第5章・道悪編
第1位
史上最悪馬場に躍動した馬たち
1973年函館競馬のレース
この項では、1つのレースだけでなく、いくつかのレースをまとめて紹介したい。別編でもちょっと触れたことがあると思うが、歴史上最悪の馬場状態になった1973年の函館競馬がテーマである。まず若いファンの方々のために断っておくが、当時函館には芝コースしかなく、ダートが併設されるのはずっと後年である。このため、どのように劣悪な環境になろうとも、ダートに逃げることができなかった。1973年、この年は昭和でいうなら48年で、ちょうどハイセイコーが中央入りして競馬が大ブームの兆候を見せ始めた時だった。
この年の函館は雨が多かった。1週目こそ晴または曇りの良馬場で行われており問題なかったが、問題は2週目からである。3日目の9月1日、朝から雨の中で行われ、スタートの稍重から重、不良と悪化した。翌日の日曜は雨こそ止んだものの夜通し降っていた雨の影響で終日不良。翌週3週目も金曜から雨が続いており、土曜日も降ったり止んだりの繰り返しで終日不良。メインのSTV杯4歳500万級でアイレバースが勝ったのだが、時計は1200で1.18.6。この日から各馬の差が大きくなり、バラバラでゴールするのが目立つようになってきた。とにかく芝しか使わないので走るたびに馬場はこねくり回される。馬場の保守技術や芝の育成技術も今とは違う。もちろんこの時代に洋芝とかオーバーシードなどある訳もない。翌日の6日目も雨は降っていなかったが、3日に渡ってこねくり回された馬場はこの時点でもう最悪。そしてこの日のメイン、函館記念を迎える。レースは先行したエリモカップがハクホオショウの追撃を振り切って勝つのだが、時計は何と2.16.4である。断っておくがこれは2000mの時計である。2200ではない。3歳クラシックの頃は未完成だったハクホオショウはこの頃充実期にあり、61Kを背負いながらよく迫ったのだが、もともと道悪が得意でハンデ55Kと6K差あるエリモカップを捕まえ切れなかった。ハクホオショウの後ろは8馬身開いており、オープン大将のコーヨーが③着だった。この2.16.4という走破時計は函館記念の歴史の中にあっても飛び抜けて遅く、この年だけ2200で行われたのではないかと疑いたくなるようなタイムだ。ちなみに、この前年が2分3秒台で、翌年ツキサムホマレは2.01.7で走っている。
翌週になるとまた天候が悪く、土曜日まで雨が残っていた。最終日は晴れたものの、この日のメイン函館3歳Sの頃になると馬場はもうどうにもならないような状態になり、スプリンターとして後に名を売るサクライワイが1.21.7という1400のようなタイムで逃げ切った。1200で1.21.7というのはほとんど考えられないような時計であるが、間違いではない。着差にも注目いただきたい。1200のレースとは思えないほど、まさにバラバラで、このレースの一つ前の8R「みなみ北海道S」では、これも当時有名な道悪の鬼ヒシダイセンが、②着のヒデツカサに何と3秒4、およそ20馬身差をつける恐ろしい大差勝ちを演じている。マスコミもこの状態に、「史上最悪馬場」の称号をつけて表現した。この頃は札幌が先で函館が後の開催であり、札幌2開催のあと函館は1開催のみの予定だったのでまだよかったが、もう1開催あったらさらにひどいことになっていただろう。
(下記2Rの着差に注目!ハナ・アタマ・クビという言葉は出てこない)
1973.9.9 1回函館6日目 9R (曇・不良)
第9回函館記念 4上 ハンデ 2000 9頭
1 ⑥6 エリモカップ 牡6 55 松田 幸春 ④人気 2.16.4
2 ③3 ハクホオショウ 牡5 61 池上 昌弘 ① 1 1/4
