このシンプルで意味不明なタイトル。


なんだか分かります?




牛田くんったら最近どんどん素敵になっちゃって(≧▽≦)


あんラブラブ モーッ!おうし座




・・・とかいうわけじゃありません(〃∇〃)


(牛田ファンの皆さま。この記事に牛田くんはほとんど登場しませんので、興味がなかったら華麗にスルーしてください)




私の友人達は、意外と読書好きです。


いろんな人がいろんな本を勧めてくれたので、


この夏から秋にかけて、SNSから少し離れ、読書ばかりしていた時期がありました。



先日、ある友人が勧めてくれたのがこの一冊。


『あん』 ドリアン助川 著


ドリアン助川って一体誰?


と思って調べてみたら、別名明川哲也さんという方。



作家でもあり、詩人、ミュージシャン、ラジオのパーソナリティー、道化師(ピエロ?)でもあるそうです。




「ハンセン病の人が出てくるけど、重くなくて、優しい気持ちになれるよ。」


と、友人が言っていたこの本。


さっそく図書館で借りて読みました。



ざくっとあらすじを説明しますと、



前科のある千太郎が雇われ店長として1人でやっている小さなどら焼き屋『どら春』。


ある日、手の変形した老婆、徳江が「ここで働かせて欲しい。」と言ってくる。


最初は取り合わなかった千太郎だが、再び姿を現した徳江が持参した手作りのつぶあんを口にしたことから、徳江を雇うことにする。


徳江のあんのおかげで、店はみるみる繁盛するが、徳江に関する心無い噂が流れ始め…。




普通の女子中学生から少しはみ出している、常連客のワカナちゃん。


ワカナちゃんが大切に飼っていた上手く飛べないカナリア。


『どら春』の店先の桜の樹。


「小豆(あずき)の声を聞くのよ。」と、小豆をいとおしむように顔を近づけて、丹精込めて徳江が作るつぶあん。


それは、ハンセン病の療養所で、50年間もの間、あんを作ってきた徳江だからこそ出せる味。



当時「らい病」と呼ばれ、隔離され、持ち物も、衣服も、消毒のためすべて燃やされ、


名前さえ奪われてしまったハンセン病患者。


感染が進むと、指が落ちたり、鼻が溶けてしまうという恐ろしい病気。


それまで普通に生きてきたのに、突然、人間であることすら否定されてしまった人達。



ハンセン病は、今や不治の病でも伝染病でもなく、日本から根絶されたと言われる病気。


「らい予防法」という法律は1996年に廃止され、隔離された患者達は、療養所から自由に外出できるようになったそうです。


でも私は、「ハンセン病」の存在は知っていても、詳しいことはほとんど知りませんでした。



人は見たくないものから、無意識に目を背けてしまう生き物なのかもしれません。


戦後70年。戦争の悲惨さは、毎年8月になると、お決まりのようにどテレビで特集され、


「戦争を忘れてはいけない」と言う言葉がスローガンのように繰り返されるのに、


同じくらい昔、突然病気に感染し、故郷や家族から離れ、世間から存在しないかのように扱われ、


病気の進行に怯え、苦しみ続けた人達。


彼らがやっと自由を手にしたのが約20年前という、割と最近であることさえよく分かっていませんでした。



徳江が発症したのは、これから青春が始まろうとしている14歳。


物のない時代に、母が徹夜で縫ってくれた宝物の真っ白なブラウスも、兄に連れて行かれた施設で「らい病」と診断され、初めて袖を通したその日に燃やされてしまいました。



この物語の中で、徳江は自分の苦労について、ほとんど語りません。


徳江の言葉から伝わってくるのは、


