまこんにちは。

 

ワタクシ、今日で3周年を迎えました。

 

え?なんの3周年かって…?

 

 

それは、この方に出会い、雷に打たれたあの日からです(〃∇〃)

 

 

 

 

3年前の9月7日(土)、

 

娘のためにチケットを取ったオペラシティの彼のリサイタル。

 

まだ残暑が厳しかったあの日、昼までの仕事が忙しく、いっそ主人に娘を連れて行ってもらおうかとも思ったのですが、日頃私の願いを滅多に断ることのない主人に「興味がないから。」と珍しく断られました。

 

もしあの時主人が断っていなかったら、私はこんなふうにブログを書くこともなく、

 

クラッシックに興味を持つこともなく、

 

たくさんのファン智さん達と出会うこともなく、

 

一体今頃何を楽しみに、どんな毎日を送っていたのでしょう。

 

きっとそれなりに楽しく過ごしていたかもしれない。

 

何か別のものにハマっていたかもしれない。

 

人生の岐路って、本当にひょんなところに転がっているものですね。

 

 

 

あの日、会場に着いて、目に飛び込んできたのは、ちょっと挑戦的な目をした少年のアップのポスターでした。

 

ふーん。ちょっと生意気そうな子だな…。

 

と、なんの感慨もなく、前から3列目のかなり右端の席に娘と座り、

 

登場した少年ピアニストの、さっき見たポスターから受けた印象とのギャップに、ただただ戸惑うばかりでした。

 

そこにいたのは小さいながら見事なステージマナーを身に着けた、無垢で人を引き付けるオーラを身に纏った一人の立派なピアニスト。

 

今までピアノの発表会で見てきた子供たちと違い(今思えば当たり前ですが)、

 

緊張する様子もなく、落ち着き払ってピアノの前に座ると、膝に手を当て、なぜか上の方をじっと見ている。

 

13歳にして、このちっちゃい体で、瞬時にこの広い会場の空気を支配している。

 

Σ(゚д゚;) す、すごい…。

 

そして、何かが突然乗り移ったかのように始まった演奏。

 

ショパンの曲でゆったりとピアノを鳴らし、「献呈(当時は曲名すら知らなかった)」で純粋な愛を語り、

 

リストの「パガニーニ…『主題と変奏』」では、それまでとはガラっと変わった影の部分を見せ、

 

最後は17分もある難しい曲(「ダンテを読んで」)を譜面も見ずに(今思えば当たり前)弾きこなし、、

「あなた様は何年生きてきたんですか?」と訊きたくなるような、地の底を這うような立体的な世界観。

 

それまでファミリーコンサートにでも来たかのようにお気楽な気持ちでいた私を一気に千尋の谷に突き落としました。

 

∑(゚Д゚) か、彼は一体何者?

 

後頭部を殴られたような衝撃を受けているうちに、演奏を終えてお辞儀をする彼の姿の上品で可愛らしいこと。

 

こちとら、もはやパニック状態です。

 

アンコールは優しく手を伸ばして、抱きしめてくれるような「アヴェ・マリア」。

(↑これ、何度も書いてる)

 

 

ああ…。゚(T^T)゚。

 

 

そう、今思えば、あれこそが彼が見せてくれたプロの演奏会。

 

私、生まれて初めて本物の音楽に触れた気がしました。

 

なんだかいろいろが衝撃的過ぎて、ヨレヨレと雑巾の絞りカスみたいになって会場を出た私の目に飛び込んできたのは、演奏中の厳しい表情とはまるで別人の、にっこり笑顔のサイン会の牛田少年。

 

この瞬間、完全にノックアウトされた話は、以前にも何度か書きました。

DSC_0268.JPG

私を激オチさせた瞬間の牛田少年(安定ののブレ写真)

 

「虜になる」とは、こういうことを言うのですね。

 

それからたくさんのコンサートに足を運びましたが、一番ワクワクドキドキしたのは、自分にとって2回目になる、12月の浜離宮の「お姫様とお菓子」のコンサートの時でしょうか。

(恋愛も、1回目と2回目のデートの間が一番盛り上がるって言いますからね(///∇//))

 

この時の天使のような牛田くんの演奏と立ち居振る舞いに、すっかり心を持っていかれ、仕事も手につかないヌケガラ状態に。

ヌケガラになった私がまずしたことは、3月の長野のチケットを取ることでした。

 

 

カミナリに打たれた3年前のあの日から、50回近くコンサートに足を運びました。

 

サイン会では緊張のあまり手が震えてブレまくった写真しか取れず、

 

頑張って話しかけると声が震え、

 

はじめて「いつもありがとうございます。」と言ってもらえた時には天にも昇る心地でした。

 

 

3年間。私自身、決して楽しいことばかりではありませんでした。

 

