実は二回生になってから一回も日記書いたことなかったけど、書きたくて仕方なかったんでこっちの日記を先に書くことになりました、どうも42期のオタクどす。この前個人としては初めてのウルトラマラソンである、四万十ウルトラマラソンに出てきました。これに関する日記はそのさんが書いてくれてると思いますが、どうしても書きたかったので書かせてください。暇な授業の合間にでも読んでくれたらうれしいです()。なんか日本語変ですね。多分この先も変なところがいっぱいあります。センター現代文で一回29点たたき出してる程度の国語力なんで許してください。ついでに何も考えんと頭に浮かんだこと書いてるんで話ぐっちゃぐちゃやと思います。さらにさらに思ってことそのまま書いたらめっちゃくっさい言葉いっぱい書いてるけど許してください。なんかまつしゅんも同じこと書いてたね。それではいきます。ちなみに7000字超えてるんでめっちゃ長いです()。






まず、なんで参加しようと思ったか。答えは簡単です。出たかったからです()。答えになってませんね。でもこれ以外にないんですよね。一回生の頃からすごく憧れがあって、出たくて仕方なくて。なんで当たった時はほんまに嬉しかったし、練習積みまくって絶対完走してやるって思ってました。そう、思って“ました”。GAPタームも夏休みもバイト入れまくってたら、「疲れたしんどいー」ってなって9月の夏合宿までの走行距離多分10kmもいっていない状況。これはやばいってなりました。だから夏合宿終わったらしっかり走らないとって思いましたね。そう、思い“ました”。そっからの走行距離はマラ同の通常練習含めて70kmも行かない程度。一回はロングを挟もうと思ったにもかかわらず、30kmも行かないところで足の痛みが割ときて途中でやめて阪急電車にお世話になることになる始末。これが本番2週間前の出来事。周りの四万十出る人の話を聞いてたら当然みんないっぱい走っている。ただただ自業自得ですけどほんまに焦ったし不安なりました。本番直前まであらゆる人に不安な気持ちを吐き出しまくって、でもやるしかないんで今からできることをやろうと思って、飲むものを考えたり、いかに疲れを残さないかを調べて実践したりして前日を迎えました。見送りに来てくれた方々にはすごく元気と勇気と色んなアドバイスをもらいました。本当にありがとうございました。文章では“ありがとう”としか表現出来ませんが、本当に力強かったです。これからのウルトラの見送り絶対行きます。
ちなみにほんぜうが三宮まで走ってきたときは、こいつほんまあほやなって思いました。そのあとにせいなさんが走って見送りに来てくれたときは、さすがせいなさんすごいなって思いました。いやー公平な判断ですねー。
行きの車ではウルトラのベテランのめりきむさんとたけおじさんが一緒やったので、色々聞いたりなんか知らんけど車乗ってきた某42期のおばかさんがどうやったら家まで無事に帰られるかとか話してましたね。昼ごはんを食べたひろめ市場は春合宿の時も来たのでなんだか懐かしい感じ。塩のかつおのたたきおいしかったなあ。その後受付を済ませて買い出しもして宿へ。ちゃちゃっと準備をしてうちの部屋は10時前に消灯。寝る前に何人からか応援のメッセージをもらえて本当に心がすっと軽くなってじんわりと温まりました。特になぜか釜江からのLINEはなぜかすごく感動しました。今年1レベルに感動しました。けどそのあとにしばさんからメッセージカードを頂けたために、すぐに今年2レベルの感動に降格しました。嘘です。こればっかりは順位はつけられません。全部、すごくすごくうれしかったです。そして3時に目覚ましをかけて就寝。割とぐっすり寝れました。そうして準備もそこそこに会場へ。同じ車やった篠木さんとしばさんに激励をしてもらって気合も十分。荷物預けたりトイレ済ませたりストレッチしたりしてスタートラインへ。