3 ⑧9 コーヨー 牡6 58 郷原 洋行 ③ 8
4 ⑧8 ブルスイショー 牡4 50 横山 富雄 ⑧ 3 1/2
5 ①1 ソロナオール 牡5 55 加賀 武見 ② 3/4
6 ②2 タイラップ 牝5 51 南井 克巳 ⑦ 1 1/2
7 ⑦7 キヨノサカエ 牡4 52 福永 洋一 ⑤ 3
8 ⑤5 サクラトラオー 牡5 49 東 信二 ⑨ 1 3/4
9 ④4 スイートバンズ 牝4 49 今岡 正 ⑥ 大差
単680 複170、120、200 連③-⑥990
1973.9.16 1回函館8日目 9R (晴・不良)
第5回函館3歳S 3歳 馬齢 1200 13頭
1 ⑥9 サクライワイ 牝3 52 小島 太 ②人気 1.21.7
2 ⑧13 シンコウスター 牡3 52 赤羽 英男 ③ 3
3 ⑦10 グッドキャッツアイ 牡3 52 高橋 隆 ⑧ 2 1/2
4 ⑧12 カネアケビ 牝3 52 加賀 武見 ⑩ 1/2
5 ⑤6 イチカツラ 牝3 52 南井 克巳 ⑬ 1 1/2
6 ⑦11 エリモマーチス 牡3 52 松田 幸春 ⑦ 1 3/4
7 ④5 シーフラッグ 牡3 52 戌亥 信昭 ⑫ 1 3/4
8 ④4 ゴショノマサオー 牡3 52 郷原 洋行 ⑤ 1/2
9 ③3 ヒガシエイト 牝3 52 森安 重勝 ① 1
10 ②2 エゾノメイクン 牡3 52 横山 富雄 ⑭ 2 1/2
11 ⑥8 ロングラッキー 牡3 52 梁田 善則 ⑨ 2 1/2
12 ①1 ワイルドマーチス 牡3 52 福永 洋一 ④ 大差
13 ⑤7 ミチハル 牡3 52 武 永祥 ⑪ 2
単510 複270、300、230 連⑥-⑧2090
第2位
雨に祟られたクラシック
1980年皐月賞(ハワイアンイメージ)
この年、昭和でいうなら55年だが、どうした訳か牡馬クラシックのステップレースとなると雨が降った。まず年頭の京成杯が不良でハーバーシャレード→トウショウゴッド。東京4歳Sは良馬場だったが、弥生賞が重馬場でトウショウゴッド。スプリングSが不良馬場でサーペンプリンス→ハワイアンイメージ。そして本番皐月賞もひどい不良馬場となった。この年のクラシックは当初関東勢が圧倒的に強かったが、前年の朝日杯を勝ち、年が明けて東京4歳S(現:共同通信杯)も勝っていたリンドタイヨーが骨折してしまい、その代理争いを各馬が繰り広げていた。素質や馬体から将来を嘱望されている馬の中にはモンテプリンスがいたが、弥生賞・スプリングSと不得手の道悪に泣かされており、たまたま良馬場だった東京4歳Sでは調子が今一つでリンドタイヨーに完敗するなど、リズムが非常に悪かった。この年、何度もひどい馬場で行われた中山の馬場はかなり傷みが激しく、おまけにとうとう本番皐月賞も大雨となった。クラシックとは言いながら、まるで「道悪王座決定戦である。①人気は重馬場の弥生賞を快勝し、京成杯でもひどい道悪で②着していたトウショウゴッドになった。しかし、何とも間が悪いことにトウショウゴッドは向こう正面で故障してしまい、そのまま再起不能となった。4角を回って直線に入ると、馬群はみな馬場の中央から外にコースを取る。しかし、人気薄のハワイアンジュエル一頭だけは思い切って内に入った。直線中ほどからは内ハワイアンイメージ、外オペックホースの2頭の叩き合いになり、ハワイアンイメージが首を一杯に伸ばして勝った。オペックホースが②着し、内に入るバクチが当たったハワイアンジュエルが③着に入り複勝の穴になった。
