世界遺産を一気に3つ | 馬の会長日記

馬の会長日記

「馬の会」の会長“のみ”の気まぐれ日記。
競馬はもちろん、前に住んでいた新潟のこと、
今住んでいる埼玉のこと、趣味の旅行に、
アルビレックス新潟、グルメなどなど
その時思ったことを気ままに更新してま~す。

ニイハオ~♪

思い出を振り返り、再びあの時の感動に出会える記憶の旅「過去旅ログ」。

今回は「死ぬ前に1度、万里の長城が見てみたぁ~い!」という思いで
2005年4月29日(金)~5月3日(火)の4泊5日で行ってきた、
中国旅行「こだわりの万里の長城と北京5つの世界遺産」の旅となります。

旅は3日目の朝を迎えました・・・



・・・って、前回の更新から4ヶ月近くほったらかしで、
いつになったらあと4ヶ所の「世界遺産」に連れて行ってくれるんだぁ?って感じですよねぇ。

スミマセ~ン!

一緒に旅をしている気分になっていて、覚えていてくれた方、
こんな広い大陸に置いてきぼりにしてしまいましたね。

どうしても、リアルタイムで起こっている書きたい事がたくさんあって手つかずになってましたぁ・・・。


まあ、広い中国大陸ですし、まずはホテルの朝食バイキング食べてのんびり行きましょ~う♪

ホテルの朝食バイキングって、どこの国に行っても同じような感じですね・・・

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ボクらは1日目に念願の世界遺産、「万里の長城」の一番のメジャースポット「八達嶺」ライトアップを堪能し、

2日目には「居庸関」と「金山嶺」の2つの「万里の長城」に心を奪われました。

そしてその後、ラッキーなホテルの手違いで、スイートルームで過ごすことになって迎えた3日目は、
「5つの世界遺産」の残り4つの世界遺産を制覇していきますよぉ。

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これはホテルの窓から見える北京の様子ですが、当時の中国はバルブの直前。

3年後に控えた「北京オリンピック」に向けて大規模な都市改造が行われていて
昔からある集落と、工事中の高層ビルとが混在する不思議な風景が広がります。

これからどんどんと都市化していくのですが、まずはそんな街の中心にある「世界遺産」に向かいました。

そこは、中国の映像としてよく日本でも見られる「天安門」です。

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これで世界遺産2つ目クリア!

1949年10月1日にこの「天安門」壇上に立ち、中華人民共和国の建国を宣言した「毛沢東」の
高さ6mもある巨大な肖像画が掲げられてます。

この「天安門」は南北880m×東西500mに渡る世界最大の広場であり、
多くの死者を伴った数々の歴史の変化が起きた「天安門広場」の前にありますが、

当時の中国もこの時季はゴールデンウィークなので、そこを埋め尽くすほどのスゴい人ですよぉ。

さすが世界一の14億人近くの人口を誇る中国の中心地だけあって、
おのぼりさんの数も半端じゃないですねぇ。



もともと「天安門」は明の永楽帝時代の1417年に建設された「紫禁城」の南門で、
当時は「承天門」と呼ばれていましたが、
清の順治帝時代の1651年に再建されたときに現在の「天安門」という名に改名されました。


そして、その明清朝の旧王宮である歴史的建造物「紫禁城」も現在は名前を変え
「故宮」と呼ばれて世界遺産の1つとされているんです。

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現在は「故宮博物院」として一般開放されているので、
もちろんボクらもその3つ目の世界遺産「故宮」に入りましたよ。

この写真は「故宮」中心になる最も重要な建造物、皇帝による公式行事が催行された「太和殿」。

ここが映画「ラストエンペラー」で何度も登場する舞台ですよねぇ。
やっぱりなんとなく強いオーラが感じます。
坂本龍一の曲が聞こえてきそうですよ。

現存する中国最大の木造建築の「太和殿」は、3層の大きな壇上の上に建っていて、
そこに上る大理石に竜や雲などが彫刻されている皇帝専用の階段はとても美しく必見です。

ただ、ここも「北京オリンピック」向けてか、ところどころ工事していたのは残念。

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最上壇の「丹陛」には鶴亀の銅像や、石造の日時計、度量衡が置かれていました。

軒には魔よけの意味で動物と仙人の形をした様々な瓦が配されて、
中国建築では割と当たり前のことなのですが、これまで種類があるのはここだけだそうですよ。


さらに「太和殿」の北に進むとちょっと小ぶりの「中和殿」、
その奥には「太和殿」と同じぐらいの「保和殿」と主に公の行事を行う重要な建物が3つあって、
「外朝三殿」と呼ばれる「紫禁城」の中心的建造物が並びます。

これはなんだろう? 「保和殿」だろうか?