最初のほうは42期とそのさんで談笑しながら徐々に明ける空を見ながら進みました。経験者のがっちゃんの理論で6:00/kmちょいくらいのペースでラン。この時の1時間は後半と違ってすぐ経ちましたねえ。12,3kmくらいかな?がっちゃんと浦君は先に前に行くということでお別れ。そして16,7kmくらいからの一番きつい坂へ。最初はほんまにきつかったです。しんのすけの「貯金はできてる」って言葉を頼りにいっぱい歩きました。その後38組に追いつかれたんですけど、たけおじさんとちゃーりーさんのまあ元気なこと。ただただすごいなあって思ってました。そうして19.5kmくらいで、「なんか自分にはこのペースはちょっと遅いかもしれない。中高と朝遅刻しないために坂道ダッシュしまくってた俺ならもっと行ける」ってふと思いました。後先考えずに行動する自分の癖がでました。そして何も言わず前へ。今思い返すと一声かけてから行けよなって感じですよね、まったくもう。ここからずっと一人で走ったんで約80kmくらい一人で走ることになりました。そして21,5km地点くらいだったかな?ようやく登りが終わって下りへ。自分は膝を壊した前科があるんでそこまで飛ばしすぎないようにしようと思って、大体5:30~40くらいを維持しつつひたすらに下る。そして30km地点くらいで太ももとふくらはぎがすでに軽く張り始めてきたんで軽くストレッチもはさみつつ速度は維持。36.6地点の第一関門で待ってるヘルパーさんたちを目指して前へ進みます。もうこの時点で誰かに会いたい欲が爆発して、今までのウルトラ日記でよく書かれていたヘルパーに会いたいって気持ちが痛いほどわかりました。多分これは走ってみて初めて理解できる気持ちかなって思います。あと6kmがすごく長くて遠くて仕方なくて心が何回も折れかけました。そうしてようやくたどり着いた第一関門。まだまだ道は長いのにすごく心細くなって半分泣きつきながら駆け寄っていきました。けど、かなり早くていいペースって言われてスッと心が軽くなりました。エアサロかけてもらってストレッチもそこそこにきれいな、四万十川を横目に見つつ再び前へ進みます。


次に会えるのは61.6kmの大エイドなのでおよそ25km先です。長すぎて心の中で半ベソかいてました。すでに脚はしんどいです。当然です。100kmって割合から考えたらちっぽけですが、ここまで36kmも走ってるんです。しんどくないわけも、痛くないわけもないんです。それでも進まないといけないので7:00/kmを切るくらいを維持して脚を前へ動かします。でも40km手前くらいでついに心が折れました。もう何も考えられず、耳に流れてくる音楽も頭に入ってこず、なんの為に走ってるんやろってなりました。ウルトラ走ってるときは、42.195kmなんてあっという間なんて聞いたけどそんなことはなく、めちゃめちゃ長く遠かったです。まあ確かに終わってみればすぐだったなっておもうんですけどね。それでも走ってる時の自分からしたらすさまじく遠い道のりでした。もう4時間半も走ってんのにあと9時間後も走ってるって考えたら、まあ絶望感しかないですよね。
けど、44kmくらいで転機が訪れます。そこで耳から聞こえてきた曲はわれらがLiSAの中でも最高に勇気と元気をくれる曲でした。「もう目の前に道はあるから、背中を押す理由これ以上いらないからね「走り出した心もう止まれないんだよ」「目には見えなくたってさ、決して独りじゃないよ」心に火が戻りました。そこから先は6:00~6:30/kmくらいでひたすらに進みます。50kmを過ぎてなんかパンフレットで見たような場所を通って再び四万十川を横目に先へ。



それでもやっぱり一人で走ってる以上、孤独はつきものです。54kmくらいでまた心が折れてしまいます。ここで2つ目の大きな坂があって歩きながら誰かに電話しようと思いました。まっつんが出てくれました。泣きそうなの我慢しながら「辛い、しんどい、足が痛い、貼りが進行してきてる」って吐き出しました。まっつんはいつもの調子でうんうんって聞いてくれました。そして隠岐の島の時の経験から、「大エイドまで行けたら大丈夫。そこから先は軽くなる。50km超えたらあとはいけるから」って言ってくれました。ああ書きながら思い返してるとすごく泣きそうになる…。下りに差し掛かったところでお礼を言って電話を切り、再び走り出します。下り坂を利用して6:30/kmを切るくらいのイメージで、まっつんの言葉を信じて、大エイドまでかけていきます。すでに張りまくってて、あと一歩動かせばつりそうな状況で、動かすのが本当にしんどかったけど、ヘルパーの人たちに一刻も会いたいって気持ちだけで足を動かします。その思いが強すぎて大エイドまでのラスト1kmは5:09/kmでした()。ちなみにこのあたりでポーチに入れてたマグオン2個と羊羹と1000円を落としたことに気づいて軽く絶望したのは別の話です。

そうしてようやく辿り着いた大エイド。手を振ってる篠木さんの姿が見えた時にはもう涙があふれそうになりながら駆け寄ってました。ここで先に行ってたがっちゃんと浦君に追いついたけど、彼らは早々に出発。こっちからも励ますのも程々に補給取ったり着替えたり身体を伸ばしたりします。そしてここでもヘルパーさんたちからの手紙をいただけて本当にすごくうれしかったです。前日にしばさんからもらったものと一緒に大事にポーチにしまって出発。でも20分くらいいちゃったんですよね()。15分以内には出たかったな。それでもこのペースやと完走はいけるぞって言われたので引き続き歩きながら身体を伸ばしつつ、次は約25km先の86.9kmの第六関門で待ってくれてる若菜さんを目指して、脚を前へ。7:00/kmで走ることがこんなにもしんどいなんて、走る前は思いもしなかったです。それでもなんかこみあげてきた吐き気も我慢しつつただひたすらに前へ。71km手前で渡った橋でせっかくだからときれいな写真を撮ったりしてました。







