つい先日、ふと絵本の『ごんぎつね』 が目について読んでみました。


私の子供のころは教科書に載っていたような気がします。


みなさんも一度は読んだことがある本だと思います。


子どものころの記憶だと「ごんが兵十に鉄砲で撃たれてかわいそう」というイメージだったのですが、


大人になって読むと、全然違う印象でした。


不登校、毒母、心の問題。


そんなことを気にしながら読んだからなのでしょうか、この話は親子関係を描いている話なのかと


思ったんです。



お話は兵十が川でウナギを取っていると、いたずらぎつねの「ごん」が兵十の取ったウナギを


いたずら心から奪ってしまう。その数日後、偶然見かけた葬式で、兵十の母親が亡くなったことを


知った「ごん」。兵十母が、最期に食べたかったであろうウナギをいたずら心からとはいえ


自分が取ってしまったことを反省し、つぐないのために、毎日兵十の家の前に栗やマツタケを持っていく。


しかし、この行為が「ごん」のしたことを知らなかった兵十は「ごん」が兵十の家に入って行ったのをみて


いたずらしに来たんだと勘違いし、火縄銃で打つ。冷たくなった「ごん」のそばに栗を見つけ


そこで、「ごん」の気持ちを兵十は初めて知る。というもの。




兵十は、いつも自宅に食べ物が届けられることを不思議に思っているんです。


「だれが、やっているのだろう。」と。それを聞いた友人の加助は


「それは神様のしわざだ。神様に感謝しなさい。」という。


兵十も「そうかな?」と思いながらも納得しているようすです。


それをみた「ごん」がつまらなそうにしているんです。


そして最後には「ごん」は兵十によって打たれてしまう。


「ごん」は自分で考えて反省し、兵十のさみしい気持ちに共感し、自分でつぐないの方法を考えて


実行します。だから、最初は魚屋から盗んだものを持って行って失敗してしまいました。


でも、その後も兵十の家までいって様子をみています。そこで、魚屋に盗人の疑いをかけられて殴られた


兵十を見ます。あれは失敗だったと「ごん」は反省します。


実行、評価、改善。ある意味、PDCAサイクルを活用しています。


それは、全部「ごん」が、がんばって自分でやったことです。


しかし、それは「神様のしわざ」とされてしまう。「ごん」、寂しくなります。



子育てに変えてみると、自分で考えて行動したことが


「先生のおかげ」「私の育児法のおかげ」「塾のおかげ」「私学に通わせたおかげ」と


言われているようなものです。自分を見てほしいと思うのは当然でしょう。



物語では「ごん」は兵十に「命」を奪われてしまいます。「命」を奪われた「ごん」をみた兵十が


はじめて「神様のしわざ」だと思っていたことが、実は『「ごん」のしわざ』だったと気付く。



もしかしたら、子育てでは「心」を奪われているのかもしれません。


親に「またいたずらするに違いない」と勘違いされて、


火縄銃でドンっと「心」を打たれる。「心」から血を流している子を見た親が


初めて「学校や塾や先生のおかげ」ではないその子の心を知る。




「ごん」はキツネだから幼いからきっとそんなこと分かるわけがない。


そういう思い込みがかわいそうな結果を導いたのかもしれません。


この物語の「ごん」はなぜきつね、しかも幼い子ぎつねだったのでしょう。


兵十や、加助を同じ人間(大人)だったら、違う物語になってからかもしれませんね。