※もともとはX(旧Twitter)にて公開していましたが、長文過ぎたのでここに移します。
以下、過去のポスト(ツイート)を書き連ねる。
ある日の試験の集団面接にて中々面白いやり取りがあったので忘れない内に記録に残そうと思う。 この文章は記憶があいまいな部分を脚色して作った部分も多く、実際の出来事とは食い違う部分が多々存在する。 また、読者の方には私は以下の登場人物(主に2名)に何の恨みもないことを知って頂きたい。
理由は単純明白、今回の試験での面接の配点は0に等しいからだ。 別に落とされようとも、今後の私の人生に影響はないのである。そもそも外部が受かっているので、今回の内部受験をするメリットも全くなかったのだが、(詳細は省くが)義理人情と貧乏性でやったのだ。
集団面接は5名(6名だったかも?)の生徒と6名の先生方で行われる。 聞かれたことはごくありぐれたことで、志望動機と現在行っていること、今後の展望を語るだけで一通り終わった。
それらが終わるとメインの面接官の方が他の先生方に「何かほかに聞きたいことはありますか?」と問いかけた。
そして、1人の先生が「4科目の内どれが一番難しかったか?」と受験生らに聞き始めた。「OOで苦戦しました。ぶっちぎりで難しく感じました。」と私は正直に答えた。 それに対し、「基礎の物理からやりなおしたほうがいい。」と先生はおっしゃった。
この返答から、先生がその科目の問題を作ったことは予想できた。 解答の成否が分からないので、「よくわからなかったことは事実ですが、解けなかったわけではありません。自分の解答に確証が持てないだけです。」と、私は軽めに言い訳した。 あの解答が1つでも多く正解していることを祈るばかりだ。
この先生は『啓蒙家』と名付けることにした。もちろん私の心の中だけである。名付けの理由は以後の文を読めば、なんとなく分かる。 ※何度も呼ぶとくどいので、時折「先生」と表記する。以後、『啓蒙家』以外の(面接官の)先生が登場しないからである。つまり、先生は『啓蒙家』だったのだ(?)。
話を戻そう。 「では、隣の君は?どれが難しかった?」と啓蒙家に聞かれた同級生は「満点です。」と”肩を震わせながら”言った。 理由は見当がついた。 そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな。 この生徒を『〇島』と名付けることにする。 ※『〇島』は彼が受験した外部の所在地である。
次に、啓蒙家は「物理学における仕事について簡潔に述べよ」と私に問うてきた。 私は(啓蒙家の反応からして)45/100点くらいの回答を出した。 先生は私の回答を聞きながら、頷いた後に首を傾げると、次の受験者に問いかけた。
次に啓蒙家は〇島に「エンタルピーとエントルピーの違いを答えよ。」と問うてきた。 彼は「分かりません」と答えた。〇島、君は「僕」なのかハリー・ポ〇ターなのか、はっきりさせるべきだ。私はそんなくだらないことを考えた。
まぁ、実は私も答える自信がなかったので、私に『飛び火』しないか肝を冷やしていた。 その後、啓蒙家は私以外の他の受験生にも全く同じ質問をした。
啓蒙家は(質問されなかった私を除いて)誰も回答できないことを確認した後、私を含めた受験生らに、 「君たちはね。式だけ覚えるんじゃなくて、概念を理解してとらえられるようになるべきだよ。」 と、『啓蒙家』らしくおっしゃった。 なるほど、これは正しく「啓蒙」だ。講義でも見た光景である。
私はごもっともと思う反面、試験の面談で説教を始める『啓蒙家』の自由さに非常に感心した。 悪い人でないことは分かっているが、授業ならばともかく面談の場で、他の先生方ができない事を平然とやってのけるとは、この我の強さには憧れざるを得ない。
邪推するならば、『啓蒙家』の当初の目的は、私をやり玉に上げる形で「自分の持論」を言うこと、つまりは「啓蒙」することだったのかもしれない。 (流石にそれだと言いすぎな気がするので、”私を1例にあげる”くらいが妥当な気がするが。)
しかし、私が質問に対し「啓蒙家にとっては微妙は解答」をしたことで、私の後に続く受験生らがより厄介な質問を投げかけられる事態に陥ってしまった。 この飛び火には同情を禁じ得ない。
しかし、よくよく『啓蒙家』のお言葉を振り返ってみれば 「基礎の物理からやりなおしたほうがいい。」 と言った後に 「物理学における仕事について簡潔に述べよ」 と(初歩的なことを)聞いてくるのは、 「お前はこの程度も出来ないのだろう?」 と言っているようにも受け止められる。
考えすぎと言われるかもしれない。面接の最中は怒りなどの感情はあまり湧いてこなかった。が、なんとなく、「なめられているな」というのは辛うじて感じ取ることが出来た。 ただ、その位の質問になら(完ぺきではないが)返答はできるのである。そのくらいは出来る。
正しいことを言えること、下の人間(生徒含む)が何かしらの問題を抱えていそうなときにそれにいち早く対処できることは誇るべき美点であり、『啓蒙家』はその点では非常に尊敬に値する人物である。
ただ、そのうえで『啓蒙家』に一言(勝手に)言わせて頂きたい。 「以後はなるべく関わらないで頂きたく。気まずいので。」 そして影が薄くなってしまった『〇島』君。 君が外部に受かろうと受かるまいと私は君のことを心の中で『〇島』君と呼び続けるよ。