皆さま、こんばんは。
11月も後半になり、そろそろ紅葉の季節。
何年も忘れていたのに、急に行きたくなった場所があります。
大田黒公園。 (東京都杉並区)
この場所を思い出させてくれたのは、これ。
『月刊ショパン』2013年7月号
はい。牛田くんが表紙を飾った、ファンにとってはお宝のこの1冊。
(今年はじめにAmazonにて購入)
中には、
こんな牛田くんや、
こんなキュートな牛田くん![]()
小龍包を食べる牛田くん
この写真で決定的に牛田くんにオチた方も。
(小龍包が食べたかっただけ、という説も…)
そろそろスキンケアについて考える牛田くん。
私、この彼がほっぺをクルクルしていたフェイスブラシと同じものを薬局で見つけて購入し、
「牛田くんと同じ
」と、せっせと顔を洗ったところ、顔中恐ろしいくらいに粉をふきました・・・![]()
(お肌は牛田くんと同じじゃなかった(T_T))
この『月刊ショパン』2013年7月号の特集は、
「没後60年 プロコフィエフを知りたい!」
牛田くんに出会うまで、クラシックにはほとんど興味のなかった私。
恥ずかしながら、プロコフィエフという作曲家の存在を、それまで知りませんでした。(//・_・//)
しかし、今年3月始まった牛田くんのリサイタルのプログラムの中には、
♪プロコフィエフ:組曲ロミオとジュリエットより
「モンタギュー家とキャプレット家」
♪プロコフィエフ:悪魔的暗示
![]()
さっそくこの特集が役に立つわ、と読み込んだ私。
その中で目にしたのが、音楽評論家、大田黒元雄の名前。
1918年、プロコフィエフが祖国ロシアの混乱を受け、アメリカを目指す旅の途中、
旅客船の搭乗手続きに関するトラブルのため、経由地の日本で足止めをくらった。
この想定外の日本滞在で親交を持ったのが、作曲家の山田耕作や音楽評論家の大田黒元雄だったとのこと。
大田黒・・・大田黒・・・おおたぐろ・・・ おおまぐろ![]()
!
私の頭の中で、点と点がつながった瞬間。
私、独身時代に荻窪のアパートで1人暮らしをしておりました。
そのアパートの向かい側にあったのが
大田黒公園。
入口にはイチョウ並木が続き、
東京都内でありながら、時間と場所を忘れ、
木々の香りに心が研ぎ澄まされる大好きな場所。
仕事が休みの日には、ふらりと訪れて
あずま屋の椅子に腰かけて ぼんやりと考え事をしたり、
彼と一緒に散歩をしたり、
田舎から遊びに来た母と2人で池の鯉を眺めたりした思い出の場所。
紅葉の季節になると、エントランスのイチョウの木々が色づく様がそれは美しく、
黄色い絨毯の上に転がる黄色い宝石・・・![]()
そう、銀杏!
時に果肉が悪臭を放つ この果実。
実は私の大好物。
特に塩焼き。ビールに合う!![]()
ここ大田黒公園のイチョウの木は、毎年鈴なりの銀杏の実をつけるのです。
休日の朝、ビニール袋を持参して、ガツガツいそいそとイチョウの木の下へ。
上も下も鮮やかな黄色い世界。
聴こえてくるのは鳥の鳴き声と、ぽとりぽとりと銀杏の実が落ちる音。
心を無にして臭い実宝物を拾い集める充実の時間。
気付けば、1人、2人と同士もいて、不思議な連帯感・・・。
ああ…。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
袋いっぱいの銀杏の実を持ち帰り、周りの果肉部分を取り除きながら、
せっせと種部分を出したのですが、
作業が終わったあと両手の平がつっぱってカピカピに!
なんと!( ̄□ ̄;)
しばらくすると、手のひらの皮がベロンと1枚むけたんです。
(ToT)(ToT)(ToT)
皆さま、ご存知でした?