このあたりから7:00/km、8:00/km、9:00/kmで走り続けたらどれくらいで完走できるかを考え始めた結果、13時間切りを目標にしました。そうしつつ最初の頃とは桁違いに長い長い1kmを必死に走って歩いてを繰り返します。文章で書くと一瞬のようなんですが、本当に、本当に長くて辛くてしんどくて。言葉では伝えられない苦しいだけの時間でした。歩いてるときは頂いたメッセージカードを何度も何度も読み返して、あふれそうになる涙をこらえてまた全気力を振り絞って、歯を食いしばって走り出す。それの繰り返しでした。
そうしてなんとか80km付近までたどり着きました。そしてこの時、痛みと心の限界がついに来てしまいます。あと一歩踏み出せば外れてしまうんじゃないかと思える左足首、爆発してしまうんじゃないかと思えるくらい張りに張ったふくらはぎと太もも。体感脚の重さは30kgは超えていました。もう無理だって思いました。孤独感と、もう何回も限界を超えてる脚とあと20km以上もある道のり。逃げ道が欲しくなって誰かに電話しようと思いました。釜江が出てくれました。釜江の声を聴いた瞬間、もう感情が爆発して涙がぶわって出てきて涙を流しながら情けなかっただろうぶるぶると震える泣き声で「ほんまにもう無理やって、辛すぎる、痛すぎる」ってその時の気持ちを全部爆発させて吐き出しました。今思い返すとかなり恥ずかしいけど笑。その時は富士五湖のメンバーがいて、釜江だけじゃなくてまつしゅんとほんぜうと土井さんとも話せました。俺の泣いてる声がせいなさんとはいじに聞こえてないことを祈ります。(あれ、富士五湖走ったN.Akariは36.6km地点と大エイドで見た気がするなー(棒))。釜江から脚がどれだけしんどくても骨折してない限り進めるからとかえぐいこと言われ(でも実際この言葉は後で前を向く励みとなりました。)、まつしゅんとはたわいもない雑談してリラックスして、ほんぜうからは経験者からの力強いアドバイをもらい、土井さんからはあのいつもの軽い感じの口調で励ましてもらって、携帯越しにLiSAの曲を聞かせてもらいました。その曲はここまでで何度も何度も聞いたはずなのに、携帯越しだから音割れしまってるのに、なぜかすごく心強く、完全に死にきっていた心が文字通り、立ち上がる感覚がしました。しかもそのタイミングで38のヘルパーさんたちが待っててくれてたんです。すごくすごくうれしくて、元気とアドバイスももらえて、それでもう心は完全に復活しました。走り出した心はもう止まれません。通話は圏外になってプツンと切れてしまったけど、もう十分でした。脚を引きずるようにして、でも確かに前へと動かし始めました。痛くて辛くて仕方なかったけど、応援してくれる人がいる、元気をくれる人がいる、力をくれる人がいる、それだけでも俺が前へと進むには十分すぎるほどの理由でした。計算したら8:00/kmを切り続けたら釜江・てけし・ほんぜう・まっつんの隠岐の島のタイムは切れるってなって、何回も何回も何回も限界超えてる脚をひたすらに動かしてただただ8:00/kmを切ろうと全力で力の入らない脚に力を入れて前へ前へ。今まで85kmも走ってきたんだから、残りの15kmなんて余裕で行けるにきまってるって、そんな考えしか頭にはありませんでした。そして86.9kmの第六関門で若菜さんとようやく会えました。何回も挫折して心を折られてちょっぴり復活してまた心が折られて、でもそこから完全に復活した俺は若菜さんに会えたことでもう今までの疲れや痛み、しんどさは吹っ飛びました。そうして前を走ってるがっちゃんを追いかけながら先へ進みます。そしてこの時、とんでもなくクレイジーなことを思いつきました。「ずっと6:00/kmちょっとで行ったらサブせいな狙えるやん」と。後で気づいたんですけど、このとき自分はサブせいなのタイムを12:02:00くらいやと勘違いしてました。けど、これが結果的にはいいほうへ転びました。90kmを突破した段階で経過時間を時計を確認。今でも覚えてます。そこに表示されたのは11:00:06。つまり6:00/kmをたった一時間切り続ければサブせいな、それどころか12時間切りを達成できる。「中高陸上してこなくて遅刻しないように坂道駆け上ってただけのやつが初ウルトラで12時間切るなんてすんげえおもしろくないか」前しか向いてない、マイナス面なんて一切考えない頭がそう考えた途端、今まで90kmも走ってきたとは思えない速度で脚は動いていました。いつのまにか疲れや痛みやしんどさは何一つ感じなくなって、抜く人抜く人が二度見してきたのを覚えています。そうして1kmを走る。ガーミンを確認する。5:35/km。もういける気しかいませんでした。そこからも5:30を切るペースで走ります。91kmくらいでイスに座っているがっちゃんを発見。何か言おうとしたがっちゃんを遮って言う。「サブせいな狙ってくるわ!!!!!」そうしてほぼノンストップでがっちゃんの前を通り過ぎます。あの時のがっちゃんの顔と「ええええええええええええええええええええ」って声は一生忘れないでしょう。これまでも、そしてこれからも彼はあれほど驚かないだろうと思えるような声をしてました。ごめんねがっちゃん、あんときはアドレナリンがどばどば出ててタイム狙うことした考えてなかったら許して笑。そうして一番速い時で5:13/kmとかの速度で爆走しつつ、割と冷静な頭でタイムの計算と自分の体力を考えて、2kmくらいは7:00/kmで走っても間に合うと判断して、97~98.5kmくらいまでは少し抑えて6:50/kmくらいで走り、そこからはもうほぼ全力です。早く1km経ってくれって思いながらエネルギー不足を訴え始めたお腹とも戦いながらひたすら進みます。最後の3~400mくらいある登坂も歯を食いしばって走って登り、あと700mという横断幕をみて下り坂を全力疾走。もうひたすら走って、でも周りを見て、なんかいい感じに1人でゴールテープを切れるくらいに若干調整して、長い長い道のりを終えました。






