記録 2015年11月 その2 | どれみのブログ

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総合病院に入院し、色んな検査をしましたが、一向に良くならない、担当医の先生が、近くの大学病院へ転院したほうがいいという判断をして下さって、

ここから救急車で、私は意識のないまま近くの大学病院に運ばれました。


ここでは、ICUで治療を行いました。


私が運ばれた時には、

わたしのそばに沢山の先生が来られていたそうです。


そして、先生から夫に告げられた言葉は


今夜がやまです。。


家族を呼んで下さいと。


病名は、敗血症。


夜中、夫が私の両親に連絡をして、実家の両親は、朝一、飛行機の手配をして、私のいる病院へ来てくれたそうです。


まだ、この時もわたしは、

意識がなく、入院している夢をずっと見ていました。


不思議なんですが、今いてる病院の夢をみていました。


どこの病院に運ばれたのかわからないはずなのに、夢の中で、今いる病院で、野球を見に行ってて具合が悪くなり、旅館で倒れたと、話しているんです。



危険な状態が続いているなか、

数日後、私は目を覚ました。


ここはどこ?ではなく、

看護師さんに、片言で、ここは、❍○病院ですねと、言ったそうです。


話せないから、書こうとする筆談さえも、思うように字がかけずじまいでした。


1日2回の面会で、母と夫が来てくれくれました。

父は、家に戻らないといけない事情がありました。


祖父のことで。


実は、私が目を覚ましたこの日に、祖父は天国へと旅立ちました。


私の身代わりになってくれたように、ほぼ同じ時刻に。。。



祖父は、体調が悪くずっと入院していて、私は、旅行に行く前、お見舞いに行きましたが、眠っていたので、メモに、また来るね、と書いて帰ったのが、祖父との最後でした。。、


私が、それ以来、

祖父の病院にこないので、

毎日誰か来ると、私が来たのかと、ずっと待っていたそうです。


私ではないとわかると、がっかりしていたそうです。


最期の最期まで、わたしのことをまっていてくれていたと聞きました(T_T)


私が祖父のことをきいたのは、この二ヶ月後のことでした。

ショックをうけないよう、私には話さなかったのです。