ベルガマ遺跡「アクロポリス」 | 馬の会長日記

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メルハバ~♪(こんにちは)

先日の3/19(月)~24(土)に4泊6日という長期出張で「トルコ」に行ってきました。

「トルコ」と言えば魅惑の街、大都会の「イスタンブール」が有名ですが、
ボクが今回業務で行ったのはそこから数100㎞離れた「ベルガマ」という田舎町です。

「ベルガマ」は今では田舎町ですが、紀元前300年ごろから約500年の間、
ヘレニズム時代を代表する「ペルガモン王国」として繁栄した大都市だったんですよ。

なので、その時の風格のある遺跡がいくつか観光地として残っています。

今回は仕事で来たのでそんなに観光は出来なかったのですが、
業務の合間にほんの少しだけ遺跡観光に行ってきましたのでそれをご紹介いたしますね。

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前回ご紹介いたしましたホテルの近くにある遺跡、総合医療センター「アスクレピオン」から東北方向に約2km先。

ベルガマの街全体を見渡せる335mの山の上にベルガマ遺跡の「アクロポリス」はあります。

この街に到着してからずっと気になっていたのですが、見学に行ったのは帰る前の日。

2010年に街の麓から山頂までのロープウェイが出来たそうなのですが、
ボクらは山を一周する狭い山道をミニバスで登りました。

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このロープウェイは個人観光に対しては便利になったらしいのですが、
団体ツアーの場合いっぺんに観光客がロープウェイに乗れないため、
何往復もすると時間を費やしてしまう事が考えられ、
このベルガマ遺跡を観光ルートからハズしてしまう旅行会社も増えてきたんだそうですよ。

そう思うとこの観光も貴重かもしれません。

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この日もとってもいいお天気で、農業用用水を確保するために温泉までも湖底に沈めた人造湖や、
ベルガマのオレンジ色した屋根瓦の街なみなど、美しい風景が眼下に広がっていますが、
さすがベルガマは「風のやむことのない街」と呼ばれるだけあって、山の上は強風です。

滞在中ずっとお世話になっていたミニバスの助手席のドアが開けた瞬間強風にあおられ、
壊れてしまったことに、現地のドライバーのオジさんはここからずっとブルーになっていました・・・

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「アクロポリス」の入り口にはお土産売りのテントがたくさん。

でも、やっと異国情緒に浸れると思ったのに、お店の人に
『ジャスコより安いよ』って声をかけられてしまいましたよ・・・

まあ、これが異国の観光地なのかもしれませんけどね。

遠くには「アスクレピオン」の「聖なる道」も見えました。

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ボクは世界史とか勉強してこなかったので詳しくは解説できませんが、
この「アクロポリス」はベルガモン王国が下市、中市、上市と
3つの地域に分かれていた内の上市の部分で主に兵士が暮らしたり、政治の中心地だったそうです。

そして、この山からは周辺20~30㎞ぐらいは見渡せるので、
敵が攻めてこようとしてもしっかりと準備が出来たそうですよ。

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ここには「トラヤヌス神殿」「アテナ神殿」「野外劇場」「図書館」「ゼウス大祭壇」などの跡があるのですが、
そのほとんどが土台が残るだけで、彫刻や古美術品など目ぼしい出土品は
19世紀にドイツの発掘調査隊がドイツに持ち去られてしまったんだそうですよ。

ヘレニズム芸術の最高傑作と言われる「ゼウス大祭壇」の「神と巨人たちの戦い」や、
「アテナ神殿」の「瀕死のガリア人」の彫刻など、
その姿は今はベルリンの「ペルガモン博物館」で見られるんだそうです。

こんな重い大理石をよくもまあドイツまで運んだものだ、と関心もしてしまいますが、
トルコの貴重な遺産を持ち帰ってしまうなんてヒドいですよねぇ。

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これをガイドさんから解説受けた時に、そんな時に言う日本語っていうのをガイドさんに教えてあげました!