ハワイアンイメージは不良のスプリングSでサーペンプリンスと叩き合って②着しているようにこうした馬場がうまく、また560K台と非常に大きい馬で瞬発力勝負には弱点があったので、こうした馬場に救われたのは事実であろう。増沢の乗る大型馬で道悪の皐月賞。7年前のハイセイコーの再現であった。馬主の「大関」の社長は馬クラブにも来ていたようで、横倉氏や福沢氏は一緒に飲んだことがあると聞いているが、私は当時牧場にいたために面識がない。②着のオペックホースは晴雨兼用型で、東上初戦で不良馬場の菜の花賞を10馬身差で勝っており、このあと良馬場のダービーで抜け出した①人気モンテプリンスを徹底マークして測ったように差し切り、ダービージョッキーの称号を初めて名手郷原に与えるのだが、春のクラシックで完全燃焼してしまったのか、ダービー後は1勝もできずに、ダービー馬としての連敗記録を引退まで続けて32連敗することになる。②着は2回あったのだが。最後には障害転向の話まで出て、結局ダービー馬を障害で走らせるのかという批判が大きく馬主側が断念して実現しなかったが、関係者によると飛越にはかなり天才的なものがあったということである。もっとも、こんな話は死んだ子の年を数えるが如きもので、どこまで信用すべきかわからないが、あそこまで負けたのなら障害を飛ばせるのも私は悪いとは思わない。やめるならもっと早くやめればいいだろうに。現代でも史上最弱のダービー馬という表現をされた記事を時折見かけるが、これには私は異論がある。3歳春のオペックは決して弱くなかった。仮に、ダービー直後に骨折でもして引退していたら、この馬の評価は全く違ったものになっていただろう。要するにリマンドの仔にはこうしたタイプも何頭か出ているが、3歳春完成型だったのである。このような馬はダービー馬の中にも何頭もいるのだが、秋以降に成長できず、あまりに数多く負けすぎたのが悲劇を生んだ。
オペックホースはホース産業の持ち馬で、早い話が競馬専門紙および週刊「馬」の社長の持ち馬である。ところが、ホースニュース社の角田二郎社長はこの直前に亡くなっていて、ダービーは弔い合戦だったことも当時話題になった。馬クラブとも少なからず因縁があった訳だ。種牡馬試験を不合格になって色々あった揚句、何とか形だけの種牡馬になり、たった1頭の初年度産駒のベストンダンディが道営競馬で重賞を立て続けに勝ち、一時注目されて種付け頭数も増加したものの、長くは続かなかった。しかし28歳まで長生きしており、幸せな馬だったとは言えるだろう。専門紙「馬」も今はない。
③着のハワイアンジュエルはこの時の好走が道悪によるフロックだったのは明らかで、その後さっぱり成績を残せなかった。この年のクラシックはとにかく馬場状態に左右されたクラシックの代表格で、度重なる道悪にモンテプリンスらはひどい目に遭い、道悪に強いハワイアンイメージや、苦にしないオペックホース、サーペンプリンスらは実績を残せた。本来実力一番と評価されていたモンテプリンスはその後休養したりして本格化に手間取ったが、4歳秋くらいから本来の素質が開花して5歳春の天皇賞⇒宝塚路線を席巻。同じころに本格化してきた同期のアンバーシャダイと激闘を繰り広げる。非常にレベルの高い世代であった。
1980.4.13 3回中山8日目 10R (雨・不良)
第40回皐月賞 4歳牡・牝 定 16頭
1 ⑤10 ハワイアンイメージ 牡4 57 増沢 末夫 ④人気 2.10.2
2 ⑥11 オペックホース 牡4 57 郷原 洋行 ③ クビ
3 ③5 ハワイアンジュエル 牡4 57 石神富士雄 ⑬ 1 1/2
4 ①1 モンテプリンス 牡4 57 吉永 正人 ⑤ 3 1/2
5 ①2 サーペンプリンス 牡4 57 谷原 義明 ② ハナ
6 ②4 ハーバーシャレード 牡4 57 嶋田 功 ⑥ 大差
7 ⑧16 インターギャレット 牡4 57 東 信二 ⑮ 1 1/2
8 ②3 ビゼンセイリュウ 牡4 57 蛯沢 誠治 ⑧ 1 1/4