ゴールした後は椅子に倒れるように座り込んで、たーきさんに持ってきてもらったクリームパンを貪りました。その後は最後アドレナリン全開で走った反動で足にとんでもない痛みと張りが来て一人で歩けなくなってしまったので、中家さんに救護室まで運んでもらいました。着替えて温泉や民泊へ向かう時も歩けなかったのですが、60km走ったたーきさんとめりきむさんにお姫様抱っこしてもらいました。絶対しんどかったのに、でも運んでくれて本当に感謝してもしきれません。ありがとうございました。
自分視点での四万十ウルトラはこのような感じの道のりでした。公式タイムの方は12時間切れませんでしたが、ネットタイムの方はなんとか12時間を切ることができました。けどこれは当日の身体の調子がよかっただけやと思います。それに、何回も何回も何回も何回も何回も絶望して、心が折られて、ヘルパーさんたちに会いたい会いたいって思って、ヘルパーさんだけじゃなくて電話で話してくれた人たち・38の方々・自分のだいすきなLiSA・ヘルパーさんが書いてくれたメッセージカードから勇気と元気をもらって復活したかわかりません。正直今までのウルトラの日記に書かれてた「ヘルパーの人に会いたい」って、気持ちは走る前は全く分かりませんでした。でも実際走ってると、30kmでもすごくすごく会いたくなりました。上でもちょっと書きましたが、これは多分、想像はできても、走らないと理解できない気持ちなんだろうなと思います。この気持ちを理解できたこと、色んな人が応援してくれる・励ましてくれる・元気をくれるってことを身をもって実感できたこと、そして100kmも走りきれたんだって自信をもてたこと。今回のウルトラを走って、得られたものはこんな感じです。これはこれから生きていくうえでずっと自分の宝物になるでしょう。


道中しんどいとかいうレベルじゃないくらいしんどくて、苦しくて辛くて痛くて仕方なくて、100km走ってることを死ぬほど後悔しましたが、最後は参加してよかったなって心から思います。また出るかってのはまあ別の話です。



最後に、四万十までの往復を運転してくれたり、朝早くから会場へ運んでくれたり、本番でも色んなサポートをして最大限に応援してくれたり、それ以外でも手助けしてくれたヘルパーの方々や、前日や当日にLINEで励ましてくれた方々(返事はできませんでしたが全部目は通してました。そしてそのたびに力をもらいました。)、同じランナーとして前を向かせてくれたり助けてくれたこのお祭りに参加した方々、OB組として参加していた38の方々、それ以外にも力をくれたり助けてくれた方々全員に心から感謝しかしていません。べたな言葉ですが、本当にあの人たちがいなかったら絶対完走できていません。文章ではなかなか伝わりにくいですけど、心の底からそう思っています。ありがとうございました。参加できて、完走できて本当によかったです。今までウルトラ完走してきた人たちのすごさを痛いほど理解できました。あと、なんかそっちのほうが語呂よかったんでせいなさんを軽く呼び捨てにしてしまうというギルティーなことしてるのはゆるしてくださいぃぃぃぃ。


それにしてもネットタイムは12時間切れたけど、公式タイムも12時間切りたかったなあ…。










え、3月に茨城でウルトラマラソンがあるんですか?