桜の花や葉で感じる季節の移ろい。


自分が失った青春時代を取り戻せるかのような、女子中学生たちと過ごす楽しい時間。


夜空に浮かぶ月の美しさ。



そんな、私達にとっては日常になっている「喜び」です。


ううん。もっと深くて繊細で、万物に対する慈しみ。


たとえば、「小豆が作られて、ここに来るまでのことを考え、聞いてあげる。小豆をもてなしてあげる。」


「木が、『よくがんばったな』って言ってくれたように聞こえた。」



親不孝をしたまま逝ってしまった母に、徳江を重ねる千太郎。


ケガをして、カゴから出られないカナリアに自分を重ねる徳江。


見えないふりをせず、敢えて「その指、どうしたんですか?」と訊ける、ワカナちゃんの強さと純粋さ。



元ハンセン病患者の方達が経験した辛さを、簡単に想い描くことなど私には出来ません。


何のために生まれてきたのか。


それでも何故、生きなければいけないのか。


きっと、何度も何度も自分や神に問いかけたでしょう。


時には神を呪ったでしょう。


恐怖や不安、差別と闘い、ただ生きることが、彼らにとってどんなに大きな試練だったのか。


こんなにも大きな課題を抱いて、この世に生まれ、


自分の人生を生き抜いている人達を、


人生を受け入れ、意味を見出した人達を、


私は「すごいなあ!」と、尊敬の念すら抱いてしまうのです。



この小説を読んでいると、


桜の花びらが、ひらひらと肩に舞い降りてきたり、


煌煌と光る月の明るさに深呼吸したくなったり、


ふくふくと小豆を煮る甘い香りが漂ってきたり、


そんなふうに五感が研ぎ澄まされるような気がします。




感傷的になることを押し付けるわけでもなく、


ドラマチックな展開があるわけでもなく、


なぜかあったかいものが胸に残るこの小説。



この本を読んだ人達の感想を知りたくて、ネット検索していたら、



なんと!



映画化されていたことを知りました。



しかも!



私がこれを読み終わった11月7日から1週間だけ、立川の映画館で上映しているとのこと。



なんというタイミング!



それを知って、昨日、さっそく行ってきました。





千太郎役は、永瀬正敏さん。


徳江役は、樹木希林さん。


ワカナちゃん役は、新人の女の子、内田伽羅ちゃん。



・・・ん?待てよ!!



何年か前、シブがき隊のモックンが、長女誕生の時に


「名前は伽羅(きゃら)とつけました。」


と、得意の書道で書いた紙を見せて発表してなかったか?


そして、モックンの奥さんは、内田裕也と樹木希林の娘ではなかったか?!



というわけで調べてみたら、


やっぱり!


つまり、実のおばあちゃんと孫娘が共演してたんですね。



内田伽羅ちゃん。


父は本木雅弘。祖父母は内田裕也と樹木希林。


あんまりモックンには似てませんね。誰似?


1999年9月16日生まれ。


って!


牛田くんと誕生日がちょうど1ケ月違いの16歳!




苗字もウチダとウシダ。似てるなあ。。。






ちなみに、伽羅ちゃんのお父さんが16歳の頃は、


ヤリたくてヤリたくて 恋がしたくて恋がしたくて、超ガツガツしてたのに、

(ってか、そんな肉食系の歌ばっか歌わされてたよね)


牛田くんは同じ16歳にして


「愛ってわからない。」


と、音楽の中の愛と葛藤する純粋さ。


あんラブラブそんなところが大好き(≧▽≦)


(あ、シブがき隊が不純だったってわけじゃないのよ(^_^;) そういう時代だったの。←どんな? )