9 ④7 タツミプリンス 牡4 57 清水 英次 ⑩ ハナ
10 ⑧15 サクラシンゲキ 牡4 57 小島 太 ⑪ 3 1/2
11 ⑦14 グンター 牡4 57 河内 洋 ⑦ 4
12 ⑦13 シンボリフレンド 牡4 57 柴田 政人 ⑭ 1 3/4
13 ④8 マツプレス 牡4 57 那須 孝一 ⑫ 3 1/2
14 ⑥12 マルホミンシオ 牡4 57 森安 重勝 ⑯ 1/2
15 ⑤9 カツルーキーオー 牡4 57 的場 均 ⑨ 大差
止 ③6 トウショウゴッド 牡4 57 中島 啓之 ① 向正競走中止
単570 複160、210、960 連⑤-⑥1080
第3・4位
兄弟道悪天皇賞馬
1975年・1979年秋天皇賞(フジノパーシア・スリージャイアンツ)
現代と違い、雨が降ると割合簡単に馬場が悪化してしまう30~40年前のレースでは、「道悪の鬼」というフレーズは何頭もの馬に使われていたし、もうちょっと道悪巧者ぶりが上がると、ラファールのように「雨に咲く花」などと美しい表現を使われたりする。これは馬自体の持っている運にもよるものと思うが、ラファールなどはちょうど調子が上がって来た時に雨が降るのではないかと思わせたくらいに道悪で登場して、そこで実績を重ねることが多かった。私が忘れられない道悪巧者にホッカイダイヤという馬がいる。馬クラブのオールドファンなら、「あ~ホッカイダイヤ~懐かしいね~」ということになるだろう。
この馬、当時としては非常に珍しい血統で、ドイツダービー馬ヴァイトヴェルクの持ち込みであり、実力的には準オープンとオープンの間を行ったり来たりという程度で、重賞には手が届かなかったのだが、希代の道悪巧者であり、古馬になってからはこの馬の道悪巧者振りを知らないファンはいないと言っていいほどだった。ある日、確か中山の土曜日のメインレースだったと思うのだが、そこに出てきて人気がまるでない。それもそのはず、近走では着にも来ていない。ところが、昼ころから雨が降ってきて、やがて本降りになってきた。当時はオッズなど前のレースが終わらないとわからない。パドックに出てきた時には何と①人気である。レースも大外から堂々と抜け出してきた。こうした馬は昔たくさんいたのである。あまり道悪になどなってほしくはないが、こうした個性ある馬がいる競馬は今思うと本当に楽しかった。
ここで話をするのはフジノパーシアとスリージャイアンツの兄弟だ。この兄弟、父はフジノパーシアがもちろんパーシア、スリージャイアンツの方がセダンで、父親のタイプにはだいぶ違いはあるものの、兄弟揃っての道悪巧者で、ともに道悪での天皇賞を勝っている。どちらも道悪の中でもかなりひどいドタドタ馬場で、人気の馬がもがき苦しむ中をスイスイと泳ぎ回って天皇賞の栄冠を手にした。
兄のフジノパーシアは、馬クラブのオールドファンならみな知っているだろうが、柴田寛厩舎の名物厩務員、石田さんの担当馬であり、石田さんと言えばかつてダイシンボルガードの厩務員時代に、これも道悪のダービーのゴール前、愛馬が先頭に立ったのを見て興奮して、引き手(馬を引く縄のこと)を振り回しながら馬場に飛び出し、一躍名を馳せた熱血厩務員である。フジノパーシアの現役時時代にはすでに馬クラブは立ちあがっており、初期メンバーのうちで後藤氏がフジノパーシアの大ファンだったので、その関係でこの馬の引退式の時には横断幕を出したり、その後厩舎にお邪魔して石田さんと記念撮影をしたりしたものだ。後年、一時期私が美浦にいた時、私のいた伊藤竹厩舎は柴田寛厩舎のとなりだったので、石田さんとはよく挨拶をしたし、石田さんはよく私のところに工具など仕事上の借り物をしに来た。懐かしい思い出である。
