アラフィフ現役介護福祉士のうま子です

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 お別れの時

 

 

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こんにちは!

現役介護福祉士のうま子ですニコニコ


気づけば2024年も

あっという間に3月!


しかも4月が近いアセアセ

久々にブログ更新できましたー。

 

 

今日は私のストーリー5話目です。

良かったら、読んでいただけると

嬉しいです照れ照れ照れ

 

 

 

前回のお話は

 

介護の資格を取ろうと

ホームヘルパー2級講座を申し込むも

どうしても日程が合わず

断念するお話でした悲しい

 

 

 

今回のお話しは

 

実家に居る大好きだった

祖母とのエピソードおばあちゃん

 

うま子は実家に帰った際

介護生活になっている祖母の姿を見て

受け入れがたい気持ちでいたショボーン

 

それでも

悲しい気持ちを抑えて

大好きな祖母に寄り添っていたハート

 

そんな祖母の状況に、またまた

介護の仕事をやらなくては筋肉

と思うお話しニコニコ

 

 

 

うま子は

介護の資格を取とうとするも

講座を受講する環境が整わず

介護の仕事に就く事が出来ずにいたショボーン

 

その時うま子は29歳。

子どもが二人いて

長女が幼稚園の年中さんお母さん

長男は年少さんお父さん

元気いっぱいの年子の姉弟だった。

 

子ども達にかかる費用を稼ぐため

カフェレストランで

ウェイトレスの仕事をしていたナイフとフォーク

 

カフェの仕事も

興味のある仕事だったので

楽しみながら働いていたルンルン

 

あっというまに

月日が経っていき

 

子ども達も年々成長して

幼稚園生から小学生になったアセアセ

 

幼稚園は

夏休みなどの長期休みのときも

働いている親の為にお預かりがあり

小学校も

学童保育での夏休み中のお預かりはあったが

 

お盆休みがありその期間中は

預け先がなくガーン

 

私の母は酒屋の仕事があり

忙しいのは十分に分かってはいたが

預かってもらった。親は有難い!ハート

 

子どもたちを実家に預けに行く時と

迎えに行く時

二日間くらいは私も実家に泊まった。

 

この時、いつも母親として頑張っている私も

子どもになってくつろいだ。

いつまで経っても子どもは子どもなんだよねハート

 

実家は、両親と祖母の三人住まい。

 

酒屋の店舗と母屋と離れがあった。

 

昔は離れが両親の部屋だったが

祖父がおじいちゃん亡くなってからは

離れは祖母おばあちゃんの部屋になっていた。

 

祖父は私が高校3年の冬に亡くなった。

祖母との年齢差は10歳で

祖父は82歳で亡くなったので

その時祖母は72歳だった。

 

その時はまだ祖母も元気だった飛び出すハート

 

それから16年88歳で亡くなるまで

祖母は徐々に徐々に弱っていき

亡くなる前の2年間程は

寝たきりの介護状態になっていた悲しい

 

祖母のお世話をしていたのは

祖母の実の娘である

私の伯母と

嫁である私の母の2人だった。

 

三度三度の食事の準備

下の世話。清拭。部屋の掃除。

 

田舎なので訪問介護などなく

伯母と母が二人がかりでお世話をしていたタラー

 

祖母は二人に

下の世話になっていることを

特に申し訳なく思っていて

私にそう話していたもやもや

 

その気持ちは私にもよくわかった

身内だからこそ余計に

申し訳なく思うという事。

とてもデリケートな問題だと思う。

 

これが、ヘルパーさんなどの他人で

仕事として割り切った関係の人に

お世話になっているのなら

気兼ねも少なく良いのかもしれない上差し

 

お世話する方も

プロの手を借りることが出来れば

気持ちに余裕もでき照れ

疲弊する事もなくお世話ができるし

両者が良い関係を保てるのにと思った。

 

 

祖母は離れにひとり寝かされていた。

とても寂しかったと思う魂

 

もともと寂しがりやな祖母

(ちなみに私は中学3年まで祖母の隣に寝ていた)

 

風の強い冬の夜などは

海風が窓に打ち付けて

ガタガタと音が鳴るのを聞き

 

ひとり眠れない夜を心細い思いをして

過ごしているに違いなかった。

 

祖母が心配で可哀想でたまらなかった。

 

寂しい冬がもうすぐやってくる。

祖母は大丈夫かな?

会いに行きたいな

 

そんな事を考えていた

11月のある日

 

妹から祖母が亡くなったという知らせがきた。

 

その知らせを聞いた時

悲しいという気持ちではなく

 

あぁもうこれで

祖母は寂しい思いも、つらい思いも

しなくて済むんだという安堵感が

心の奥底に広がっているのを感じた

 

私は不謹慎にもホッとしていた。

 

それまでは幾度となく

いつか来るお別れの時を想像しては

悲しい気持ちになっては泣いていたのに

 

本当に別れの時が来たそのとき

私は悲しまずに

祖母を見送れる気持ちになっていた。

あ~これで寂しい思いもしないで済むね

そう祖母に心の中で伝えた。

 

 

晩秋の明け方ひとりで旅立って行った祖母

 

祖母の死はすんなりと受け入れられたが

 

晩年の祖母を思い出すと

悲しくてたまらなかった。

今でも悲しい。

 

介護状態になって

誰がが四六時中そばにいる事は

無理かもしれないけど

 

それでも少しでも

最期まで誰かが近くにいて

人の気配を感じられる環境だったら

良かったのにと思う。

 

それが他人であっても

お仕事の人であっても

人の気配を感じる

そんな安心感のある中で

世の中のすべての人が

人生に幕を閉じることが出来たら良いのに

と、そんなことを考えていた。

 

私は祖母に一緒に居てあげる事が

出来なかったから

その代わりに介護の仕事に就いて

 

せめて誰かの

人生の最後の時間を豊かに過ごす

お手伝つだいができたら良いな!

と改めて思っていた。

 

 

読んでいただきありがとうございます!

 

 

次回は

 

資格を取ったうま子の

お仕事デビューでやらかした

お話です。

 

 

 

 

 

 

 

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