銀杏の果肉部分、強いアルカリ性のため、触るとかぶれるんです![]()
でも、これ顔にやったら、強力なピーリング効果で20才くらい若返るかも…(≧▽≦)←危険!
本来ならこれ、土に埋めて、自然と腐って種だけが残るのを待つか
ゴム手袋で処理をしなければいけないらしい…。
(;^_^A 知らなかったー
私にとっては、癒しと銀杏拾いの思い出の場所。
懐かしの大田黒公園。
この名の由来を深く考えたこともなく、
当時はせっせと銀杏拾いに足を運んでいたのですが、
遥かなる時をこえて、再びこの名に出会うとは!
大田黒元雄氏(1893~1979)は、日本における音楽評論家の草分けとも言える人物(らしい)。
裕福な環境で育ち、若い頃渡欧して、当時の作曲家たちの実際の演奏を聴いた貴重な日本人(らしい)。
その経験を生かし、ヨーロッパの多くの作曲家を日本に紹介しただけでなく、大田黒氏自身も、かなりのピアノの腕前だったとか。
そういえば、個人の所有地(の一部)とはとても思えない、広ーい敷地の中にピンクの素敵な洋館があって、
若かった頃の私、そっと窓から覗いてみたら、1台のアンティークなピアノが置かれていた記憶が…。
ああ、私すごく宝の持ちぐされなことをしていたみたい…。(T_T)
きっと音楽好きの方なら誰もが知っている(かもしれない)、
日本を代表する音楽評論家の屋敷跡の公園のすぐそばに住みながら、
音楽にはチラリとも興味を持たず、
せっせと銀杏広いに精を出していたなんて…(//・_・//)
10年以上ぶりに訪れた大田黒公園。
残念!イチョウはまだ色づいていませんでした。
敷地面積8,972.31㎡。
この30%を公園にしてほしいとの本人の遺志に基づいて、杉並区に寄付されました。
敷地内には、数寄屋造りの茶室や休憩室、
かつてのアトリエを再現したレンガ造りの記念館。
入館可(初めて知った)。
当時の照明をそのまま使っているという、落ち着いた雰囲気のサロン。
センスのいい家具や調度品。
この人が大田黒元雄氏。
日本で最初の音楽評論雑誌『音楽と文学』を刊行。
サロンでも毎月音楽の集いを開き、自らもピアノを演奏。
スクリャービンやドビュッシー等、近代音楽の普及にも尽力。
音楽に関する著書も多数。
戦後はラジオ番組でも活躍されたとのこと。
そして・・・
大きな窓のそばに置かれた1台の古いピアノ。
1900年にハンブルグ工場で作られたスタンウェイ。
寄木細工の美しいこのピアノ。
2000年に修復され、この記念館でも時々ひっそりとコンサートを行っているそうです。
当時のまま時間の流れが止まったような館内には、このピアノが奏でたという美しい音色のメロディが流れていました。
まだ少し、紅葉には早かった大田黒公園。
しかし、来週からライトアップと紅葉コンサートがあるとのこと。
こんな幻想的な景色を見ながら、ピアノの音色を聴いたら素敵だろうなあ♪
牛田くんの演奏で、聴いてみたいなあ。。。
(*^ ^*)
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さて。
先週土曜日の牛田智大くん 京都リサイタル。
仕事で行けませんでした。
行きたいのに行けないコンサートがある日は、なかなか時間が進みません。
お留守番の辛さは、まるでこの身を焼かれるよう。
1週間前の高知のリサイタルでは、絶好調とは思えなかった牛田くん。
弦が切れるというアクシデントもあったため、
どうか今日は牛田くんが満足のいく演奏ができますように、と
朝から祈るような気持ちで過ごしました。
リサイタルが終わって、早速京都から連絡をくれたファン友さん達。
行かれた方達のブログにもある通り、この日の牛田くん、メガネをかけての演奏だったとのこと!