フジノパーシアは道悪で天皇賞を勝ったが、道悪が得意なばかりではなく、正味の実力でもこの当時のチャンピオン級である。この馬は3歳時には骨折でクラシックを棒に振ったが、3歳秋ころから本格化してきて、東京新聞杯で初重賞制覇。その後も重賞戦線で実にコンスタントに走り、秋の天皇賞を勝った後も、翌年の宝塚記念制覇の後に当時2000mだった高松宮杯を60Kでヤマブキオー以下に勝つなど、天皇賞馬としての名誉をしっかり守った名馬である。少し後のアンバーシャダイのような堅実なオールラウンドホースだ。種牡馬としては当時のステイヤー型はほとんど全馬が失敗しているようなものなので、結果を期待する方が酷というものだろう。
そして、この時の天皇賞は②③着にも名うての道悪巧者が好走した。②着カーネルシンボリは3歳春、弥生賞までクラシックの本命級だったが骨折し、秋に復帰してから4歳春の目黒記念で、名手野平祐二の引退レースを飾る。この目黒記念も馬クラブでは語り草のレースで、外から来たキクノオーの横山富雄(横山典弘のオヤジさんである)がカーネルを交わさないようにうまく②着した。まともに追っていれば差しただろう。いつも言うが、馬クラブはこんなことで曖昧な表現はしない。完全に野平祐二を勝たせるためのレースであり、第一、当時こんなことで文句を言うファンなどいるものか。よき時代であった。
また③着には前年のオークスとビクトリアC(何度も書いているが、エリ女王杯の前身)の2冠牝馬で、道悪に非常に強いトウコウエルザが入った。この馬もぐちゃぐちゃのビクトリアCで大外を一気に4馬身突き抜ける凄まじい勝ち方をしたことがあり、当時桜花賞馬やオークス馬は古馬になると終ってしまうことが非常に多い中で、牡馬相手によく頑張っていた馬だった。惜しむらくは1年先輩のオークス馬ナスノチグサのように、牡馬相手に重賞を勝つことはできなかったが。ナスノチグサとトウコウエルザはこの少し前、京王杯オータムハンデで快速ミホノフォードのエスコートによりレコードで①②着し、オークス馬同士での万馬券を実現している。
つまりこの天皇賞は道悪の巧拙がはっきりと結果に反映されたレースであって、①人気のキクノオーは、前走目黒記念を59Kで圧勝していて充実最好調時だったが、あまり得意でない道悪に泣かされ、エルザから5馬身も離されていた。
1975.11.23 5回東京8日目 9R (曇・不良)
第72回天皇賞 5歳上牡・牝 定 3200 15頭
1 ④6 フジノパーシア 牡5 58 大崎 昭一 ②人気 3.28.8
2 ⑤8 カーネルシンボリ 牡5 58 柴田 政人 ④ 1 3/4
3 ②2 トウコウエルザ 牝5 56 中野 栄治 ⑥ 2
4 ①1 キクノオー 牡5 58 横山 富雄 ① 5
5 ⑥10 トドロキムサシ 牡5 58 中島 啓之 ③ ハナ
6 ⑤9 ナスノチグサ 牝6 56 嶋田 功 ⑪ 2 1/2
7 ⑦12 ナオキ 牡7 58 佐々木昭次 ⑨ 3/4
8 ④7 トウショウプリンス 牡6 58 菅原 泰夫 ⑩ 1
9 ③5 トウショウロック 牡5 58 加賀 武見 ⑤ クビ
10 ⑧15 イドールターフ 牡6 58 油木 宣夫 ⑭ 2
11 ③4 マルイチダイオー 牡5 58 郷原 洋行 ⑧ 1
12 ⑦13 イナボレス 牡7 58 谷原 義明 ⑫ 1/2
13 ⑧14 ミリオンパラ 牡8 58 戌亥 信昭 ⑮ クビ
14 ②3 ウエスタンリバー 牡6 58 吉永 正人 ⑦ 9
15 ⑥11 ウエスタンダッシュ 牡5 58 森安 重勝 ⑬ 6
単330 複150、260、450 連④-⑤1170
