(池田町史より)

 

【一升水発掘の伝説】平安時代 (約1200年前)

 弘法大師が雲辺寺・箸蔵寺を建てたとき、馬路から雲辺寺に通じる寺道ができ、大師は道行く人々のためにその道沿いに、一升水を発掘したと伝えられている。

 

【平家の落人伝説】鎌倉時代(約800年前)

 馬路の金年・安永鳴年・峰友等の地名は、屋島で敗れた平家の軍勢が白地に来て野営した当時の遺跡でなかろうかとの言い伝えもある。

 

 鎌倉時代の馬路は、田井ノ荘に含まれていた。

「承久の変」(1221)により小笠原氏は阿波に入国し、田井ノ荘大西(池田)に大西城を築いて拠点とした。

 大西城は現在の池田幼稚園一帯に築かれていた。幼稚園の下に石垣が残っている。

  阿波 大西城-城郭放浪記 (pei.jp)

    

 田井ノ荘とは現在の昼間(三好町)、箸蔵、佐馬地、三縄、池田(池田町)、三名(山城町)西祖谷に比定され、小笠原氏は阿波一円を一族で支配した。

 白地城は鎌倉前期頃には城が築かれていたようで、田井ノ荘が西園寺家の荘園となり、荘官として近藤京帝が派遣され、大西氏はその子孫と称している。