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そのどれもが同じような形をしているからわからないんですよねぇ・・・

って、周囲を高さ10mほどの壁と、幅52mの堀囲まれる南北960m×東西735mの敷地内には
建造物は700ほど、部屋数9万9000、所蔵品の数も100万点もの膨大で重要な歴史的資料が
あるので、ボクの頭で全部覚えられる訳がありませんよ。

入口の「午門」から北の「神武門」まで、通り貫けるだけでも1時間、
丁寧に見て回るにはまる一日かかると言われていますが、
この人混みの中、ボクらは2時間程度で通り抜けましたもん。

当時、歴史的重要エリアであるここに「スターバックス 故宮店」があったので、
話のネタに入っておきたかったのですが、そんなゆっくりしている時間もありませんでした。

まあ、ツアーなんでしょうが無いです。


↓これは皇帝が座る「保和殿」の玉座かなぁ?

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しかも、特別にこの日はスゴい人らしく、人の波に流されるがまま迷子にならないように見学し、
ツアーならではのガイドもしっかりと説明も出来ない状態だったんですよ。

写真によく写っている赤い帽子をかぶった人たちは中国の観光ツアーでやってきた方々です。



それにボクも中国の歴史を勉強してきた訳ではないし、建物や装飾など似たような感じにしか見えなくて、
今写真を見てもそれが何だったのかまったく説明できませんよ。

なので、雰囲気だけでもお楽しみください・・・スミマセン。


ちなみに、「中和殿」は皇帝が「太和殿」に出御する前の休憩所、
そして「保和殿」は皇帝が着替えするための建物だったそうですよ。

さすが、大国の皇帝。
そのスケールは測り知れないですねぇ。

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さて、これまで皇帝が国政をする場所、
そして大臣達が皇帝に国家の事情を報告などする「外朝」を見学してきましたが、
さらに北に進むと皇帝や皇后や、妃子達の住む「内庭」というところに行きます。

こちらは「外朝」と違い重々しい雰囲気もなく、生活するための物や娯楽施設があります。

写真の「堆秀山」は太湖周辺の丘陵から切り出される穴の多い複雑な形の奇石「太湖石」を積み重ねて造り、
旧暦9/9の「重陽の節句」には菊を観賞したり、菊の花を浮かべた酒を飲んだりして
不老長寿を願ったそうです。

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「神武門」を抜けて外に出ると、ツアーならではのお土産屋さんに行く事になり、
書の実演販売がありましたが、もともと書を観賞する趣味なんてボクにはないのでスルーです。

しかし、帰国してみて調べてみるとここには「清韻堂」という骨董品のコピー商品を売る店があって、
『購入のさいには故宮博物院の証明書が付く』と言っているそうなのですが、
正確には『故宮「清韻堂」の証明書』で、価値を証明するものではないと言うので、
「故宮」の名が付いても信用はできないので気を付けましょう。




さて、「天安門」→「故宮」と2つの世界遺産を見ましたが、一気に4つ目に行っちゃいましょう!

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お昼ごはんを食べて午後から訪れたのは、「故宮」の真南の丘の上にある「天壇」です。

この上から青、黄色、緑と3層の壁に瑠璃瓦が美しい「祈年殿」は、3段の大理石の壇上の上に建っていて
釘や梁を使わずに建てられた世界最大の祭祀建造物だそうです。

創建は1420年で、ここでは明清朝の皇帝自らが五穀豊穣を祈って祭祀を行った場所で、
人前では決してひざまづかない皇帝も、天に向かって祈ったんですね。

ちなみに「天壇公園」は故宮のそれの4倍を超える広さがあって、
「故宮」を中心とした、南の「天壇公園」、北の「地壇公園」、東の「日壇公園」、西の「月壇公園」は
市民の憩いの場にもなっていて、よくテレビなどで見る「太極拳」などをしている人も見かけますよ。




そして、この日の最後の観光は世界遺産じゃないけど、昔ながらの商店街が並ぶ「瑠璃廠」に行きました。

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元の時代に皇室用の瑠璃瓦を焼く窯場があった場所ですが、
清の時代からは紙、筆、硯、墨の文房四宝や、「山水画」などの掛け軸、骨董を売るお店が増え、
今でも多くの人が買い物にやってくるそうです。

ん~ここでも、書に興味がないボクは買いたいと思うものに出会えませんでしたが・・・

やっぱり、国内旅行でもそうですがその場所を巡るには、
その歴史や文化、政治、芸術、宗教などを知っておいた方が何十倍も楽しめますね。

特に今回の「天安門広場」「天安門」「故宮」「天壇」「書」「山水画」などはそれを痛感しました。

できれば、今回ボクがご紹介した場所に行かれる事があったら、
ちょっと勉強してから行くのがオススメです。

まあ、ボクはその背景を知らなくても、見たこと無い景色と、美味しいもんがあれば満足しちゃうんですけどね。



さて、つづきはいつになるかわかりませんが、また気が向いたら更新しますね。


それでは、再見(サイチェン)♪