一方弟のスリージャイアンツは、父がセダンに変わったが道悪は兄同様得意であった。しかし、得意だと世間に認識されたのは正味この天皇賞を勝ったからであって、それまでに道悪が特に得意という印象は私にはなかった。それもそのはずで、記録を調査してみるとスリージャイアンツは天皇賞前までに芝の重・不良で4回走っているが、一度も勝ってはいない。データとしては兄が上手かったのを誰もが知っているというだけである。兄に比べて強さをあまり感じない馬で、まだ条件馬の身分で出走したダイヤモンドSを51Kの軽ハンデで勝ってオープン入りした。このレースも兄が勝っているレースなのでダブル兄弟制覇だ。その後は強い相手に対し、勝てないまでも善戦して天皇賞を迎えている。
恐らくは、これは充実期にあったと考えるよりも、この馬の父セダンの特性ではないかと思う。セダン産駒には以前もこの項で記したことがあるが、非常に堅実で相手なりに走り、勝負根性に優れた面がある。その特性が生かされたものだろう。そこで天皇賞だが、この時にはこのころの騎手会長で大ベテランの加賀武見にして「ここまで悪い馬場は初めて」とのコメントを出すくらいひどいものだったようで、さながら道悪王座決定戦とでも言うべきレースとなった。馬場のせいもあってファンの支持も割れた。これまでの実績では前年のダービー馬で3歳クラシックの王道を歩み、古馬となってもAJC杯・宝塚記念に勝ち春の天皇賞でも②着と、ステイヤーではないにせよ距離不安もそう大きくないサクラショウリがトップであった。しかし、ショウリは良馬場で切れ味を生かすタイプであって、道悪は下手ではないにせよ比較上良くはない。そこでわずかにサクラショウリを押えて①人気になったのは逃げ馬メジロイーグル。おそらくこれは道悪巧拙が加味されたものだろう。メジロイーグルはここまで重・不良で3回走っているが、そのうち2回勝っており、その着差は7馬身差と5馬身差。唯一負けているのはNHK杯でインターグシケンから2馬身差の④着という実績だったので、ここから見える額面上は、どう見てもイーグルは道悪得意に見える。これに多くのファンが騙された。というよりも、この時の馬場がファンの予想以上に悪すぎた。つまり、メジロイーグルは確かに道悪がうまい。普通の道悪ならば逃げ脚を生かして軽く逃げ切るくらいの巧者ではあるのだが、この時の馬場の悪さはそのような程度ではなく、早い話がメジロイーグルの「得意な道悪の程度」を遥かに通り過ぎた悪さだったのである。
完全にスタミナを失い直線バッタリと止まったメジロイーグルは、使うレースがなくてローテーションが開きすぎるために、無理に出走してきたこの時代の障害王、バローネターフにも交わされて、前年のダービーをともに争ったバンブトンコートとシンガリ争いをしてしまった。こうした中で直線はスリージャイアンツとメジロファントム2頭が完全に抜け出してマッチレース。差して差し返して、スリージャイアンツはとうとう我慢しきった。そして、この後7馬身離れた③着に来たのが何とアサヒダイオーであった。アサヒダイオーは道悪下手で定評のあるシンザンの仔である。ここに、このレースの特異性がある。アサヒダイオーは、これまで重・不良を何度も経験しているが、もちろん一度も上位になど来ていない。ところが、この馬は530Kを越える巨漢であった。逆に、メジロイーグルはこれまで道悪に実績はあったが体が小さく、400~420Kくらいでレースしていた馬だ。つまり、この日の馬場はあまりに悪すぎたために、道悪のうまい下手の問題ではなく、その日たまたま調子が良く、ある程度馬力のあるタイプが上位に来たのだと考えるのが自然である。ここまで悪くなってしまうと、道悪の得手不得手のデータも参考にならない。そんな歴史的なレースであった。
1979.11.25 5回東京8日目 9R (曇・不良)
