三連休初日15日は
NPO法人「葬送の自由をすすめる会」の葛飾集会に行ってきました。
http://www.shizensou.net/index.html
島田がこの会の理事になって、講演もあるというので見に行ってきました。
この会の名前のイメージでしょうか、私は集会にも、とても大人(ご老人とも言う)の方
がほとんどなのかな?と思っていたのですが、お若い方が結構多くてびっくりしました。
集会は、島田の講演のあとに、会員の方の散骨を経験したときのお話。
そして、会員同志のグループディスカッションがありました。
お母様を見送った人とか、配偶者を10年以上前に見送った人とかいらっしゃいました。
ご自分の見送られ方だけでなく、送る側に立ってみて初めて見える見送られ方。
そういうお話を聞かせていただきました。ご自身の思いなのでとても個人的で
聞いている方もとても心動かされるものでした。
良い経験でした。
印象的だったのが散骨を経験された会員さんのお話。
「自分は次男だったから、中学卒業して家を出るときは、
自分の死のケリも、自分でつけなちゃいけないなと思った。」
結婚式の費用は両家の親が折半で、
新婚旅行から帰れば旦那の親が投資用に持っていたマンションの1室をもらい
そこに新居を構える。
そういう今の自立とは全く違うもので・・
自分の死のケリをつけるために、もちろん生のケリもきちんとつけてきた
先人の言葉はずしりと来るものでした。
先祖が脈々とつながっていくのとを思い出すの場面は
お墓参りなのかと思っていました。
もちろんそうなのでしょうけど、お墓がなくてもいいんだなと思いました。
今生きているご本人が墓を持たずに散骨を選ぶこと、
それも先祖供養なんじゃないかと思います。
そこには、自分の子供に負担をかけたくないという親心が見えるんです。
脈々と続く自分の子孫、未来の子孫への負担を軽くしようと考えるんです。
自分の祖先が残した、自分。そして自分と通り抜けて未来に続く子孫。
過去と未来を同時に祈る、それは、新しい形の先祖供養なのではないのかなと思いました。