映画館はほぼ満員。


樹木希林さんのサインも飾られていました。


IMG_0910.jpg

初日の11月7日には、希林さんの舞台挨拶があったそう。


どうせなら見たかったなあ。


この方の人生も、本当に波乱万丈ですものね。



そして、映画。


監督は、カンヌ国際映画賞等で、数々の賞を受賞している河瀬直美氏。


今や押しも押されぬ大女優、尾野真千子さんを発掘したのもこのお方。


中学3年の時、学校で靴箱を掃除しているところをスカウトされたのだそうです。


デビュー当時の尾野真千子さん



私、朝ドラ『カーネーション』を観て、尾野さんの演技に魅了され、河瀬直美監督、尾野真千子主演の映画をDVDでいくつか観たのですが、


正直、よく分かりませんでした。


まだブログを始めて間もない頃書いた、朝ドラ「カーネーション」の記事にご興味がある方は →こちら



『あん』は、といえば…


そうですね。ハッキリ言いますと、原作の方がよかったです。


希林さんは、人間臭くて可愛らしくて、いい味出してましたし、


ずい分貫禄のついた永瀬さんの、生きることに倦んだ感じもうまかった。


伽羅ちゃんは、ちょっと家庭に訳ありな中学3年生の女の子ですが、


台詞がやや棒読みなのか、それともそれが監督の好みなのか、


揺るぎない存在感と、瞳に強い光がありました。

さすがモックンの娘です。



ただ、河瀬監督の作品って、なんかすごくドキュメンタリータッチなんですよね。


あの大切なストーリー省いちゃうの?、ってところがあったり、


ここは説明入れなきゃ分かりにくいでしょ、ってところがあったり、


原作が良すぎると、どうしても自分のイメージが出来上がってしまうので、真っ白な気持ちで観るのは無理ですね。


でも、私の隣の人はすすり泣きしてました。


私自身も、原作にはなかった千太郎の「その後」の姿にグッときました。


何かを伝えるとか届けるとかではなく、


こういう捉え方が正しいというものもなく、


ただ、感じる…。


そんな感じの映画だったと思います。



心に残った徳江さんの言葉です。



私達はこの世を見るために、


聞くために、生まれてきた。


・・・だとすれば、何かになれなくても、


私達は生きる意味があるのよ。



この映画、地域によってはまだ観られます。


参考までに。 →こちら



ぐすん。予告編の動画貼り付けに失敗しました。(T_T)


下書きだと見れるのにどうしてでしょう。。。





さて、私がこの夏読んだ小説の中で、大きく心を揺さぶられた一冊があります。



さだまさし著:『風に立つライオン』



今年映画化されたので、ご存知の方も多いかと思います。


『題名のない音楽会』の司会者、佐渡裕さんが9月からウィーンに拠点を移すことが決まり、


司会者交替のため、卒業記念特集が何度か放送されましたが、


8月15日の放送で、佐渡さんと親交の深いさだまさしさんが登場して、オーケストラをバックに、この『風に立つライオン』を歌われました。



小説も、映画も知らなかった私、初めてこの歌を聴いて、雷に打たれた状態。


鳥肌が立ち、情景が浮かんで胸が震え、思わず涙が溢れました。


日本を遠く離れ、アフリカで医療に従事する青年が、日本に残した恋人に宛てて書いた手紙。


間奏にアメージング・グレイスのフレーズが入り、壮大なアフリカの大自然や動物、地平線に沈む大きな太陽が見えるようでした。


これも、動画の貼り付けに失敗しちゃいました。

みなさんにお聴かせしたかったのに・・・(T_T)

勉強し治します。


佐渡さんは、「もうすぐ日本を離れ、ウィーンを拠点に活動する自分の背中を押してくれた曲。」


と、おっしゃってました。



この曲のすごいところは、今から約30年前の1987年に、実在の医師、柴田紘一郎氏をモデルにさださんがこの曲を作り、


この曲を聴いて、アフリカに渡った医療従事者も数多く、


日本大使館を辞職してNPOを立ち上げ、現地の医療に従事している川原尚行さんの講演会では、必ず最後のスクリーンでこの曲が流れ、


鹿児島で終末期医療に尽力する堂園晴彦さんは、実際「風に立つライオン」というNPOを立ち上げて、

若い医学生をカルカッタにあるマザー・テレサの病院に派遣し続けているそうです。


ひとつの曲が起こした大きなムーブメント。


音楽の力のが及ぼす影響ってすごいんですね。


この曲に感銘を受けて、小説化して欲しい、と言う俳優大沢たかおの願いを受けて、実際に小説化されたのが2013年。


『題名~』でこの曲を知って、貪るように読んだこの小説、


期待を裏切るどころか、最後は号泣でした(長くなるので詳細はひかえます)。



性善説に基く命のバトン。


人が自分以外の誰かのために動き、それを見た人達の心を動かす。


奇跡と言うものは、そうやってさざ波のように広がっていくものなのですね。



大沢たかおさん主演の映画ですが、感想レビューを読んだりすると


「小説の方がよかった。」という声が多いので、今のところ私は見ていません。



これをきっかけに、さだまさしさんの小説をいくつか読みましたが、


文章が読みやすい上に、人が生きるうえで大切なものは何か、考えるきっかけを与えてくれる気がします。


「秋桜」「案山子」等の歌もそうですが、切ないほどの不器用な親子愛、人間愛に溢れていて、


この方の器の大きさを感じずにはいられません。




きっと、誰にとっても読みながら自分が築き上げた大切なイメージを壊したくない、大切な作品ってあるのでしょうね。


皆さんはいかがですか?


大切な一冊、お勧めの一冊がありましたら、教えてくださいね。





重松清さんの作品が好きだという牛田くん。

彼のお気に入りの一冊はなんでしょうね。


私は重松作品の中で特に好きなのは「きみの友だち」です。



結局、今回も牛田くん登場させちゃいました~(///∇//)



長々とお付き合いいただき、ありがとうございましたm(_ _ )m