昨日久しぶりにしっかりと雨が降ったおかげで、

空気の漂っていたものが一掃されたように感じます。

建物や道路、木々についているものや大気中にあるものも、

昨日の強い雨で洗われて流れていったかも知れません。

幾分か今朝の空はいつもよりきれい清々しさがあるようです。

 

 

自分の身の回りにあるものや手元にあったものが、

自分のところから消えていってしまうときがあります。

持ち物などの目に見える物理的なものはもちろん、

一生懸命時間を費やした関係やつながりもなくなってしまうこともあります。

 

 

人が生きている限り、ずっと同じ場所にとどまることは難しいでしょう。

自分自身か、世の中や周りの環境か、その両方かは常に動いて、

気づかない速さかも知れませんが変化していきます。

 

 

現在ある人とのつながりによって、

誰しもその関係性からポジティブなものも、

時には一見ネガティブなものも影響を受けているでしょう。

 

 

それでも、そこには一定の人とのつながりがあります。

家族、友人、共に働く人がいてくれることで、

その関わり合いの中か喜怒哀楽の感情が生まれ、

自分のことや人のことをも考えて、実際に行動したります。

それらすべての経験を生み出しているのは。

そのつながりだったりします。

 

 

もしそれらのつながりが消えてしまったとしたらどうなるか。

または、今そうしたつながりがなかったとしたら。

それでも、自分という存在は残っています。

これまで確かに長い時間を、その時その時を一生懸命生きてきて、

なんとか苦しい時をも通り過ぎて、良いこともあれば

そうでないことも経験して、今確かにこの瞬間に存在している自分がいます。

 

 

自分一人の人生という一点だけでも、

一人ひとりにはそれぞれの物語があるでしょう。

そして、一人の人間が今生きているということは、

これまでにどれだけその命をつなぐために多くの人が、関わっていたでしょうか。

 

 

自分がいるということは、自分の両親が必ずいて、その両親にも両親はいます。

その命のつながりに想いを馳せて、過去に思いを巡らすと、

自分が今生きているという事実が、命の流れが

自分にまで流れてきている体幹を持ってわかるかも知れません。

 

 

両親はどこで生まれて、どこで育ったのでしょうか。

子どもができるまで何をし、どこで出会ったのでしょうか。

 

祖父母はどこで生まれ、どのような人生を送ったのでしょうか。

その時はどのような時代だったのでしょうか。

 

曽祖父母はどこでいまれて、どのように人生を生きたのでしょうか。

彼らの若かりし頃、青春の時代はどのようなことを感じ考えていたのでしょうか。

 

 

それぞれの家系には独特のルールや雰囲気があったりします。

人が同じでないように家庭にもそれぞれ違ったものがあります。

自分のルーツを辿っていき、過去に家族がどう生きたのか知ることで、

今の自分を知るきっかけが思っても見なかったところに見つかるかも知れません。

それは時には悲しいこともあるかも知れませんが、おもしろい経験となる可能性もあります。