1年半前、それまでの無理(動きすぎや睡眠不足)が祟ったのか、突然左耳の調子がおかしくなり、「突発性難聴」と診断されました。

大阪公演では耳の中で牛田くんのピアノの音が歪み、ショックのあまり演奏会の間中、涙が止まりませんでした。

 

体調は戻ったかと思うとぶり返し、辛くてアメブロに来れなかった時期もあります。

食欲もなく、ひどい時には短期間で12キロ体重が減って、食べ物を見ると吐き気がするほどでした。

 

それまでは毎日がハッピーで、どの瞬間も幸せで、人生ってなんて楽しいんだろう。

そんなふうに能天気に考えていた私。

 

辛い日々の中でも、牛田くんの存在は光でした。

そして、私を励まし、たくさんの温かい言葉をかけてくださったファン智さん達。

無事にブログを再開する運びとなったとき、とても喜んでくださったブロ智さん達。

これもまた、私にとっては牛田くんと出会うことによってもたらされたかけがえのない宝物です。

 

 

まる3年。

 

牛田くんは着々と研鑽を積み、海外公演や海外オケとの共演を果たし、その音楽性を大きく広げ、そして掘り下げ、ピアニストとして一回りも二回りも大きくなられました。

 

この女の子みたいな愛くるしい少年が

 

こんな立派な青年に。

 

5月に放送された「プロフェッショナル」では、生半可ではないプロピアニストとしての心構えを語り、見ているこちらが思わず背筋の伸びる思いでした。

 

 

私自身が楽しいだけではなかったように、牛田くんにも辛い時期があったでしょう。

 

冬に続いた体調不良による演奏中止。

どんなに無念で悔しかったことでしょう。

人知れず、涙を流したことだってあるかもしれません。

 

舞台に立つことが、ピアノを弾くことが、怖かった時期もあるでしょう。

いえ、もしかしたら、彼は毎回そんな想いと戦って、自分を追い込んでいるのかもしれません。

聴衆の心を動かす、最高の演奏をするために。

 

「可愛い少年ピアニスト」が、「青年ピアニスト」に成長した今、同世代のピアニスト達もたくさん世に出てくるようになりました。

今からが、ピアニストとしての真価を問われる時期です。

 

 

私にはなんの音楽の専門知識もありません。

 

一生懸命いろんな人の演奏を聴いてクラシックの本を読んでも、私の辿り着ける音楽の知識はたかが知れています。

 

牛田くん。

こんな私ですが、ファンでい続けていいですか?

行ける限り、コンサートに足を運んでいいですか?

 

実は、「プロフェッショナル」で「ピアノを聴きに来ていない人も少なからずいる。」という牛田くんの言葉が、今でも小さなトゲのように胸に引っかかっています。

 

ファンとして、どうあるべきか…。

あれからいろいろ考えました。

 

牛田くんが好き。牛田くんのピアノが好き。

批評するためにではなく、幸せになるために牛田くんのピアノを聴きに行く。

これは、間違いではないよね?牛田くんがイヤだと思うことでもないよね?

 

何かを押し付けたり、上から目線で批評したり(知識のない私にはできませんが)、牛田くんを自分の希望通りに動かそうとしてみたり、

そうなったら、ちょっと違うかな、と思うのです。

あくまでも「自分のため」でなく「牛田くんのため」に考え、行動できるファンでありたいと思います。

牛田くんを想うあまり、周りが見えなくなって、周囲を傷つけていることに気づかない。

これも危険だと思います。

そして、牛田くんが「タレントピアニスト」にならないためにも、節度のあるファンでいないと、ね。

 

回を重ねるごとに、行くことが当たり前のようになってきたコンサート。

最初の頃のように、牛田くんの演奏をこの耳で聴ける喜びで体がはじけそうだった、あの頃の新鮮な気持ちを持ち続けたいと思います。

 

 

 

牛田くん。

 

どうぞ伸び伸びと、そのまま成長を続けてください。

 

音楽を楽しんでください。

 

自分の信じる道を突き進んでください。

 

いろんな経験をして、いろんな人と出会って、さらにあなたの中の音楽の世界を広げてください。

 

これからも楽しいこと、苦しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、いろんなものがあなたを待っているでしょう。

 

どうぞ忘れないでください。

牛田くんに何が起こっても、応援し続けるファンがいることを。

 

そして、ありがとう。

私たちを幸せにしてくれて。

明日からの活力を与えてくれて。

 

すぐ17歳になる牛田くん。

 

、あなたに出会っていなかったら、今頃私は何をしてたかな。

 

れかを好きになって応援する。

 

ともに応援する仲間がいる。

 

それとっても楽しくて、とっても幸せな経験です。

 

牛田くんが頑張ってから、自分もがんばる。

 

そんなふうに思って、今日を生きてます。

 

 

5周年、10周年と、こんなふうに記事が書けたらいいなあ。

 

いや、書きます。

 

 

 

最後に一言。

 

 

牛田くーん!

私の人生に登場してくれてありがとう!