休憩に入るまでは、髪もセットしていなかったそう。
そして、
この日の演奏、素晴らしかった模様。
高知でご一緒したファン友さんが伝えてくれた言葉。
本当は彼女自身に記事を書いてほしいくらいですが、
ご本人は書かないとのことなので(とても表現豊かな人なのに)
彼女の了解をいただき、代わりに書かせてもらいます。
「牛田くん、この1週間 弾きこんだ感じで、高知の時とはまるで違う曲を聴いているようだった」
とのこと。
「愛知の時のような、気迫に満ち満ちた感じではなく、
ただひたすらに この1週間 あのプログラムに向き合ったのではないかという感じ。
とても誠実さを感じる演奏だった。」
そして、
「心労があったんじゃないかな?やつれた感じだった。」
とも。
ファン友さん、そんな彼の演奏を聴いて、切なさと感謝の気持ちで涙が止まらなかったそうです。
高知での演奏を実際聴いているからこその彼女の言葉。
これを読んだ途端、私の目からも思わず涙があふれました。
弦が切れたこと。
厳しい批判のブログ記事が貼られた事により、掲示板が荒れたこと。
この1週間、ファンの私達も、胸を痛めて過ごしました。
掲示板のことは、彼が知っていたかどうかは分かりません。
でも、高知の演奏を聴いて、私、思いました。
まだまだ、牛田くんの演奏は、こんなもんじゃない!
その悔しさを、一番噛みしめていたのは、きっと牛田くん自身だったでしょう。
ファン友さんの言うとおり、きっとこの1週間
ずっとこのプログラムと向き合って
ひたすら練習して練習して・・・
当日も、髪のセットが間に合わないくらい、ギリギリまで弾いていたのかもしれません。
(本来なら、このぐらいの年頃の男の子は、まず自分の見た目を気にするでしょうに。)
そして見事に、プログラムの最終日を飾った牛田くん。
ああ、よかった!本当によかった!!!
諦めず、手を抜かず、きっと1秒だって多くピアノと向き合って、
晴れ晴れとした表情で、心のこもった挨拶をしたという牛田くん。
メガネでも、髪ボサボサでも、納得のいく演奏がしたかったのね。
それをみんなに届けたかったのね。
ああ、だから、私達は あなたを愛さずにはいられない。
この1週間、私自身の気持ちもどこかどんより重く、
珍しくいろんなことを考えました。
牛田くんが一人の「プロのピアニスト」であるということ。
ファンとしてのあり方。
専門知識のない自分が、感性でしか感想を語れない無念さ。
言葉の影響力。
発信する側の責任。
牛田くんの気持ち。
同じように、彼を思って胸を痛めていたファンの方も多かったのではないでしょうか。
そんな中、一緒に語り、模索したファン友さん。
私の問いかけに、誠実に答えてくれて、大切なことを教えてくださったファン友さん。
ピアニストの厳しさについて言及した前回の記事に、コメントを寄せてくださった読者の方。
それぞれに牛田くんへの想いのつまった記事を書いてくださったブロガーの皆さん。
リサイタルが終わってすぐに、報告のメールをくれたファン友さん。
高知と京都。その両方の演奏を聴いて、牛田くんの、この1週間の成長を目の当たりにし、それを共有させてくれたファン友さん。
皆さまと一緒に、牛田くんを応援出来る喜びを、改めて噛み締めています。
そして、いつだって、これでもか!というくらい、
私の世界を広げてくれて、勉強させてくれる牛田くん。
ずっと年上の私が、あなたから学ぶことは無限大・・・。
本当に、本当に
ありがとう!
メガネをかけた牛田くん、見たかった…(T_T)
ボサボサ頭の牛田くん、見たかった…(T_T)
でも、そういうことがどうでもよくなっちゃうくらい(もちろんすごく大きなことよ(*^.^*))
あなたが何かを乗り越えて、また前進したことが嬉しいです!
ばんざーーい!
\(^O^)/

















