先週船橋北口図書館で行われたJASHの講演
「縁起でも無くない! みんなでちゃんと考えたい『死ぬ』ということ」に行ってきました。
現役ICU看護師の話が聞きたかったんです。
講師はJASH代表のマッキーさん、普段は下ネタ豊富の彼ですが、今回はキリリとした
看護師でした。
講義の内容なワーク中心の各々の死生観を聞きながら自分の中に気付きを得る形式でした。
勉強になりました。その中でも現役ICU看護師の現場の話も響きました。
その一つが蘇生治療とDNRです。
蘇生治療として上がられるのが心肺蘇生法です。
この話は私の記憶にある中で2回聞いた事があります。
中高生の時代と、自動車運転免許取得時。
どちらかでは人形を使っての演習もした記憶もあります。
その時の状況は私は助ける側、相手(人形)は助けられるべき人、訓練では必ず助かります。
絶対的正義が確実に存在する場面での演習でした。
今回聞いた3回目
ここには絶対的正義が果たしてあるのか?今回私の立場は蘇生を受ける側、
訓練では20回も心臓マッサージすれば目を開けてくれる人形ではない。
私は果たして助かるのだろうかと言う立場。
心肺蘇生は胸骨が折れてしまうこともあるそうです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1443624064
それでも、骨折は心臓が動けば治ります、まずは心臓マッサージ。
人は、亡くなると代謝が止まって、骨折は治りません。
私は亡くなる立場は別にどうでもいいんです。それ程の執着はない。
ただ、意識がない私の代わりに子供が「心肺蘇生してくれ」って、言って
私の胸骨が折れる音を聞き、冷たくなった私に「痛かったね。ごめんね」って
私に言うのかなと思うと、子供が可愛そうでね。
そんな負担を背負わなくてもいいよと、言ってやりたい。
負担と言えば、費用だって、ばかにならないだろうし。
その一方で今の私だったらどんなことしても生きていたい。という気持ちもあって。
なかなか難しい話です。
DNRとは蘇生処置拒否指示と言われているもので
こういうものらしい(リンクです)
DNRを希望するとかしないとか、自分の死に対して自分がどうしてほしいことを
望んでいるのか、家族と話をしておくことは大切だなと思いました。
それは人生で1度言えばいいと言うものでもなく、人生の流れで緩やかに
変わっていくものと思いと、その時々で話していこうと思います。
今の私と、110歳の私はたぶん意見がちがうと思うから。
これは死後の話にも通じていくものと思います。意識がない、体が動かない、
肉体がない。そういう時に何を望むのか望まないのか。
目をそむけず考えたいと思いました。