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覚醒剤所持「天才」の逮捕

 田原成貴といえばGⅠ14勝を含む通算1112勝のトップジョッキー。華麗かつ大胆な騎乗で騎手仲間からも「天才」と言われた。1999年に調教師になったが、そこから転落劇が始まった。

 2001年10月8日、羽田空港で刃渡り約20センチのナイフを機内に持ち込もうとして、銃刀法違反(所持)の疑いで逮捕。上着に覚醒剤の水溶液が入った注射器を持っていたことも発覚。覚醒剤取締法違反(同)容疑でも逮捕された。

 懲役2年、執行猶予3年の判決を受け、調教師資格も剥奪、競馬界から姿を消した。
 

 

サルノキング事件
1982年のスプリングステークスでサルノキングに騎乗した際、極端な後方待機策から敗戦、

優勝したハギノカムイオーとサルノキングが同馬主であったため八百長疑惑を掛けられた事件である。

サルノキングは競走中に骨折もしていた。

田原自身は「馬の力を出し切る競馬」と一貫して疑惑を完全否定しており、日本中央競馬会の公式見解としても「敗因は骨折」とされている。

 

当時の流行語であった「逆噴射」から逆噴射事件やサルノキング逆噴射と呼称されることもある。
 

ステートジャガー事件
1985年の宝塚記念競走後、田原の騎乗馬ステートジャガーから禁止薬物のカフェインが検出された事件のこと。

これは田原が引き起こしたものではないが、警察から事情聴取を受けた。

この件は田原など関係者への嫌疑は晴れたものの、犯人が判明しないまま捜査が打ち切られている。

 

スポーツニッポン記者殴打事件
田原が調教師免許試験に合格した際に記者会見を拒否し、

その顛末を報じたスポーツニッポンの記事内容に田原が怒り、

執筆した橋本全弘を検量室内において鞭で殴打したとされる事件である。

 

橋本によれば、調教助手を通じて田原に検量室へ呼び出されたうえで、

突如鞭で打たれ直後に「勝手に検量室に入ってこられちゃ困るよな」と言い放たれたという。橋本は顔面打撲、前歯損傷の怪我を負った。

 


JRAを介した事後の協議の場で、田原は「鞭を試し振りしていたら当たった」として故意の殴打を否定、検量室に呼び出した事実もないと主張した。

橋本からの「偶然だったのであれば、謝罪や安否を確認するよりも先に『勝手に-』との言葉を口にしたのはなぜか」との質問には、「自分が未熟なもので気付かなかった」と答えた。

協議の結果、田原と橋本は形式的には和解し、故意ではなかったという結論で事態は収束を見るも、田原から橋本への正式な謝罪はなかった。

 

この一件で田原の栗東トレーニングセンター内での心証は極めて悪くなったとされ、

他の調教師たちからは「あんな男と一緒にされてはかなわない。もう辞めさせてしまえ」という声が相当数上がったという。

 

日経新聞の野元賢一記者は、のちに発信機装着の問題が取り沙汰された際に、この件を不問に付したJRAの対応が「ボタンの掛け違えだった」との見解を示した。

 

田原 成貴(たばら せいき、1959年1月15日 - )は、

日本中央競馬会に所属した元騎手、調教師。後に競馬評論家となった。

島根県鹿足郡柿木村(現在の吉賀町)の出身。

卓越した騎乗技術と端正な容姿で、騎手時代には「天才(または元祖天才[注 1])」、「競馬界の玉三郎」と呼ばれた。

騎手通算8649戦1112勝(うち重賞65勝、GI級15勝)。1983年、84年のJRA全国リーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)。

騎手引退後の1999年より調教師として活動を始めたものの、

2001年に銃砲刀剣類所持等取締法違反・覚せい剤取締法違反容疑で逮捕されたため

調教師免許を剥奪された。

以降も薬物所持、傷害などで複数回に渡って逮捕されており、JRAから無期限の関与停止処分を言い渡されている。