『貴重な遺産を持ち去ったのは、どこのドイツだ!』と・・・

でも、ガイドさんには意味がわからなかった様です。



この美しいアーチ通路脇には各部屋があり、武器庫や食料庫などだったと言われています。

これが2000年以上も前の建築物とは思えないほど高い技術ですよねぇ。

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ボクにはどれがどれだかはわからなかったのですが、ここには世界的に有名な「図書館」というのもあります。

それは当時、世界最多の蔵書数を誇るエジプトの「アレキサンドリア図書館」に対抗して建てられたのだそうで、
世界第2位の20万冊が納めてあったらしいのです。

そしてこの図書館に脅威を覚えたエジプトがパピルス紙の輸出を禁止したために、
その打開策として羊皮紙を開発し、そこからドイツ語で羊皮紙は「ペルガモント」と
呼ばれる様になったということは前回もご紹介しましたね。

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また最もここで象徴的な「トラヤヌス神殿」。

アカシアのレリーフが美しいコリント式の白い柱で囲まれた神殿はこの青空にとっても映えますね。

ちなみに後ろの列柱はイオニア式で、建てられた時代が違うそうなのですが、
そんな単語、学生時代に習ったような? 習わないような?

そんな難しいことはわからないボク。

この脇にあるトラヤヌス皇帝と思われる胸像には頭が無く、
多くの観光客はその後ろから頭を出して記念撮影を行なうっていうのでボクもやってみました。

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さらに1万人を収容したという「野外劇場」と、その下にある「ディオニソス神殿」も見所です。

「ディオニソス」とは「バッカス」の事で、前回も書きましたが酒と演劇の神「バッカス」と
「野外劇場」はセットなんですよねぇ。

この神殿の柱や舞台は木造だったそうで、紀元前2世紀に建てられたのですが一度火災にあい、
皇帝カラカラが再建したそうです。

この「野外劇場」の途中まで下りていきましたが、劇場自体の高さは38m、
そして山の急斜面に築かれているので、かなり恐怖感がありましたよ。

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アレクサンダー大王の死後、フィレタイロスが築いた「ペルガモン王国」。

紀元前2世紀~紀元前133年まで王国は存続し、その後、領土をローマに遺贈したが、
街はさらなる繁栄して最盛期は15万人もの人たちが住んでいたそうです。

ちなみに現在のベルガマの人口は5万人ちょっと。

2000年以上前の街並みは想像することしか出来ませんが、
きっとこの真っ白な野菊は当時と同じような風景を築いているかもしれません。

美しい神殿や迫力ある劇場、そして青い空の下に広がる広大な気色。

仕事の合間に20TLの入場料を払ってきたかいがありました♪

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ちなみに「アスクレピオン」や「アクロポリス」で、ドイツに持ちだされていない貴重な遺産は、
麓の街にある「ベルガマ博物館」(入場料5TL)でも見る事ができます。

墓石や彫刻、民族衣装の展示などがありますが、規模はかなり小さく何だか物悲しいですね。

いつか持ち去られた貴重な遺産を、ドイツからここに返還されることを祈ります。

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そしてアクロポリスの麓、ベルガマの街の中にもう一つ遺跡があります。

これは古代ローマ帝国のハドリアヌス皇帝が納める紀元2世紀ごろに、
古代エジプトのセラピス神を祀る神殿として建てられた「クズル・アウル」。

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「クズル・アウル」は「赤い館」という意味だそうですが、そのまんまですね。

とにかく大きくて迫力があり、壁と塔の一部だけが残った姿はロールプレインゲームの
ラスボスでもいそうな趣です。

後に東ローマ帝国時代にキリスト教の聖堂に改修され、現在はイスラム寺院として利用されているそうですよ。

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これがボクが約3日間仕事で過ごした街「ベルガマ」での観光です。

今回は観光が目的ではなかったので、まったく調べもせずに来てしまったのですが、
多くの文化、人種、宗教などが交錯していたトルコ、そして紀元前に栄えていた
この「ベルガマ」を予習して訪れた方がもっと楽しめたかもしれません。

でも、ずっと麓の街から見えていた「アクロポリス」へ、仕事の合間に行けて良かったかな。

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トルコの出張記、遺跡観光ばっかりでも退屈だと思いますので、
次回はボクの食べた「トルコ調理」を中心にご紹介したいと思いま~す。


「ギュレギュレ」(バイバイ)・・・つづく。