第80回天皇賞 5歳上牡・牝 定 3200 13頭
1 ⑥8 スリージャイアンツ 牡5 58 郷原 洋行 ⑤人気 3.33.5
2 ③3 メジロファントム 牡5 58 横山 富雄 ⑧ ハナ
3 ⑦11 アサヒダイオー 牡5 58 安田 富男 ⑪ 7
4 ④4 ブルーマックス 牡5 58 東 信二 ⑥ 1/2
5 ①1 サクラショウリ 牡5 58 小島 太 ② 1
6 ⑤7 ユキフクオー 牡5 58 中島 啓之 ⑩ 1 1/4
7 ④5 クラウンピラード 牡7 58 佐々木昭次 ④ 2 1/2
8 ⑦10 チェリーリュウ 牡5 58 市丸 繁 ⑫ 1/2
9 ⑥9 リュウキコウ 牡6 58 久保 敏文 ⑨ ハナ
10 ②2 カネミノブ 牡6 58 加賀 武見 ③ 2 1/2
11 ⑤6 バローネターフ 牡8 58 根本 康弘 ⑬ 3
12 ⑧13 メジロイーグル 牡5 58 河内 洋 ① 5
13 ⑧12 バンブトンコート 牡5 58 伊藤 清章 ⑦ アタマ
単1030 複370、510、770 連③-⑥5070
第5位
スコールの果てに
2010年日本ダービー(ロジユニヴァース)
かつて、昭和42年のダービーでレース前に雷を伴う集中豪雨があり、雷が鳴ったのでアサデンコウ(電光)が来た!と話題になった。この語り草のレースは、さすがに私はまだ小学生の身分で見ていないのだが、それにも増してものすごいスコールを経験したのがこの年のダービーだった。この日、いつものように馬クラブメンバーで府中のスタンドに陣取り、朝から宴会を繰り広げていたが、午前のレースが終わる頃の話である。
府中のスタンドから右手の1コーナー方向、ちょうど2000mのスタート地点の方に目をやると、晴れた日には富士山が見える。特に2月の冬開催の時には温度が低くて空気が澄んでいることが多いので、雪化粧の富士が美しい。こんなことはみな知っているだろうが、この時、その方角に真っ黒な雲の塊があった。方角はほぼ真西に当たるので、通常天気はそちらの方から変わってくる。前にいた工藤氏らに、「おい~あの真っ黒い雲、こっちに来るんじゃないのかな」と話していたほんの30分ほど後、急にあたりが暗くなり雨が降り始め、それもすぐに本降りとなった。ダービー観戦に沸いていた内馬場やウィナーズサークル前でシートを広げているファンにとってはまさに悪夢である。一斉に避難を始めたが、雨の勢いは急激に激しくなり、まるで南洋のスコールのように降って来た。
私も長い人生、雨の多い日本に住んでいるし台風も当たり前に経験しているが、この時の集中豪雨はあまり記憶にない物凄さで、しかも南洋のスコールなど30分も続かないものだが、この時はそうではない。その状態が1時間以上延々と続いたのだ。馬場は見る見るうちに田んぼを通り越し、プール状態になってしまった。ダービーの前にはどうやら雨は止み、また内馬場にも人が戻って来たが、ダービーデーに開放される障害馬場など、行ってはみなかったが、とてもまともに歩けるような状態ではなかっただろう。この雨はダービーのレースにもとんでもない影響を与えた。前走でNHKマイルに勝っているジョーカプチーノが逃げたが、馬場の悪さに完全にスタミナを失い、大差のシンガリ負け。自身の上がり3F49.0とは本当に歩いていたようだ。レース自体の走破時計2.33.7というのも現代的ではないが、上がり3F39.7というのは現代ではほとんどあり得ない時計である。約40秒だ。出走馬中最速の上がりを記録したのは④着のナカヤマフェスタと⑥着のシェーンヴァルトだが、この2頭とて39.0もかかっている。とても現代ダービーのデータではない。
さらに凄まじかったのは、①人気の皐月賞馬アンライバルドが⑫着、皐月②着のトライアンフマーチが⑭着、皐月③着のセイウンワンダーが⑬着という馬鹿げた着順である。さらにさらに輪をかけて、このダービーで勝ったロジユニヴァースの皐月賞での着順が⑭着、②着リーチザクラウンは皐月で⑬着、③着アントニオバローズが皐月で⑨着だったという事実で、皐月①②③着馬がダービーで⑫⑭⑬着、逆にダービー①②③着馬の皐月での着順が⑭⑬⑨着とは、全く開いた口がふさがらない。おそらく、この先競馬が何年続こうが、このような馬鹿馬鹿しい着順逆転現象は二度と起きないだろうし、二度と起きてはもらいたくない。そして、それから3年を経た現在、この事象はたった一言で説明することができる。「世代レベルが低過ぎて全部の馬が弱かった!」
ロジユニヴァースは現在も現役登録を抹消せず、ダービー後は恥をさらし続けている。先に書いたオペックホースの方が遥かにましである。リーチザクラウンは先ごろようやく引退した。わずかに今年トライアンフマーチが復活して好調であるが、一番よかったのはさっさと引退したアンライバルドだったのかもしれない。馬の引き際は難しい。特にロジユニヴァースのように、2歳から早々と走ってトライアルまでは順調に来たのに、皐月の大敗ですっかりおかしくなり、ダービーで全部残りの能力を売り尽くしてしまった馬は、全く気の毒なものである。
2009.5.31 3回東京4日目 10R (曇・不良)
第76回日本ダービー 3歳牡牝 定 2400 18頭
1 ①1 ロジユニヴァース 牡3 57 横山 典弘 ②人気 2.33.7
2 ⑥12 リーチザクラウン 牡3 57 武 豊 ⑤ 4
3 ⑤10 アントニオバローズ 牡3 57 角田 晃一 ⑧ アタマ
4 ④7 ナカヤマフェスタ 牡3 57 蛯名 正義 ⑨ 1/2
5 ①2 アプレザンウェーブ 牡3 57 内田 博幸 ④ 3/4
6 ⑦13 シェーンヴァルト 牡3 57 北村 友一 ⑬ 1/2
7 ⑦14 ゴールデンチケット 牡3 57 川田 将雅 ⑫ 1 1/2
8 ③5 マッハヴェロシティ 牡3 57 柴田 善臣 ⑯ クビ
9 ②4 トップカミング 牡3 57 幸 英明 ⑰ 1/2
10 ③6 ケイアイライジン 牡3 57 松岡 正海 ⑮ 3
11 ②3 フィフスペトル 牡3 57 安藤 勝己 ⑭ 1 1/2
12 ⑧18 アンライバルド 牡3 57 岩田 康誠 ① 3/4
13 ⑥11 セイウンワンダー 牡3 57 福永 祐一 ③ 1 3/4
14 ⑧16 トライアンフマーチ 牡3 57 武 幸四郎 ⑥ 7
15 ④8 ブレイクランアウト 牡3 57 藤田 伸二 ⑪ 1 3/4
16 ⑦15 アーリーロブスト 牡3 57 三浦 皇成 ⑱ 大差
17 ⑧17 アイアンルック 牡3 57 小牧 太 ⑩ 3/4
18 ⑤9 ジョーカプチーノ 牡3 57 藤岡 康太 ⑦ 大差
単770 複390、430、620 枠連①-⑥1020 馬連①-⑫3760
ワイド①-⑫1650、①-⑩4090、⑩-⑫3350 3連複①-⑩-⑫40320
3連単①-⑫-⑩201960
あとがき
さて、長々と語ってきた本文もようやく終節となった。競馬への想い出は多く、これでもまだまだ語りきれない。ダートでは先に記したように交流レースを入れていないし、ホクトベガすら入っていない。道悪編でもオオクラの目野が「目野コース」と当時呼ばれたコースから直線大外に出してメジロムサシを苦しめた春の天皇賞や、「雨に咲く花」ラファールも書いてみたかった。また違ったかたちで書くこともあるだろう。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
校了 2013.3.2
